Roe R. Adams III がやったこと(4)

どえらく間が空いたのだけど、Roe Adamsがやったことの続き。
その(1)
その(2)
その(3)
上で全部読んでほしいのだけど、まあ自分の経験的にはこれをちゃんと読み直してくれる人は10%もいないので、ここでもう一度、ここまでの話を簡単にまとめておく。
Roe Adamsとは誰なのか?
“Ultima Ⅳ Quest for Avatar (1985)”で、コンピュータゲームのシナリオ構造を決定的な形でプレゼンテーションした人物だ。
“Ultima Ⅳ”があまりに決定的だったので、以降32年、若干の調整があったことを除けば、シナリオの書き方は変わったことがないと言っていいほど完璧に近い形で「ゲームのシナリオはこうあるべき」とプレゼンテーションされた、という意味で、余りにスゴい仕事をしたと言って間違いない。
実際”Ultima Ⅳ”のシナリオに関して言えば 今風にグラフィックをアップデートして移植すれば、問題なく通じるのは間違いないレベルだ。ただあまりにシナリオのパーツがコピーされているため、今の人たちがプレイすると「何もかも、どこかで見たことがある」気がすると思う(もちろん話は逆だが)。
というわけで、前回の話まで戻ると、”Ultima Ⅳ”以前のゲーム(特にCRPG)は「借り物競争のような雑なシナリオの体をなしていないシナリオやダンジョンがばらまかれているゲームでしかなかった(がそれでもとんでもなく面白かった)」と書いた。
そのためUltimaではせっかく世界を探索できるゲームであるにもかかわらず、実際には世界を探索するようなゲームにはさっぱりなっていなかった。
そこでローは世界を探索させるための仕掛けを考えた。それが以下。

1)聖者になるためには徳を積まなければならない。
2)徳は8つあり、それぞれに徳の積み方は違う。
3)世界にある8つの街の一つずつが、その徳を代表している。

世界にある街の1つずつが、その徳を代表していて、そこで徳のことがわかるというアイディアだった。
これは聖者になるために世界中を巡るって、動機と目的が一致するあまりに決定的なアイディアだった。
というところまで話を書いたわけなのだけど、これがどんだけスゴいアイディアだったのかというところから、今回の話は始まる。


これが、どれだけスゴいロジックなのかというと、この構造によって
『聖者になる目的を達成するために、徳を積まなければならない。そのために世界にある8つの町を巡って、徳を知ることが必要だ』
となって、自動的に世界中をめぐる仕掛けとして機能するからだ。
この構造は世界をめぐるゲームでシナリオや謎がある限り、例えば「帝国を倒すために、世界に散らばっている王家の13本の剣を復活させる必要がある」だのと、ほぼ100%出てくる構造で、どれほど圧倒的なアイディアかわかる。
ローは、さらにこのアイディアを発展させ、8つの徳に対応する町、神殿、ダンジョンがあり、神殿に入るにはルーンが必要で、神殿で瞑想するのにはマントラが必要、そしてダンジョンは意味が徳の逆になっていて、奥底には石がある構造を組み立てる。
そして町にはそれぞれの徳を代表している聖者がいて、これがパーティに加わる…つまり、街を巡っていくことで、パーティが出来上がっていく構造になっているなんてことになっていて、ここに至っては「お見事」という以外形容のしようがない。
「これは新作のドラクエですか?」と聞きたくなるような、今見てもなんの問題もなく通用する構造で、いかにローが当時として卓抜したシナリオ(この場合には世界観も兼ねているが)構造を作り出したかわかる。
しかもローは”Ultima Ⅳ”を、どこから謎を解きはじめてもかまわないようにした。
なぜ、こうなっているのかについてはローのゲームに対する考え方とものすごく密接に関係しているので、説明しておきたい。
ローはCRPGのプレイヤーは基本的にその世界にいるような体験をするべきだ、という思想があった。というか当時あったCRPGは”D&D”の影響を色濃く受けた作品群だったので、ローは当時のCRPGで標準的だった「プレイヤーの分身がゲームの世界に投影され、プレイヤーはそれを操作する、主人公=プレイヤー」思想だったわけだ。
ところが、ここから先がローのスゴいところで、だからといって主人公を無色にするのは難しい。なぜなら、プレイヤーはそれぞれの道徳観や考え方を持っているので、それにゲームの目的を押し付けるのは難易度が高い。
そこで”Ultima Ⅳ”では凝った導入部分がついていて、タロット占いで、プレイヤーの性格を見て、一つの徳を代表するキャラクタとしてゲームが始まる様にしたのだ。
まあこれで羊飼いになったりすると「え!? え!?」って驚くことになるのだけど、それはともかくとしてローは8つある徳の一つをプレイヤーが代表し、残りの徳のメンバーを集めていくという構造に仕立てあげた。

