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ゲームレビューについて(3)
続きを書く前に書いておきたいことがある。

よくレビュー批判をする人が公平性がだの客観性だの言うが、レビューに客観性などありえない
自分がプレイした、どう思ったかを書くのだから、主観に決まっている。
客観性だの公平性だのをレビューに求める人は、根本から間違っている。そんなことを出来ると信じるほうがどうかしているのだ。人は客観になれるわけもないし、公平になれるわけもない。
レビューは分かりやすく書けば「僕はこのゲームを面白い・詰まらないと思いました、なぜならXXだからです」が書いてある場所だ。
そして「なぜ面白いと思ったか、詰まらないと思ったかを分かりやすく人に伝え、人がソフトを買いやすくする(もしくは回避しやすくする)」のが努力目標だ。
客観だの公平だのと言う人は「何が客観で公平なのか」を定義して、次にそれを実現する方法を明快にしてから語ってもらいたい。

あと、ケチつける低得点のレビューを辛口とか喜ぶ人がいるが、ケチつけるレビューは本質的には信じられない。
なぜならケチをつけるのは一番簡単なことだからだ。
「ないものねだり」をすれば簡単にケチをつけられる。
FFやドラクエに「ベゼスタのRPGのような自由度がない」といえばいいだけだ。
そしてベゼスタのRPGには「映画のような緊密なストーリーがない」といえばいい。
実際、インターネットを検索して出てくる自称辛口レビューのかなりの部分はこれで出来上がっているし、気に入らないゲームを叩くときに一番使われる手法もこれだ。
こんなもので辛口だとか言われてもチャンチャラおかしい。自分が偉くなった気分に浸るために行われる評価など、なんの意味もない。


と書いたところで本文。

なぜ短文レビューも要素レビューも破綻したといえるのか?
考えれば分かる。
まず点数について考えてみよう。

『FF13』『ひぐらしのなく頃に』『アイドルマスター2』『オトメディウスX』『WiiFit』『ニンテンドッグス3DS』『アンチャーテッド(Vita)』の7本のゲームがいま発売されるする。

そしてZという総合ゲーム雑誌があったとして、0~100点のレビューだとして、これら全てに100点がついていたとする。

これはあえて実在のゲームを明白に取り上げたい。それのほうが分かりやすいからだ。
また、これに100点がつくのか? と突っ込みをしたくなるタイトルや、ちょっと時期ずれてるだろうってタイトルがあるのは百も承知である。

果たして、この100点の基準はなんなのか?
これらの7つのゲーム(一個は、シリアスゲームはともかく、普通のゲームとしての意味は微妙なものすらあるが)に共通してつけ得る納得できる基準なんてあるのか? 仮に基準があるとして提示されているのか?
基準があるとも思えないし、もちろん提示されてもいない(少なくとも読者に分かりやすい基準が提示されている雑誌/サイトを見たことはない)。

だいたいゲームに点数をつけることに何か意味があるのか、そして満点で上限がある事に理由があるのか、という極めて根源的な問題(これは再度触れようと思う)を差し置いても、点数には、少なくとも『どうして、その点なのか?』の裏付けがない限りは、何の意味もない。
すなわち評価(採点)基準のはっきりしない点数など、全くなに一つ意味がなく、そして、当たり前のことながら評価基準が明白なレビューなどみたことはない。
それがつまびらかでないまま、今でも生き延びている理由は(1)で書いた「昔はどこの誰が見ても、それなりに納得のいく点数をつけられるほどゲームが単純だったから」以外の何者でもない。

80点以上は傑作です、なんてのは基準ではない。それは点数に意味をつけているだけで、どうしてその点数なのかの理由は全く説明していない
さらに追記すると、評価基準が明らかにされていないということは、例えばこの総合雑誌Zのレビュワーそれぞれで評価軸が全く違う危険性すらある。
実はあるレビュワーは点数ではなく、パーセンテージで『100人中85人のプレイヤーは面白いと感じると考えたので85点』なのかも知れないし『100%を希望小売価格として25%引きまでなら損しないと感じたので75点』なのかも知れない。
はたまた確かに点ではあるのだが『声優さんに好きな人がいたから100点』なのかも知れない。
『どこそこのメーカーだから100点』かも知れない。
もしかしたら『オレは0点から200点で、100点以上は全て100点』と評価しているレビュワーがいるとも限らない。
つまり評価基準のつまびらかでない点数など、全く何の役にも立たないと言うことだ。


次に、仮に点数をつけられるとしても、画一的な評価が可能なのか?

