2012-06-14 Thu [ Ysを作った頃 ]
ちょっと編集させてもらっているけれど、以下、現在(再度)頒布中のイースⅠ・Ⅱ製作メモについての覚書的修正ポイント。
memostaffcreditさんのツイートより。
ということらしい(;´ω`)
マジメな話として、魔境伝説をやってたときって、ワタルとか、エイリアンクラッシュとか、ダンジョンエクスプローラーの初期バージョンのチェックとか、パワーリーグの最後のほうとか、ものすごい本数を遊んでいたときなので、多分、どっかでアトラスと混ざってしまったのだと思う。
また、直す機会があったら修正する…ということで魔境伝説はアトラスではなかったのだろうと訂正しておきたい。
ありがとうですmemostaffcreditさん。
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memostaffcreditさんのツイートより。
『イースI・II製作メモ』に取り上げられている『魔境伝説』ですが、スタッフクレジットを見る限り、エイコムの当時の開発者の名前がずらずら出ています。
竹森得泰さん(のちにCPブレイン社長)、橋本茂徳さん(CPブレイン部長を経てデザイン会社の社長)、白谷守さん(サンリツ出身、のちにアトラスを経てアンブル社長)、阿部慶助(のちにレッドカンパニー)さんなど。
竹森さんはこの前に『ボンバーキング』を作り、白谷さん、阿部さんはこの後所属を変えて『PC原人』を作り出しています。『PC原人』はアトラス開発だったそうですから、「『魔境伝説』はアトラスだったと思う」云々の記憶は、もしかしてそちらと混同されたとか?
少なくとも『魔境伝説』のスタッフクレジットの中には、アトラス開発と思われるような記載はなかったです。
竹森得泰さん(のちにCPブレイン社長)、橋本茂徳さん(CPブレイン部長を経てデザイン会社の社長)、白谷守さん(サンリツ出身、のちにアトラスを経てアンブル社長)、阿部慶助(のちにレッドカンパニー)さんなど。
竹森さんはこの前に『ボンバーキング』を作り、白谷さん、阿部さんはこの後所属を変えて『PC原人』を作り出しています。『PC原人』はアトラス開発だったそうですから、「『魔境伝説』はアトラスだったと思う」云々の記憶は、もしかしてそちらと混同されたとか?
少なくとも『魔境伝説』のスタッフクレジットの中には、アトラス開発と思われるような記載はなかったです。
ということらしい(;´ω`)
マジメな話として、魔境伝説をやってたときって、ワタルとか、エイリアンクラッシュとか、ダンジョンエクスプローラーの初期バージョンのチェックとか、パワーリーグの最後のほうとか、ものすごい本数を遊んでいたときなので、多分、どっかでアトラスと混ざってしまったのだと思う。
また、直す機会があったら修正する…ということで魔境伝説はアトラスではなかったのだろうと訂正しておきたい。
ありがとうですmemostaffcreditさん。
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2012-06-13 Wed [ ゲーム作りライフ ]
なんだかんだでニュージーランドで仕事を始めて7ヶ月が経っていた。
気がついたら半年を過ぎていたわけで、時間の経つ早さに驚いてしまう。
ところで、最近、僕の受けたミーティングがあって、日本との違いを強く感じたことだったので、少しメモ代わりに残しておきたい。
それは何かというとニュージーランドの解雇規定の勉強。
当たり前だけど、スタジオのある場所はニュージーランドなのでニュージーランドの雇用の法律の制限下にある。だからスタジオで人を雇うなり、解雇するなりするのもニュージーランドの法律下にあることになる。ちなみに、雑にはニュージーランドの解雇規定はアメリカほど自由じゃないけど、ヨーロッパほど労働者よりでもない、中庸の国らしい。
で、あんたは管理職だから受けなされというわけで受けた講義なのだけど、日本とあまりに違うものでビックリした。
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気がついたら半年を過ぎていたわけで、時間の経つ早さに驚いてしまう。
ところで、最近、僕の受けたミーティングがあって、日本との違いを強く感じたことだったので、少しメモ代わりに残しておきたい。
それは何かというとニュージーランドの解雇規定の勉強。
当たり前だけど、スタジオのある場所はニュージーランドなのでニュージーランドの雇用の法律の制限下にある。だからスタジオで人を雇うなり、解雇するなりするのもニュージーランドの法律下にあることになる。ちなみに、雑にはニュージーランドの解雇規定はアメリカほど自由じゃないけど、ヨーロッパほど労働者よりでもない、中庸の国らしい。
で、あんたは管理職だから受けなされというわけで受けた講義なのだけど、日本とあまりに違うものでビックリした。
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2012-06-05 Tue [ 天外2製作メモ ]
