ロードランナーはブローダーバンドにNGを食らったか?
たまたま、以下のブログ記事が自分のところに流れてきて、twitterでゴチャゴチャ書いたけど、こんなのtwitterで書いてもしょうがねえやと思ったので全部削除して、記事で書くことにした。
記事の問題点は下の引用部、ブローダーバンドからスクロールするからという理由でNGを出されたが、高橋名人がそれを説得してOKにしたという部分に尽きる。
実際、オリジナルのブローダーバンド社からは「これはパズルゲームではない」という理由でNGが出されています。高橋名人が説得したらしく、そのままでOKとなったようですが(どうやって説得したかは覚えてないらしい)、(以下略)
https://www.cobalog.com/entry/loderunner
まず、高橋名人が説得については間違っている。
このブログ記事は高橋名人のブログ記事を参考にしているのだけど、高橋名人はこれについて伝聞で書いている。
がしかし、ブロードバンド社さんからは「これはロードランナーではない」という事にもなってしまいまして、なかなか認めてくれなかった様です。
https://ameblo.jp/meijin16shot/entry-11495162323.html
すなわち名人も聞いた話なので、説得しているわけがない。
だいたい高橋名人は82年8月入社なので、『ロードランナー』開発の時期は、まだ2年経っていないペーペーの方に入る社員時代だ。後の有名になった名人とは全く違うわけで、説得したと書かれても困るだろう。
では名人も「あったらしい」と書いているブローダーバンドがNGを出したは?
こんな話はないと思っていたのだけど、野沢さんが中本さんが無理やりブローダーバンドに通したという話を去年トークショーで語ったらしい。また名人も伝聞でそんなことを書いている。
だから「ないとは言い切れない」というのが今の立場なわけだけど、僕は、これは野沢さん(と名人)は、記憶が混ざって時系列で間違った話を覚えているのだろうと判断している。
もう40年前の話であり、真相が分かることはないのは確定的だが、野沢さんが喋った話がズバリ事実の可能性は低いと判断する理由を書いていきたい。
まず『ロードランナー』開発時には、野沢さんは北海道にいて『ナッツ&ミルク』のヘルプで菊田さんと仕事をしていたはずで、仮にそういうことがあったとしても対応しているのは中本さんだ。
野沢さんは83年の初頭ぐらいに一度東京に長期出張で竹部さんのお手伝いをしたあと、北海道に戻っている。そしてファミコン開発機のはんだ付けや回路を見てのやりとりは電話とFAXなどで行ったと野沢さん自身が言っているので短期の出張はともかく、長期東京にいることはなかったのは間違いない。
だから仮に野沢さんが聞いていたとしても、それは伝聞ではないかという話になる(ただし飲み会などで聞いていても全く不思議ではない)。
次にそもそも自分がインタビューした人、竹部さん、野沢さん、飛田さん、奥野さん、その他、当時ハドソン所属で開発の場にいた人たちが、そんな話をしたことがない。
2011年から、何回か断続的に『ロードランナー』やハドソンのファミコン開発について聞いているけれど、最初期からNGの話を誰かがしたことは、野沢さんも含めて一度もない。
また同じブローダーバンドの『バンゲリングベイ』も随分違うゲームになっていて、しかも野沢さんも関わっているが、同じようにこんな話を聞いたことがない。
『バンゲリングベイ』など、任天堂のVS筐体用のゲームにまでなっていてかなり別人28号なゲームとしてあちこちに出ているので、同じような文句は当然言われて不思議がないのに、そういう話を聞いたことは全くない、というのは補強証拠ではあると思う。
というわけで、第一の理由としてはこの10年ぐらいインタビューで何度も複数の人から聞いているが、本人である野沢さんも含めてそういう話を(去年のトークショーでの話題までは)聞いたことがないということだ。
次の理由。
当時のこの手の移植の話をすると、例えばファルコムの『イース』のファミコン版はずいぶん改変された移植だけど、ではこれを当時のスタッフが知っていたのかというと全く知らない。