TVにバラエティもあれば、スポーツ番組もあれば、アニメもあれば、ドラマも、映画放送もあるように、ゲームにも様々なスタイル、様々なジャンルの番組(作品)がある。昔は表現力がなかったので、ジャンルが違ってもあまり激しい差がなかったわけだが、今では表現力を得た結果として、十分に画面的にも音的にも内容的にも差別化が進んでいる。
実際、例えば『涼宮ハルヒの追想(PS3)』『アンチャーテッド2』『ピクセルジャンクシューター』の3つの画面を並べたとき、この3つが同じゲームというジャンルに属している作品だと即時理解できる人は(ゲームに対する知識がなければ)、結構厳しい。
少なくとも30年前の人間を連れてきて、確実にゲームと分かるのはピクセルジャンクシューターだけだ。

それほど差別化されている状況で、先ほどの例の7本を同じ土俵・同じ点数で計ることが可能なのか?
この問いを発すれば、答えははっきりしてる。ほぼ不可能だ。

また、差別化は別の問題も引き起こす。
差別化が進んでいるということは、当然ユーザーの好みもはっきり反映される。
あるユーザーにはコントローラで(いや場合によってはタッチペン+音声認識で)、画面の女の子とおしゃべりするのが一番面白いゲームだけど、あるユーザーには宇宙空間を宇宙戦闘機で飛ぶのが一番面白いだろう。あるユーザーはオープンフィールドで車泥棒やりながら、のし上がるのが楽しいだろうし、キネクトでミッキーとエア抱っこすると最高に嬉しい人だっている。
むろん、この問題は昔もあったわけだが、表現する力が大きくなったためにゲームの幅が極めて広がり、下手をすると、あるユーザーにとってベストのゲームが、あるユーザーにとっては最低どころかゲームではないと評価を受ける事まである状態になってしまっている。
これら、「水と油ほども違うユーザーにとって(強引に)同じ土俵でつけられた点数に何か意味があるのか?」というと極めて疑わしい。それどころか有害である可能性すらある。

フィットネスのためにWiiFitを買う人間にとって、オトメディウスXの100点なんて意味があるわけないだろうし、下手をして間違ってオトメディウスXの100点を信じて買ったらぜんぜん自分と合わないじゃん! ってことになる。

つまり、ゲームに画一的な点数をつけ評価することが出来るのか、極めて疑わしいのは明らかだし、少なくとも点数の基準すら示されていない点数など、有害以外の何者でもない。

また短文レビューも大問題だ。
なぜなら、書かなければいけないことはとんでもなく増えている。ところが短文レビューはたったの150文字ほどだ。そして例えば、FF13で最低限触れないだろう戦闘・ムービー・ストーリー・操作系・イントロ部分などなどを考えて書いてみると…

ムービーの画質やオーディオの質については文句なし。またグラフィックスも美しいが、リアル系とは違う。アクセスについてはほぼ文句なしに速いが、起動時のロードは少々遅い。戦闘はアクティブバトルというよりはアクションゲームのようだが楽しめる。操作性は問題ないがストーリーについては好みが分かれると思う

この程度書いただけで、すでに文字数パンクだ。もちろんFF13について書くべきことの10%もちゃんと書けているとは思わない。
つまり、短文レビュー+点数は書くことが増えすぎて、要素が入らない。無理やり詰め込むと、結局曖昧なレビューにならざるを得なくなってしまう。点数は「どういう採点基準の、なんのための点数なのかが明らかでない」という状態で、明らかに機能していない、ことになる。

