2011-12-17 Sat [ 同人のコト ]
これから文章のブラッシュアップや見直しが入るから、もうふた手間ぐらいあるけれど、だいたい冬コミの本の内容が決まったので、以下、目次。
サブタイトルは「アドベンチャとRPG、その源流からJRPGとノベルの確立まで」とかなんかまるで学術書のようなサブタイトルに今のところはなってたりw
最初は完全に年代で並べて書いてたんだけど、あまりに見通しが悪いので、ジャンルや系列に分けて、並べなおした結果、下のようになってまする。
■そしてJRPGはアドベンチャと同じゴールに立っている
マトメ部。
また40pを超える本になっていて(;´ω`)、1コインはムリです、すません(;´ω`)
しかし、この本…部数どうしよう…ううう…
サブタイトルは「アドベンチャとRPG、その源流からJRPGとノベルの確立まで」とかなんかまるで学術書のようなサブタイトルに今のところはなってたりw
最初は完全に年代で並べて書いてたんだけど、あまりに見通しが悪いので、ジャンルや系列に分けて、並べなおした結果、下のようになってまする。
■1975-1981 すべての始まり
1970年代初頭
1975 アドベンチャの登場
1980 グラフィックアドベンチャの登場
1981 ウィザードリィ、そしてウルティマ
このパートは主にアメリカの歴史で、アドベンチャの登場前後のこと、さらにD&Dの登場やらウルティマ・ウィザードリィの登場とその意義についてってあたり。1970年代初頭
1975 アドベンチャの登場
1980 グラフィックアドベンチャの登場
1981 ウィザードリィ、そしてウルティマ
■1982-現在 日本のアドベンチャの変遷
1982 日本オリジナルの登場
1984 選択メニューの登場
1988 アドベンチャの行き詰まり
1989 CDROMの登場
1992 サウンドノベル
1996 ビジュアルノベル
そして現在。GAMEではないもの
1982-現在までの日本のアドベンチャゲームの流れについて。1982 日本オリジナルの登場
1984 選択メニューの登場
1988 アドベンチャの行き詰まり
1989 CDROMの登場
1992 サウンドノベル
1996 ビジュアルノベル
そして現在。GAMEではないもの
■1983-現在 アクションアドベンチャ
1983 キングスクエスト
1991 "Alone In The Dark"の登場
1996 バイオハザード
カメラアングルの消滅と停滞
ヘビーレイン
1983年に初登場したキングスクエストからバイオハザードを経て、Dead Spaceなどの持つ問題を指摘して、ヘビーレインにいたる流れ。1983 キングスクエスト
1991 "Alone In The Dark"の登場
1996 バイオハザード
カメラアングルの消滅と停滞
ヘビーレイン
■1983-1986 日本RPGの夜明け
1983 史上初の日本のRPG?
1984 ブラックオニキスの登場
1986 ドラゴンクエスト1
ドラゴンクエストが決定付けたもの
1983年の日本でのRPGの夜明けから、ドラゴンクエスト1の登場まで。1983 史上初の日本のRPG?
1984 ブラックオニキスの登場
1986 ドラゴンクエスト1
ドラゴンクエストが決定付けたもの
■1987-1996 JRPGの確立 - ファイナルファンタジー1~7
ファイナルファンタジー登場前夜
1987 ファイナルファンタジー1
1991 ファイナルファンタジーIV
FFシリーズの変わったところ
FF7-JRPGの確立
JRPGを確立した、と僕が考えているファイナルファンタジー7までのFFの流れについて。ファイナルファンタジー登場前夜
1987 ファイナルファンタジー1
1991 ファイナルファンタジーIV
FFシリーズの変わったところ
FF7-JRPGの確立
■そしてJRPGはアドベンチャと同じゴールに立っている
マトメ部。
また40pを超える本になっていて(;´ω`)、1コインはムリです、すません(;´ω`)
しかし、この本…部数どうしよう…ううう…
2011-12-15 Thu [ レビュー::ゲーム ]
雑誌にレビューを書けるコーナーを持っているにも関わらず、どうして自分のブログにレビューを書くかというと、雑誌のあの狭いコラムではとても書けないほどの内容を書きたいからだ。
また電撃プレイステーションは本質的にプレイステーションを持っている人を対象とした雑誌で、ゲームの歴史的な話をしたいとき、正直書きにくい。
そんなわけで、ここでピースウォーカーについて思うところを語るのである。
もちろん、この評価は僕の個人のものであり、僕が仕事している雑誌社・編集部・それとも会社とは一切の関係はない。
と、書いたところで始めるが、メタルギア・ピースウォーカー(以下PW)は、正直、メタルギア・ソリッドスネーク(MSX2)以来の小島監督の最高傑作だと、僕は思う。
