モバイルゲームとストーリー(2)&今のところ終わり

バカみたいに忙しく、ふっと気がつくと2週間も何もポストしていなくて、ちょっとビックリしたのだけど…それはともかくとして、前回、モバイルゲームにおいて「ストーリーは簡単にスキップされ、そして離脱率が上がりこそすれ、下がることはほぼない要素だ」と書いた。
これは国内・国外でいくつかのソーシャル系のゲームを作る際に、かなり議論になったところだった。
そして面白いのが、今のところ海外の方がストーリーが必要だって意見が多かったことだ。
実際、ゲームロフトで“Wonder Zoo”を作った時にはゲームデザイナーの間でかなり議論をしたのだけど、お話に対する強い要求があるので、結構しっかりとした設定を作るべきだってことになったし、同じように“My Little Pony : Friendship is magic”のときも、ゲームデザイナー側の「ストーリーがあるべきだ」という主張が通ったし、より低年齢層向けの“Littlest Pet Shop”でも、やはりゲームの動機付けとストーリーは強く行われている。

Design Directorをやっていた僕がストーリーに強いこだわりがあったのも理由だけど、もともとゲームデザイナーからストーリーを意識したゲームとするべきだって主張が上がってきていて、実際、僕が言わなくても「ストーリーを押していく」のは方針として決まった。

対して、日本ではというとコンソールではあれほど強い・映画的なストーリーに対する要求が強いにも関わらず、ソーシャルゲーム界隈では「ストーリー要素はいらないんじゃないか?」という疑問を良く聞いた。
いらないんじゃないかって主張の人の意見を聞くとたいていは「モバイルソーシャル系では、最終的なエンドコンテンツはレイドやイベント、つまりPvP・GvG・協力型コンテンツにたどり着く。ならば、別にストーリーで引っ張る必要がないのではないか」だった。
つまり、ストーリーは最後の主役足り得ないって意見で、かなりコンソールとは風向きが違うし、海外の意見とも風向きが違う。
どうしてこうなったのか?


それについては想像混じりだけど、以下の様な理由じゃないかと思っている。
まず海外と国内の違いについては通信環境の違いが最も大きかったのではないかと思う。
最近は海外のモバイルでもCoCなどに代表されるガリガリのオンラインバトル系ゲームが出てきているけれど、海外ではパソコンはともかくモバイルの世界ではこの手のバトル系のゲームは流行していなかった
理由は簡単で、モバイルの通信料がスゴくて、そして日本の国内や韓国のように湯水のようにパケットを使っていい料金体系ではなかったから(今でもそうではない)。だからモバイルでそういうゲームをやると、コストのかからない家でプレイするのが普通(wifiでプレイする)だし、家で遊ぶのが普通なので画面の大きなタブレットでのゲームプレイが主流になったりするわけだ。
で、当然そういう通信コストのかかるゲームが嫌われるってことは、勢い、海外では中心はシングルゲームになり、ストーリーが求められるってわけだ。
次に表現力の問題。
FP(いわゆるガラケー)にはページにもフラッシュにも極めて厳しい容量制限があり、その中でいろんなものを表現せざるを得なかった。
つまりファミコンの初期みたいなもんで、ストーリーを語る余力がゲームにほとんどなかったのがホントのところだろう。
加えて書くと、日本のソーシャルゲームはZyngaのソーシャルゲームが源流で、「プレイヤーのスキマ時間に入り込むこと」が一つの目標になっていたってことがあると思っている。
ものすごく細切れの時間でプレイしてもらうことが前提だから、ストーリーを語りにくかったってことだ(このあたりも海外ではスマートフォンでのゲームが主流になるに従って変わった所)。
そして、前述したこれらの要素に加えて、エンドコンテンツがPvPやGvGだったことや、ストーリーを意識していても、それがコンソールのストーリーとは別のスタイルで、例えばモバマスにおけるカードの進化による語り口や進撃のバハムートのような進化のテキストでストーリーと世界観を語っていくような、どっちかつーと”narrative”に近い技法が中心になったこともあって「ストーリーはいらないんじゃないか?」って議論があったのではないかと思われる。
では、これについて、僕はどう思っているのかというと、バハムート系よりは一本に近い、コンソールっぽいストーリーはあったほうがいい、というのが意見だ。
理由としては、まずストーリーってのはおよそ数千年、人を魅了して止まない超強力な要素だ。
つまり、上手く入れられれば、ユーザーにとって素晴らしい要素なのは間違いない。
そして、運営する側から見た時に、もちろん使える手数は多いほうが絶対いいわけで、ストーリーは積極的に入れていくべきだ、思っているのだった。
ただし、コンソール型の入れ方は向かないと考えていて、新しい技法が必要だと思っているのだけど、こればかりは実際に試してみないとわからないので、まあ試してうまくいったら、また書いてみたいと思っている。

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1件のコメント

  • AGENT: Opera/9.80 (Windows NT 6.1; Win64; x64) Presto/2.12.388 Version/12.16
    ストーリー不要派は、例の「ゲームにグラフィックは不要」系の発想で、プレイする行為そのものの面白さを求めた結果の極端な表現になっていると思うのです。
    グラフィック不要派でも他が全く同じゲームが2個あれば、見た目の好きな方を選ぶでしょう。
    別に綺麗なグラフィック自体を認めない訳では無いのです。
    ただ、自分の求める最重要コンテンツでは無いので、無くてもいい。ゲームは面白さが全てなんだ、ストーリーも不要だ。
    エンドコンテンツを例に出している時点で「最重要コンテンツ」に偏って考えていると思いますね。まず先にエンドまで行かなければいけませんから。
    終わり無しゲームのストーリーとは、そこに行くためのストーリーですから、エンドコンテンツと干渉する事は無くどちらにも魅力を作れる物でしょう。
    でも、ストーリーってかなり好みが出ますから「趣味」のふるいにかけてるとも思うんですよね。
    ちゃんと読んでも「気に入らない」と駄目で、否定的な先入観があったらそれの対処もしなければいけない。
    こういう場合、否定的感情の強い積極的な離脱や、そもそもプレイを始めない事もあるので、デメリットを重く見た場合も不要派になると思います。要素が多ければ爆弾も多いのです。
    narrative手法は、このあたりのメリットとデメリットと妥協を足して割った感じじゃないですかねえ。

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