少し余談を書くと、ローは今で言えば理想形はVRと考えていた(初期のHMDを実際に触っていたりする)。それならプレイヤー=主人公に完全になって没入できるというわけだ。
ただ、それは遠い未来だと考えていて(実際一般化できるまでほぼ30年かかったわけだ)、1992年にローがしゃべっていたゲームシステムは「画面にはプレイヤーが表示されず、銃を撃てば銃が画面に出てきて、剣を振る腕が出る」、今のゲーマーなら誰でも知っている一人称視点のゲームをほぼ大雑把に夢見ていた。
このとき、まだ『ウルフェンシュタイン3D』が発売されていなかったのだけど、彼はライター兼ゲームデザイナーとして大変に尊敬されていたので、たぶんどっかで見ていたのだろうなあ、とか思っていた。

と、ここまで見ただけでも”Ultima Ⅳ”のシナリオ構造は偉大だが、これに加えてローはさらにとんでもないアイディアをゲームに組み入れるのだけど、長くなったのでそれはまた続きで。
ところで”Ultima Ⅳ”の基本的なアイディアは「ギャリオットが非難を受けたことから、聖者になるアイディアを思いついた」ところまではギャリオットなのは間違いないのだけど、実際の”Ultima Ⅳ”というゲームのマップ・謎・プロット・セリフについて「どこまでをローがやって、どこまでをギャリオットがやったのか?」については、正直、その場に居合わせた人間以外にはわからない。
ただし、これは推測でしかないが、僕はシナリオの大半、もっと具体的な表現をするなら、ほぼ100%をローが作ったと考えている(シナリオとはダンジョン込みのマップ・セリフ・謎など全部)。
なぜなら、だいたい僕はローから「なぜそれをそうしたのか?」をほぼ直接聞いている。要は作った本人でないとわからないコトを聞いていて、それにローは全部答えているのだから、当然作者と考えるべきだ。
次にギャリオットは当たり前だけどコードを書かなければならず(しかもultima Ⅳではサブのプログラマも雇っているぐらいコードが大きくなっている)、さらにプロジェクト全体を見ていることを考えれば、普通に時間が足りない。
だからローに任せざるを得ないのだ。
変な表現をすれば「『ドラクエⅡ』(ワリとサイズが近い)で中村光一がコードを書きながら、シナリオも書きました」はムリがありすぎるって話だ。
さらにローは、そこに至るまで、もうライターとしての訓練(すなわちプロとして文章を書く訓練)は出来ていて、様々な会社のプレイテスターをやっていて、加えてチャンピオンシップロードランナーのレベルデザイン、さらに”The Bard’s Tale”でマップやシナリオを手掛けていたこと。
つまりUltima Ⅳに至るまでで、もう十分に訓練出来ていて、シナリオを作るに十分な能力を持っていたのは間違いないということだ。
そして、最後にローが手がけた超有名作品2つ”Ultima Ⅳ”と”Wizardry Ⅳ”のマップや謎の作りの基本的なやり口が(おそろしく)似ていること。そしてどっちももちろんローから「なぜそうしたのか」をやたら説明してもらったコト。
“Ultima Ⅳ”の3つの原理と8つの徳の関係とか、”Wizardry Ⅳ”の謎の置き方とか、思いもかけないものが答えになっているネタとか、ともかくこの二つは同じ人が作ったと確信できる。
加えて書くと、ローがイロイロなゲームをプレイするのを目の前で見たことや、ローが”Ultima V”をプレイしてイロイロビックリしたと僕に喋ったことなどまで含めて考えたとき、その大半をローが作り出したのは間違いない(ついでに書くとローのしゃべりっぷりから察するにⅣ-V-Ⅵのアバタール三部作の基本的なラインは、Ⅳの段階で引いていた可能性が高い)。
もちろん「これでいいかギャリオット?」と確認したのは当たり前だろうし、そこにはギャリオットの意志ははっきりと反映されているだろう。だが”Ultima Ⅳ”の謎や設定の80-90%、多分ほぼ100%をローが作ったのは間違いない、だから”Ultima Ⅳ”のシナリオの功績はローに還元されるべきである、と断言するのである。

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