こんなにとんでもなく面白いゲームをプレイしたのは久しぶりで、第一のエンディングまで全く夢中になってプレイしたし、第二の(と表現していいと思うが)エンディングを見た後も、なおかつ遊び倒し「オンラインなしで、軽く100時間以上遊べるゲーム」なのは間違いない。
しかも、挙句の果てには最初からもう一度プレイしたくて、新しいキャラを作って2周目をプレイして、また完全にクリアしてしまったうえに、さらにHD版でもう一度クリアしてしまった。
少なくとも、恐ろしく気に入ったゲームなのは間違いない。
もちろん欠点はある。例えばPSP版ではデータインストールがスリープするたびに切断されてしまうとか、ダウンロード版でもインストールが必須だとか(なぜだ!?)、追加ミッションでのボスの攻略が同じで固さが増すだけ、というあたりは「もう少しなんとかならなかったのか? カズ?」とか聞きたくなる。
あとこれは問題として指摘しておきたいが、PWは、メタルギアソリッド3の後日談のため、ソリッド3の話が分かっているかで面白さが大幅に変わってしまう。
もちろんゲーム内で必要なパートはいろいろな形でちゃんと説明されているし、ストーリーもカセットテープによるデブリーフィングで完全に分かるようにしてある。さらにゲーム内イベントでも何度も徹底的に示されるが「ザ・ボス」がスネークにとってどれほど大事な人間であったかは、やはり「ソリッド3をプレイしていない人」には分かりにくいと思う。ザ・ボスについて語るところから始まる(3をプレイしていない人のための)オープニングは作るべきだったのではないか…と思ってしまう。
しかし…PWは「そんな細かいこたあ、どうでもいい! このゲームはむちゃくちゃ面白い! 途方もないスーパーゲームでこれをやらない奴は損している」と断言できてしまうぐらい面白いゲーム」だ。
ともかく(第一の)ラストのピースウォーカー1~3あたりなど、シナリオは面白い、ゲームは異常に盛り上がると怒涛の面白さで、もう大興奮だったわけだが…反面、どうしてそこまでPWが面白くなることに成功したのか?
それは、結局のところPWが様々な面でゲームのバランスをとることに成功したからに尽きるのだが、それはPWに至るまでの、小島監督に代表されるスタッフが、悩み苦しんだ結果なのだ。
続きを読む▽
また電撃プレイステーションは本質的にプレイステーションを持っている人を対象とした雑誌で、ゲームの歴史的な話をしたいとき、正直書きにくい。
そんなわけで、ここでピースウォーカーについて思うところを語るのである。
もちろん、この評価は僕の個人のものであり、僕が仕事している雑誌社・編集部・それとも会社とは一切の関係はない。
と、書いたところで始めるが、メタルギア・ピースウォーカー(以下PW)は、正直、メタルギア・ソリッドスネーク(MSX2)以来の小島監督の最高傑作だと、僕は思う。
こんなにとんでもなく面白いゲームをプレイしたのは久しぶりで、第一のエンディングまで全く夢中になってプレイしたし、第二の(と表現していいと思うが)エンディングを見た後も、なおかつ遊び倒し「オンラインなしで、軽く100時間以上遊べるゲーム」なのは間違いない。
しかも、挙句の果てには最初からもう一度プレイしたくて、新しいキャラを作って2周目をプレイして、また完全にクリアしてしまったうえに、さらにHD版でもう一度クリアしてしまった。
少なくとも、恐ろしく気に入ったゲームなのは間違いない。
もちろん欠点はある。例えばPSP版ではデータインストールがスリープするたびに切断されてしまうとか、ダウンロード版でもインストールが必須だとか(なぜだ!?)、追加ミッションでのボスの攻略が同じで固さが増すだけ、というあたりは「もう少しなんとかならなかったのか? カズ?」とか聞きたくなる。
あとこれは問題として指摘しておきたいが、PWは、メタルギアソリッド3の後日談のため、ソリッド3の話が分かっているかで面白さが大幅に変わってしまう。
もちろんゲーム内で必要なパートはいろいろな形でちゃんと説明されているし、ストーリーもカセットテープによるデブリーフィングで完全に分かるようにしてある。さらにゲーム内イベントでも何度も徹底的に示されるが「ザ・ボス」がスネークにとってどれほど大事な人間であったかは、やはり「ソリッド3をプレイしていない人」には分かりにくいと思う。ザ・ボスについて語るところから始まる(3をプレイしていない人のための)オープニングは作るべきだったのではないか…と思ってしまう。
しかし…PWは「そんな細かいこたあ、どうでもいい! このゲームはむちゃくちゃ面白い! 途方もないスーパーゲームでこれをやらない奴は損している」と断言できてしまうぐらい面白いゲーム」だ。
ともかく(第一の)ラストのピースウォーカー1~3あたりなど、シナリオは面白い、ゲームは異常に盛り上がると怒涛の面白さで、もう大興奮だったわけだが…反面、どうしてそこまでPWが面白くなることに成功したのか?