スタッフに聞くと「気がついたら発売されていた」なんてことになっている。
では社長はどういっていたのかというと「勝手に移植してくれるんだよ」と言っていたという証言がある。
またハドソンと関係が悪くなった『ファザナドゥ』にしても、最初の打ち合わせはあったにしても、そのあと少なくとも奥野さんは一度も見せていない。
つまり、ファルコムは監修なんかしちゃいない。
また任天堂の『パンチボールマリオブラザーズ』や『マリオブラザーズスペシャル』の移植を任天堂に見せているのかというと、少なくともそんな話は聞いたことがない。
中本さんが『スターフォース』をテーカンに見せたという話も聞いたことはないし、『プーヤン』を見せた話も聞いたことはない。
横で作っていた『大魔界村』をカプコンに見せた話は聞いたことがないし『ファイティングストリート』もそうだ。
同じブローダーバンドの『ディアブロ』だって、ブローダーバンドに見せたという話は聞いたことがない。
加えて、自分自身の経験になるが、ファルコムに移植方針の説明はしたし、ファルコムに残っていたメンツにインタビューはしたが開発途中の『イースⅠ・Ⅱ』を定期的に見せるようなことは一度もなかった(つまり少なくとも現在の監修会議のようなものはなかった)。
また「見せるからROM作って」と言われたこともない。
ファルコムに確認を取ったかもしれないのは、スタッフロールの件だけだ。
つまり80年代の業界では、移植する作品を完成するまでに途中で監修のために見せる習慣はなかった。少なくとも今でいうようなIPホルダーとの定期的な監修会議のようなものはなかった。
だから「NGを出されたと言われても、会議もないのにいつだよ?」という話になるわけだ。
当時の業界で監修のために途中で見せることがあったのは、基本的にアニメやキャラクタIPで、ハドソンなら『ハットリくん』、『ドラえもん』、『ミッキーマウス』の3タイトルぐらいしか、そういうエピソードは聞いたことがないというのが事実だ。
また、アニメIPやその他の他社IPであっても『ネクロスの要塞』で誰かがチェックしたという話は聞いたことがないし『ワタル』のゲームにどの程度監修があったかは疑わしい。
『コブラ 黒竜王の伝説』では寺沢先生はいくつかの希望と簡単なチェックをしただけなのは間違いないし、『うる星やつら』では、シナリオライターの高津君はエンディングでラムとあたるにキスをさせるシナリオを平気で書いていた(監修が入っていればありえない)。
つまりIPホルダーであっても緩いのは全く普通だったということだ。
というわけで、結論を書くと、そもそもインタビューで誰も一度もそういう話をしたことがないし、80年代当時の業界で監修として見せる習慣がなかった、だからブローダーバンドに止められそうになった可能性は低いと思っているわけだ。
現在の監修の話を書いておくと、例えばIP物のゲームなら企画書の段階から監修が入り、少なくとも1か月に1度以上のペースで、IPホルダーとの監修会議があり、またグラフィックスなどについては必ずチェックが入って修正して欲しいところには、かなり早い段階から注文が入るのが当たり前だ。
80年代の監修などないも同然だった時代とは別物だ。
ではブローダーバンドに文句を言われたのはまるで間違った話なのかというと、そうではない可能性が高いだろうと思っているのも事実だ。
なので、その可能性を3つ提示しておきたい。
●推測 その1
ブローダーバンドとの契約のときに、その話になった。
契約するとき、ブローダーバンドに野沢さんも行っているのは間違いない。
その時、中本さんが移植想定をしゃべって、それにブローダーバンドが難色をしめした、という可能性。
ただし契約は全然簡単でブローダーバンドから「1本100円ね」でサックリと終わったと野沢さんが証言しているのが難点だけど、これはありえると思う。
● 推測 その2
ハドソンは完成してからROMを持って問屋を巡り、銀行に融資してもらうための注文を集めている。この段階で、何かのはずみでブローダーバンドに見せて難色を示された。
これも可能性としてはゼロではない。