1991年5月。
このころの天外Ⅱのコードを書く人間は、僕・長谷川君・藪の3人が、それぞれ「ビジュアル&コア」、「コア+メイン」、「戦闘+いろいろ」という構成でプログラムを組みつつ、外注のミューテックからきていたコード屋さん(二人)にivのスクリプトを頼むという構成になっていた。
つまり、コード屋はトータル5人体制の形で天外Ⅱは製作されていた。
そして、ある日、長谷川君がいった。
「このゲームさ、やばいんじゃないかな、岩崎さん」
「なんで?」
「僕らの想像を超えたサイズなんじゃないかな、と思ってさ」
僕は黙った。
長谷川君が言っていることは僕も感じていた。
長谷川君は続けた。
「ほらプログラム書いているとき、この修正は10分だな、これは5分だなと思いながら、ポストイット貼るじゃん?」
「このポストイットがさ、全然減らないんだよね。それどころか増えるばかりなんだよね」
確かにそのとおりだった。
僕のマシンのディスプレイも、長谷川君のマシンのディスプレイも、ポストイットで周囲が埋まり、それどころかデバッグ用のPCエンジンに繋がったモニタの周囲にもポストイットが貼られ、それでも足りずハードやデバッガを置くフレームにまで貼る騒ぎになっていた。
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このころの天外Ⅱのコードを書く人間は、僕・長谷川君・藪の3人が、それぞれ「ビジュアル&コア」、「コア+メイン」、「戦闘+いろいろ」という構成でプログラムを組みつつ、外注のミューテックからきていたコード屋さん(二人)にivのスクリプトを頼むという構成になっていた。
つまり、コード屋はトータル5人体制の形で天外Ⅱは製作されていた。
そして、ある日、長谷川君がいった。
「このゲームさ、やばいんじゃないかな、岩崎さん」
「なんで?」
「僕らの想像を超えたサイズなんじゃないかな、と思ってさ」
僕は黙った。
長谷川君が言っていることは僕も感じていた。
長谷川君は続けた。
「ほらプログラム書いているとき、この修正は10分だな、これは5分だなと思いながら、ポストイット貼るじゃん?」
当時、僕らはバグや修正するべきポイントはポストイットに書いて、それをモニタの周りに貼るという方法を使っていた。これはとてもいい方法で今でも使いたいぐらいなのだけど、モニタのベゼルがとても狭くなった今、少々難しいものはあって、しょうがないからoutlookのtodoやevernoteのtodoを使っているのだけど、ポストイットのような絶対の可視性がないのはイタいのだよね…
「このポストイットがさ、全然減らないんだよね。それどころか増えるばかりなんだよね」
確かにそのとおりだった。
僕のマシンのディスプレイも、長谷川君のマシンのディスプレイも、ポストイットで周囲が埋まり、それどころかデバッグ用のPCエンジンに繋がったモニタの周囲にもポストイットが貼られ、それでも足りずハードやデバッガを置くフレームにまで貼る騒ぎになっていた。
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2012-05-29 Tue [ 昔のこと ]
例によって、ときメモの時代を書いて思い出した、入れ忘れてて、入れにくい細かいエピソードなど。
作者ASUTYのこと。
ときメモの実質的なDirectorでメインプログラマでゲームデザインもある程度関係したヤツで、こいつがいなかったら『ときメモ』は間違いなく世に出ていなかったと思う…のだけど、まあなんというか、変なヤツだった…のはともかくとして、最初の印象は「え? コイツなにもの?」だった。
というのも、僕が大絶賛の書き込みをした後に、ASUTYの野郎は「ある種の状況だとときメモはバックアップ壊します、ひどいソフトですね」という書き込みをしたのだ。
どうもこれは全くの僕の記憶違いで、空にしないとサブゲームなどが保存できないぞ、ひどいぞという書き込みだったらしい
なので、勘違いだったのだけど、まあいいや、いまさら修正してもしょうがないので以下。
このバックアップメモリが壊れるのは、実はスーパーCDROMでBIOS書いた小林さんが入れた致命的なバグで、容量が一定以下のとき、ある種の事をするとぶっ壊れるって話なのだけど…まあ、今なら書いちゃってもいいだろうw
そいで天外2でも同じバグ抱えてたりするのだけど、問題なのは、それを知っていてて、かつ『ときメモ』がそのバグがある事を知っているヤツ、こいつは何者だと。
上が勘違いだったのだから、たぶんコレも内容を知っているってのは誰だだったんだろう
当然、マスターをプレイしていなくちゃいけないから、雑誌社のヤツか? と頭をひねりながら、しかし、この「ASUTY」という名前、どこかで見覚えが…と考えていて、はっと気がついた。
「スタッフロールに出てたやつじゃね!?」
あわてて、ビデオをチェックしてみると、そのとおり。(レビューの時には僕は参考にするためにビデオをずっと録画するのがクセだった)