それは、結局のところPWが様々な面でゲームのバランスをとることに成功したからに尽きるのだが、それはPWに至るまでの、小島監督に代表されるスタッフが、悩み苦しんだ結果なのだ。
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2011-12-09 Fri [ 転載物::商業誌 ]
これは『電撃王』や『電撃プレイステーション』に載せていたコラムの中で思い入れが深いものや、付け加えをして今出すと面白いと思ったものをアップトゥデートして載せていくシリーズ。
今回は、1996年の電撃王に載せたコラム。
僕の本職はと言えば‥いわゆるゲームのプログラマ。この仕事の一般におけるイメージを簡単にまとめると、
(1)コンピュータの事を知っている。
(2)理数系である。
こんなモンになるんじゃなかろうか?
続きを読む▽
今回は、1996年の電撃王に載せたコラム。
■■■
僕の本職はと言えば‥いわゆるゲームのプログラマ。この仕事の一般におけるイメージを簡単にまとめると、
(1)コンピュータの事を知っている。
(2)理数系である。
こんなモンになるんじゃなかろうか?
書いた当時は掛け値なしで、ゲームプログラマだった。これがこのあとディレクターだのIT屋だのイロイロな要素が入り、今では「ゲームデザイナーで、プログラムも書ける人」ぐらいだろう。スクリプトレベルでは現役のコード屋だけど、C++では現役とは言いがたいレベルだw
会社でオールアセンブラでゲーム作ったって話をしたら超尊敬された。伝説の時代からやってきた人間らしいw
なんつーかかんつーか、移り変わりの速い世界に生きているとイロイロとへこむことがあるもんだw
会社でオールアセンブラでゲーム作ったって話をしたら超尊敬された。伝説の時代からやってきた人間らしいw
なんつーかかんつーか、移り変わりの速い世界に生きているとイロイロとへこむことがあるもんだw
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2011-12-05 Mon [ 天外2製作メモ ]
前回は iv を作る寸前まで終わってしまっていたので、今回がその続き。
ivを作っていたのはイースが最終デバッグに入り始めたあたりから、1990年の頭ぐらいまで。
そしてivが初めて実用に供されたのが『うる星やつら STAY WITH YOU』(1990.6/ハドソン)から。
確かメインプログラマが三上君だったはず。彼は飛田さんのサブプログラマをやったことがあり、結構ツーカーだったので、ivの開発には関わっていないけれど、飛田さん的にはやりやすかったのではなかろうか。
シナリオライターは当時企画にいた高津君。
映画&アニメマニアだったので、シナリオライターに抜擢されたのだろうと思う。
ただ、彼は「うる星やつら」は実は全然知らず、勉強してシナリオを書いたので、最初のシナリオではエンディングが「うる星」風になっていなかった(普通の恋愛映画のようなエンディングになっていた)。
で、僕は当時「うる星」の大ファンだったので「これはマズいよ」といって、オチだけは変えてもらったのを良く覚えている。いや、グラフィックの発注とかする前に教えてもらってよかったとw
なんかこれはイースのときにも書いた気はするけど…と思って検索したらなかった…
続きを読む▽
ivを作っていたのはイースが最終デバッグに入り始めたあたりから、1990年の頭ぐらいまで。
そしてivが初めて実用に供されたのが『うる星やつら STAY WITH YOU』(1990.6/ハドソン)から。
確かメインプログラマが三上君だったはず。彼は飛田さんのサブプログラマをやったことがあり、結構ツーカーだったので、ivの開発には関わっていないけれど、飛田さん的にはやりやすかったのではなかろうか。
シナリオライターは当時企画にいた高津君。
映画&アニメマニアだったので、シナリオライターに抜擢されたのだろうと思う。
ただ、彼は「うる星やつら」は実は全然知らず、勉強してシナリオを書いたので、最初のシナリオではエンディングが「うる星」風になっていなかった(普通の恋愛映画のようなエンディングになっていた)。
で、僕は当時「うる星」の大ファンだったので「これはマズいよ」といって、オチだけは変えてもらったのを良く覚えている。いや、グラフィックの発注とかする前に教えてもらってよかったとw
なんかこれはイースのときにも書いた気はするけど…と思って検索したらなかった…