すなわち、文章を読んでもどんなゲームかよくわからない。点数を見てもやっぱりよくわからない、ということになる。これでは機能していない。

では、IGNや、あちこちのサイトでよくある要素レビューは?
こちらの方がまだなんとかなりそうな気がするが、実はちっともうまくいかない。
第一に、「何をそのゲームが表現したいか?」で状況が変わってしまう。
例えばIGNの要素はPresentation(表現方法とでも訳すか)・グラフィックス・サウンド・ゲームプレイ・その他アピールポイントの5要素が基本だが、これらはそれぞれ10点(満点)ずつになっている。
ところが「どうして、それらが等分なのか?」について全く説明がない。

たとえばストーリー重視のゲームがあったら、ストーリーは極めて重要だろう。他のあらゆる要素は1点、プレゼンテーションだけ96点の加重評価をするべきではないのか? という疑問が出てくる。

現実世界での常識的なものさしを考えれば、そういうことをやるほうが普通なのだ。
例えば大学入試を考えてみればいい。文系・英語の学部なのにセンター試験の数学の評価が英語と数学が等分だったら、まるでおかしいと思うだろう。つまりゲームにとって重要なポイントを無視したレビューでしかないのが真実なのだ。
それにだ、グラフィックスが固定で10点ということは、例えば「風のリグレット(グラフィックスがない)」は、どう評価するのだろうか? またサウンドノベルのように「フォントの読みやすさ」が重要な場合は? フォントがきれいなら10点? ばかばかしいだろう。
ましてや、これらの要素を足したところで、やっぱりワケのわからない数字なのに違いはない。
要素を足して何の意味があるのかといえば、これらの要素は僕は優れていると思います程度の意味しか存在しない。IGNのような要素式は既に破綻しているのは明らかなのだ。

ただしIGNのビデオレビューはレビュワーがプレイしながら、自分が気になったところを見せたりするので、その点での信頼性はある。
だが「それと要素方式に信頼性があるのとは話は別」だ。


では、仮にこれをもっとゲームメカニクスに近い「操作性」だの「オーディオ」だので分割したら?
良くあるシステムだが、これまたまるで怪しい。
例えば操作性が0-5になっているとする。
バイオハザード1-3で伝統的に使われていたラジコン操作系はプレイアビリティの上では問題はあるが(つまり操作の点では扱いにくい)、カメラアングルの自由度が上がる絶大なメリットもある(いかなるカメラアングルでも操作が一意に定まるから)。この点を勘案せずに「キャラが操作しにくいから減点」と書くべきなのか? なんとも難しい話で、単純に決まるわけがない。「あえて慣れてくれ」という判断は十分にあり得る

Kinectをサポートしているゲームがあるとなしとで操作性が全く違うとする、なしだと話にならなくてありだと最高だとする。これは果たして0点なのか5点なのか? あえて書くなら「キネクトありではサイコーです」ぐらいが関の山で点数をつけられるものではないだろう。また仮にネットの評価サイトがあったとして、半分がキネクトを持っていて、半分が持っていなくて、0点と5点をつけたとすると、間を取られて2.5点になる。これは正しいのか? もちろん変なのは明らかだ。つまりメタスコアなんてその程度のものだ。

グラフィックだってそうだ。好みの問題が激しくあり、アニメ絵だというだけでダメな人もいれば、リアル系の絵というだけでダメな人もいる。Z指定のグロ表現がアウトの人もいるだろう。好みが千差万別なのに「グラフィックのクオリティ」をどのように評価するのか? 技術? デファードでレンダリングしてるから5点? バカいうなだ。だったらアニメ絵は全部0点なのか?

