PCエンジン 19 4月 2015 ハドソン東京支社の写真を見つけた 僕がハドソンと仕事をしていた時、市ヶ谷の掘端にハドソンの東京支社があった。 そのビルには札幌の時計台を模した時計台がついていた。 で、これを『さよならハドソン』を書いた時などまで含めて、ずっと載せたかったのだけど、いくら探してもみつからなかったのだけど、今日見つけたので、忘れないようにメモ書き的に掲… 続きを読む
ゲーム史 12 4月 2015 リリアは誰が創りだしたのか? 僕の書いたイース1・2を作った時の話には大きく欠けているところがある。 それはもちろん言うまでもなく、オリジナルのイース1およびイース2が作られたとき、誰がゲームにどんな風に貢献したかで、そしてイース3が実はどうだったのか? のあたりだ。 当たり前だが、イース1・2はあくまで移植で、山根がいるとかオ… 続きを読む
PCエンジン 7 3月 2015 PCエンジンの倫理規定 ある日、ツイッターで脱衣麻雀の歴史を書かせたら世界一ではないかというぐらいよく知っているみぐぞー先生にこんなことを聞かれた。 当時のツイート これについてtwitterで答えたのだけど、ブログにも転載しておくことで、記録として残しておきたい。 (さらに…)… 続きを読む
ゲーム史 28 11月 2014 高橋名人の冒険島は目コピなのか? 浪漫をぶっ壊す話なのだけど「ん?」と思ったことで、歴史的な記録なので書いておきたい。これは又聞きなのだけど、高橋名人がイベントなどで 『高橋名人の冒険島』(ファミコン版)はウェストンの『ワンダーボーイ』を目で見てコピーした と言っていると聞いた。又聞きなので、この話が本当かどうかは知らないのだけど(… 続きを読む
ゲーム史 1 11月 2014 PC-9801ギャプラスと、当時の開発環境 ギャプラスの話をいろいろ勘違いしている人がいるので、追記がてらにちょっと書いておくことにした。まず第一に、キャリーラボのギャプラスは正式な許諾を受けた移植版で、コピー品などではない。当時、キャリーラボはアーケードの様々なゲームを正式な形でパソコンに移植しており、ギャプラスもその一つだってことだ。 当… 続きを読む
ゲーム史 26 10月 2014 PC-9801版ギャプラスについての覚書 Twitterで『ギャプラス』98版の話がたまたま出て、それ絡みのことがあったので、まとめてメモとして残しておく話。 『ギャプラス』はナムコの『ギャラクシアン』→『ギャラガ』と続いてきたナムコの固定型画面の縦シューティングの第三弾で1984年にリリースされた作品だ。そして『ギャプラス』のPC-980… 続きを読む
ゲーム史 1 10月 2014 ファミコン版FFⅡのアルテマはなぜ弱かったのか? Twitterでメモ書きした話をもう少しちゃんと残しておこうと思った。 ただの記憶でしかなく、細かいところに間違いがある可能性は十分にあるが、大枠は間違っていないはず。25年前(1989年の初頭だったはず)、僕は自分のデビュー作、さいきょーRPG『凄ノ王伝説』の宣伝で、マル勝ファミコンの座談会に出し… 続きを読む
天外2開発記 16 1月 2013 天外2の復活する宝箱やフラグについて 最近(確か年末あたりだったような…)、ちょろっと聞かれたことで、天外2でどうして宝箱の中身が復活したり、砂に飲み込まれないように話しかけなかった村人も消えてしまうのか、について。 天外2のダンジョンやあちこちにある宝箱の中には「覚えているモノ」と覚えていないものがあったり、消えないように話かけなかっ… 続きを読む
ゲーム史 8 3月 2012 僕とBeepのちょっとした思い出 今日(3/8)、鶴見六百、つまり清水芋吉からツイッターで伝えられて、思わず少しつぶやいたけど、やっぱこういうことはブログとかに書いておこうと思ったので、日記がてらに、Beepから始まった、歴史としては日本最古と言っていいゲーム専門誌が休刊するということで、ちょっと思い出話などを書いておきたい。 僕が… 続きを読む
ゲーム史 15 2月 2012 ハドソンがファミコンに参入するまで(5/終) これは1983年春に始まり、1984年7月に終わる、ハドソンが史上初のサードパーティとして、ファミコンに参入するときの物語だ。たくさんの当時の(がつくのが残念だが)ハドソンの方の協力を得て、ほぼ正しい歴史として記述できていると思いたい。ただし、残念なことに、かなりの方から「自分の名前が文の中に出てく… 続きを読む