当時、僕はハドソンの2階でJohnと一緒にイース1・2の海外版を作りながら、4階の開発ルームにフラフラといっては、デバッグやらivやらやるという感じだった。
なんせイースの海外版は待ち時間が長かったので、ヒマだったのだよ。
なんせイースの海外版は待ち時間が長かったので、ヒマだったのだよ。
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2011-11-30 Wed [ 天外2製作メモ ]
1991年2月。
東京は市ヶ谷の天外2開発ルームにはマシンが10台以上並び、久保久・松田クン・山根・アルファシステムの長谷川君(ファイティングストリートなど多数)、同じくアルファの藪(大魔界村の移植)、さらにグラフィックの外注をやってもらうウィンズのメンバーが集まり始め、ついに開発はスタートしようとしていた。
そのまだ人が揃いきっていない開発ルームで、僕は、信頼するアルファシステムの長谷川君とシステム設計の打ち合わせをしていた。
これはイース1・2で、そこらへんをキッチリ決めておかないと、CDROMでは、あとでエラい目に会うという事がわかっていたからだ。
…とは言っても、結構打ち合わせは簡単だった。ビルド関係は、イースで作ったものが柔軟性と信頼性を持っていたので、多人数に対応するために若干の調整をする以外は、ほぼ手直しなしで使うことになったからだ。
そして、打ち合わせの途中、長谷川君が僕に言った。
「岩崎さん、天外2ではiv使おうと思うのよ」
「えーっ!? あれはまあ汎用言語だけどインタープリタよ? アドベンチャならともかくRPGで間に合うの?」
「うん、間に合うよ。アルファシステムでもう使っていて、十分って結論が出てるのよ」
「なら、ぜんぜん楽にはなるけどさ…本当かよ」
「本当だよ、圧倒的に便利だし、十分速いよ」
ivは、PCエンジンで使われていた汎用中間コードコンパイラで、今で言う仮想マシンとかLuaとかphpみたいな代物だ。
そして、ここで話したとおり、天外2のほとんどはivで記述した。つまりプログラムの99%はアセンブラで書かれていない。95%はこのiv、つまり中間コードで、4%ぐらいがビジュアルアセンブラ(と僕が呼んでいた結構ひどいビジュアル専用の言語)、実際にアセンブラで書かれていたのはシステム部分やコアのルーチンだけで、ほとんどはivで動いていたのだ(サイズから考えると99.99%はアセンブラでなかったと思う)。
今回と次回はほぼ、このivだけの話になる。
続きを読む▽
東京は市ヶ谷の天外2開発ルームにはマシンが10台以上並び、久保久・松田クン・山根・アルファシステムの長谷川君(ファイティングストリートなど多数)、同じくアルファの藪(大魔界村の移植)、さらにグラフィックの外注をやってもらうウィンズのメンバーが集まり始め、ついに開発はスタートしようとしていた。
そのまだ人が揃いきっていない開発ルームで、僕は、信頼するアルファシステムの長谷川君とシステム設計の打ち合わせをしていた。
これはイース1・2で、そこらへんをキッチリ決めておかないと、CDROMでは、あとでエラい目に会うという事がわかっていたからだ。
…とは言っても、結構打ち合わせは簡単だった。ビルド関係は、イースで作ったものが柔軟性と信頼性を持っていたので、多人数に対応するために若干の調整をする以外は、ほぼ手直しなしで使うことになったからだ。
ビルドは「実行できるゲームを作る作業」ぐらいの意味と思えばいい。
で、ビルドシステムは「実行可能なゲームをどのように組み立てるのか」の設計図のようなもの。
今ならIDEなどが完備していて、プロジェクトを作ればなんとでもなるけれど、当時は、だいたいIDEなんてほぼなかったし、仮にあっても、例えば1フォルダの中にあるファイル数が一定を超えると急速に速度が落ちたり、場合によっては動かなくなるなどの問題があって、みんなIDEみたいなメモリ食うわ、信頼性低いわなんてものは使わず、己の信じるツール(場合によってはDOSのバッチファイルw)で、ビルドシステムを作るのが当たり前だった。
このビルドシステムは、だいたいはUNIX育ちのmakeとmakefileが受け持つのが当たり前だったのだけど、これまた流派がありw borlandのturbo-c付属のmakeを使う人もいればmsのMS-C付属のものを使うヤツもいて、しかもこれら全部に方言があって、まあ大変だった。