つまり、客観的な指標などとてもあり得ないし、たいていの場合にはそれでもないよりマシな指標ではあるだろうけれど、あって有害な場合も十分にあり得る。

まとめるならばだ
1) ゲームに画一的な点数がつけられる時代は既に終わっている。
2) 基準のはっきりしない点数になんの意味も無い。すなわち、現在のレビューの点数は「過去、たまたま貧弱だった表現力のおかげで、うまく動いてきた」ことの惰性でしかない。
3) 要素分割もうまくいかない。英語学部に入るのに数学と英語の点数配分が同じ世界など馬鹿げている。だいたいこれの満点だって基準はいい加減だ。
X) だいたいゲームに満点表示自体がおかしい。
これは実は点数云々とは別の「もっと根源的な問題」で、レビューの根幹に関わる話になるので、別枠としてまた考える。

ただしゲームメカニクスに近いところの要素で一つ、若干評価するとき考慮すべきポイントがある。
ゲームは作品で嗜好品なので好き嫌いはあるが、このゲームメカニクスに近いところになると工業製品としての側面があり「一定水準をクリアしているか?」については結構客観的な評価が可能ということだ。

点数とまでは言わないが、例えば格闘ゲームでキャラ切り替えに30秒かかるのは「製品としてはどうか?」という話になる。右を押しても3秒ぐらい右に走らないアクションゲームも問題が多いのは確かだし、カーレースゲームでフレームレートが秒15コマしかないのはやっぱかなりまずい。

今までこんだけ書いてきて、比較的客観的な評価なんて出来るのかという疑問はあるかも知れないが、これはある程度客観化する方法は実はある。
例を挙げると、いいやり方か否かはともかくとして、フィギュアスケートの技術点のように要素それぞれに難易度をつけ、満たせば何点という形で点数をつけ、かつ採点基準を公開する事で、ある程度客観化することは可能だ。言い換えるなら、採点基準はかように重要なのだ。


だが、それでも困ったことにレビューには「点数」は必要だ。
理由は簡単だ。果たしてそのソフトを買っていいのかどうか、簡単な基準で知りたいからだ。
そしてそれは雑誌やあらゆるところで必要なのも間違いないだろう。
ではそれに必要な条件とはなにで、実現可能なのだろうか?

(続く)
|| 18:40 | comments (5) | trackback (0) | ||

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コメント
点数が無意味になった今だからこそ、エッセイ風レビュー復権の時代と言えるんでしょうね。
言い換えれば、レビューにはそれを書いた人の価値観を併記することも必須になったと言えるんでしょう。
余談ですが、客観化可能\な例として挙げられたフィギュアスケートが賄賂や様々な圧力で機能\不全に陥っているのは何とも皮肉な現実です・・・。
| こーいち | EMAIL | URL | 12/05/03 17:28 | RBUoxbso |
ゲームのスコア付けというと旧ファミコン通信のクロスレビューが強力でしたが
昔はもっと偏ったレビュア毎にバラバラの点数つけてましたよね

主観的な好き嫌いでつけてますって書いてあった気もするし
| み | EMAIL | URL | 12/03/30 20:16 | Q.rSr./A |
ミシュランガイドで三ツ星とった店だって
和、洋、中とジャンルがあるし
サービスがいい店とか、いろいろあるわけで、
自分がいま、鍋を食べたいか寿司を食べたいかで考えて答えを出すだけではないのかな?
| でもちょっとまって欲しい | EMAIL | URL | 12/03/29 20:20 | 8V5jFrs2 |
私がいいと思う方法は、レビュワーが「私はこういうゲームが好きだ」「嫌いだ」を明確にし、
これまでのベストゲームや映画・マンガ・アニメ・スポーツなどを明示し、
「この人は私と価値観が似ているから信用できる/できない」で読者に判断してもらうことかなあ・・・と思います。
| まっつー | EMAIL | URL | 12/03/24 13:08 | TVH20Imc |
任天堂のe-shopなどは満点に近い数値がたくさんあります。
評価基準がバラバラだからこそ、なぜそれにしたのか理由がわからないのはキツイですね。
内容さえわかれば、せめてこちらで取捨選択できるんですけどね。
| もょもと | EMAIL | URL | 12/03/22 23:54 | jiWYW8O. |
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