この一連の騒動以来、ASUTYはniftyserveのfcgamemに居つき、僕らとバカ話チャットしたり、遊びまくるようになっていったのだった。
キャラクタを描いたこくら雅史君は、ゴーファーの野望の移植で、デザートコアだったか、ともかくボスを担当していたのだけど、ASUTYがチームの中で女の子をまともに描けるのが彼しかいない、というまさにたったそれだけの理由でムリヤリ描かせたと言っていた。
もうはるか遠い18年も昔の1994年の話である。
あと、連絡です(;´Д`) <= 見つかりました。
『ときめきメモリアルの時代』の通販に、f***excite.co.jp からメールを送ってくださった、名前の一文字目が「ハ」の方、メールボックスが一杯で返事を返せません。メールボックスをきれいにするか、他のメールアドレスから連絡ください(;´Д`)
作者ASUTYのこと。
ときメモの実質的なDirectorでメインプログラマでゲームデザインもある程度関係したヤツで、こいつがいなかったら『ときメモ』は間違いなく世に出ていなかったと思う…のだけど、まあなんというか、変なヤツだった…のはともかくとして、最初の印象は「え? コイツなにもの?」だった。
というのも、僕が大絶賛の書き込みをした後に、ASUTYの野郎は「ある種の状況だとときメモはバックアップ壊します、ひどいソフトですね」という書き込みをしたのだ。
どうもこれは全くの僕の記憶違いで、空にしないとサブゲームなどが保存できないぞ、ひどいぞという書き込みだったらしい
なので、勘違いだったのだけど、まあいいや、いまさら修正してもしょうがないので以下。
このバックアップメモリが壊れるのは、実はスーパーCDROMでBIOS書いた小林さんが入れた致命的なバグで、容量が一定以下のとき、ある種の事をするとぶっ壊れるって話なのだけど…まあ、今なら書いちゃってもいいだろうw
そいで天外2でも同じバグ抱えてたりするのだけど、問題なのは、それを知っていてて、かつ『ときメモ』がそのバグがある事を知っているヤツ、こいつは何者だと。
上が勘違いだったのだから、たぶんコレも内容を知っているってのは誰だだったんだろう
当然、マスターをプレイしていなくちゃいけないから、雑誌社のヤツか? と頭をひねりながら、しかし、この「ASUTY」という名前、どこかで見覚えが…と考えていて、はっと気がついた。
「スタッフロールに出てたやつじゃね!?」
あわてて、ビデオをチェックしてみると、そのとおり。(レビューの時には僕は参考にするためにビデオをずっと録画するのがクセだった)
この一連の騒動以来、ASUTYはniftyserveのfcgamemに居つき、僕らとバカ話チャットしたり、遊びまくるようになっていったのだった。
キャラクタを描いたこくら雅史君は、ゴーファーの野望の移植で、デザートコアだったか、ともかくボスを担当していたのだけど、ASUTYがチームの中で女の子をまともに描けるのが彼しかいない、というまさにたったそれだけの理由でムリヤリ描かせたと言っていた。
もうはるか遠い18年も昔の1994年の話である。
あと、連絡です(;´Д`) <= 見つかりました。
『ときめきメモリアルの時代』の通販に、f***excite.co.jp からメールを送ってくださった、名前の一文字目が「ハ」の方、メールボックスが一杯で返事を返せません。メールボックスをきれいにするか、他のメールアドレスから連絡ください(;´Д`)
2012-05-18 Fri [ ゲーム作りライフ ]
facebookに載せた文なんだけど、なんか人によっては嬉しいかなと思ったので、ちょっと書き直してブログにも載せておくことにした。
海外で一般的なゲームを作るときのプロセスについて。
自分が知ってる会社4つ、EA、UBI、TAKE2、ゲームロフトが全部こんな感じで進む(もしくは聞いて同じだと思った)ので、海外はこれがフツーなんだと思っている。
プロジェクトチームの構造などは、また別の話。
ちなみに僕は国内での仕事の最後はメディアワークス時代だ。
だから、最後に知っているのからですら5年以上経っているので、現在の国内でどういうプロジェクトの進め方をしているのかはよく知らない。だから、似たようなものなのかもしれない。
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海外で一般的なゲームを作るときのプロセスについて。
自分が知ってる会社4つ、EA、UBI、TAKE2、ゲームロフトが全部こんな感じで進む(もしくは聞いて同じだと思った)ので、海外はこれがフツーなんだと思っている。
プロジェクトチームの構造などは、また別の話。
ちなみに僕は国内での仕事の最後はメディアワークス時代だ。
だから、最後に知っているのからですら5年以上経っているので、現在の国内でどういうプロジェクトの進め方をしているのかはよく知らない。だから、似たようなものなのかもしれない。
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