そしてプロジェクトの中で扱うファイル数はとんでもない重大事項でたとえば1フォルダ(ディレクトリ)に1000ファイルほどもあると、ほとんどのツールがメモリ不足で動かなくなったり、ハングアップしたり、ともかくとんでもないことになることが多かった。
実際、イース1・2ではROMカートリッジでは考えられないほどの量のファイルを扱うことになり、飛田さんの作ったasもlkもまたturbo-c付属のmakeなども、まるで動かなくなる事態に陥り、7月の段階で一度大規模にビルドシステムを作り直しする、大変な目にあった。
実際のところ、ほとんど1週間ぐらいビルドシステムを作り直しして、emsにスワップ出来るgnu makeでmakefile全部書き直すのは本当に大変だった。
そして、このときのシステムが十分に柔軟性があったので、天外2ではそのまま使えたわけだ(イースで作ったシステムは原理的にEMSがパンクしない限りは絶対に大丈夫だし、複雑なプロジェクト構造になっても耐えられる設計になっていた)。
ちなみに、調整したところは、システムとシナリオ部分を完全に切り離して、多人数が同時に作業しても、問題が起きないようにすることだった。
で、ビルドシステムは「実行可能なゲームをどのように組み立てるのか」の設計図のようなもの。
今ならIDEなどが完備していて、プロジェクトを作ればなんとでもなるけれど、当時は、だいたいIDEなんてほぼなかったし、仮にあっても、例えば1フォルダの中にあるファイル数が一定を超えると急速に速度が落ちたり、場合によっては動かなくなるなどの問題があって、みんなIDEみたいなメモリ食うわ、信頼性低いわなんてものは使わず、己の信じるツール(場合によってはDOSのバッチファイルw)で、ビルドシステムを作るのが当たり前だった。
このビルドシステムは、だいたいはUNIX育ちのmakeとmakefileが受け持つのが当たり前だったのだけど、これまた流派がありw borlandのturbo-c付属のmakeを使う人もいればmsのMS-C付属のものを使うヤツもいて、しかもこれら全部に方言があって、まあ大変だった。
そしてプロジェクトの中で扱うファイル数はとんでもない重大事項でたとえば1フォルダ(ディレクトリ)に1000ファイルほどもあると、ほとんどのツールがメモリ不足で動かなくなったり、ハングアップしたり、ともかくとんでもないことになることが多かった。
実際、イース1・2ではROMカートリッジでは考えられないほどの量のファイルを扱うことになり、飛田さんの作ったasもlkもまたturbo-c付属のmakeなども、まるで動かなくなる事態に陥り、7月の段階で一度大規模にビルドシステムを作り直しする、大変な目にあった。
実際のところ、ほとんど1週間ぐらいビルドシステムを作り直しして、emsにスワップ出来るgnu makeでmakefile全部書き直すのは本当に大変だった。
そして、このときのシステムが十分に柔軟性があったので、天外2ではそのまま使えたわけだ(イースで作ったシステムは原理的にEMSがパンクしない限りは絶対に大丈夫だし、複雑なプロジェクト構造になっても耐えられる設計になっていた)。
ちなみに、調整したところは、システムとシナリオ部分を完全に切り離して、多人数が同時に作業しても、問題が起きないようにすることだった。
そして、打ち合わせの途中、長谷川君が僕に言った。
「岩崎さん、天外2ではiv使おうと思うのよ」
「えーっ!? あれはまあ汎用言語だけどインタープリタよ? アドベンチャならともかくRPGで間に合うの?」
「うん、間に合うよ。アルファシステムでもう使っていて、十分って結論が出てるのよ」
「なら、ぜんぜん楽にはなるけどさ…本当かよ」
「本当だよ、圧倒的に便利だし、十分速いよ」
「間に合う」は1/60秒でちゃんと処理を全部終われるの?の意味
ivは、PCエンジンで使われていた汎用中間コードコンパイラで、今で言う仮想マシンとかLuaとかphpみたいな代物だ。
そして、ここで話したとおり、天外2のほとんどはivで記述した。つまりプログラムの99%はアセンブラで書かれていない。95%はこのiv、つまり中間コードで、4%ぐらいがビジュアルアセンブラ(と僕が呼んでいた結構ひどいビジュアル専用の言語)、実際にアセンブラで書かれていたのはシステム部分やコアのルーチンだけで、ほとんどはivで動いていたのだ(サイズから考えると99.99%はアセンブラでなかったと思う)。
今回と次回はほぼ、このivだけの話になる。
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