ただし、こんな話があったら誰か覚えていそうなものだが、誰もしていないという難点がある。
また完成してから任天堂と契約が終わるまでの期間は2カ月あるかないかぐらい。その間にこのストーリーがあったとするのは少々無理があると思うが、可能性がないわけではない。
しかし、この説にはもう一つ、かなり大きな難点がある。
それはブローダーバンドとの契約はもう締結されていたことだ。
当時の契約なので移植にあたっての瑕疵条項などがあったとはとても思えないので、ブローダーバンドが許可を出さないという事が出来るわけもない。
また、中本さんはブローダーバンドからソースをもらって移植しているので、契約があとだという話もありえない。契約が終わって開発は行われている。
だから、ブローダーバンドが許可を出さなくて苦労した、という話自体が成り立ちにくい。
●推測 その3
発売後にブローダーバンドと会った時、文句を言われた。
これは可能性としてはとても高いと思う。
というか僕は、この時の話が、後にゲームを監修して見せるのが習慣化した時の記憶と混ざって、ブローダーバンドに見せたと勘違いしているのだと思っている。
以下、いつそれがあったのかの推測を書きたい。
『ロードランナー』のあとハドソンは『チャンピオンシップロードランナー』を発売している。もちろん『ロードランナー』が大ヒットしたので続編をということだ。
そして『チャンピオンシップ』の発売日は85年4月17日。
『ロードランナー』が発売されてから9カ月。1年経っていない。
当時の生産スケジュールは『ロードランナー』の入金と発売日から見ると、2カ月ぐらいでなんとかなったようなので、2月頃にマスターと想定できる。
そして『チャンピオンシップ』は簡単に書けば難易度の高い追加マップ集なのだけど、あちこちプログラム的には細かく改定はされているので、84年の末にはいくらなんでも開発は始めていたと思われる。
となると、84年7月以降、多分11月ぐらいにはブローダーバンドに「『ロードランナー』が成功したので『チャンピオンシップロードランナー』の移植がしたい」と契約を取りに行ったはずだ。
この時、ブローダーバンドに「いやあ、あのスクロールはないでしょう」と文句を言われたという可能性は十分にあるし、『チャンピオンシップ』はパズル要素が強く難易度が高いのもあって「オリジナルの全部見える形で移植して欲しい」と言われた可能性も十分に考えられる。
ここでファミコン版はスクロールだから『チャンピオンシップ』でも変えないという話をしたというのは、極めて合理性のある推測だと思う。
そして、この説は、チャンピオンシップとはいえ『ロードランナー』の話だし、中本さんが主張して通した話や、許可を出してくれなくて苦労したという話と整合性が取れるし、それに『ロードランナー』から1年も経っていない話だ。
記憶が混ざっても何の不思議もない。
だから、これが真相ではないか? と思っているわけだ。
さらに加えて書くと、当時、中本さんがスクロールにしたのは大英断だと思うけれど、これを見たメンバーはみんなオリジナルのスクロールしない『ロードランナー』を知っている。
絶対に中本さんにいろいろ言ったはずなので、それとの記憶も混ざっているのだろう…と推測している。
というわけでーーー
高橋名人が説得したって話はまるで間違っているのはともかくとして、『ロードランナー』はブローダーバンドがNGを出しそうになって、中本さんが説得したは40年前のオーラルヒストリーであり、物的証拠のなさを考えれば、あくまで可能性の多寡しか語れない。
それを前提としたうえで、僕は「そもそもこの10年の間、そういう話を当時横にいた他のスタッフから聞いたことがない」、「だいたい80年代は監修がほぼなかった」という2点から、ブローダーバンドがNGを出したのを通した話が事実の可能性は低いと思っている。
では、この話はなんなのかというと、のちに『チャンピオンシップ』の契約をしにいったとき、文句を言われたという話だと思っているのである。
もちろん書いた通り、これは40年前のオーラルヒストリーで、真相が明らかになることはないが、可能性をこうして並べておくのは大事だと思うのである。