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ドラゴンクエスト1(1)
実は発表するあてもなく、ゲームについて書いている文章がたまっているので、それをブログにでもアップしていくかという試み。一時「XXなゲームライフ」って同人誌を作っていて、それの延長上みたいなもの。
調査が甘く、記憶に頼って書いているところがあるので、間違いなどがあるかも知れない。
もし、そういう間違いがあったら教えていただきたい。
今回は「ドラゴンクエスト1」…その1。

ファミコンにおける、いや日本におけるRPGブームの火付け役であり、日本のRPGのほとんど全てに対しての、恐ろしいほど沢山の常識を作ったゲームである。
まさに日本の「コマンド型RPG」の元祖と呼ぶにふさわしいゲームなのだが『ドラゴンクエスト』(1986.5.27/ファミコン)について書くためには、まずなにより発売された時代の背景を知らなければならない(以後ドラクエ/DQ)。



ドラクエ発売より2年ほど前の1984年頃。ファミコンブームが始まるほんの少し前、パソコンではアドベンチャの時代が終わりを告げつつあった。この理由は、簡単に書くなら「文字探し」と「コマンド探し」、そして「詰まり」に飽きられたということに尽きる。
そこに登場したのがRPGだ。
火付け役になった要素は3つある。ひとつが当時ログイン(アスキーが刊行していたパソコンホビー誌)で、安田均氏(グループSNE代表。海外SFの翻訳者としても有名)が『ウィザードリィ』を紹介したこと。
それに加え、当時大ヒットした「E.T」で子供達がD&Dを遊んでいたシーンにより「RPGが新しいアメリカの遊び」と紹介されていたこと。
さらに前述したアドベンチャゲームが袋小路に入りつつあったことなどが組み合わさり「RPGがゲーム界の救世主」的に盛り上がっていたところへ、同時並行的に、安田氏の友達のSF作家達の間で『ウィザードリィ』が遊ばれたこともあり、一気に『ウィザードリィ=RPG』の図式が出来上がった(そして『ウィザードリィ』と並ぶ二大RPGとして『ウルティマ』の名前も輸入される)。

余談だが、ETで子供達が遊んでいたのは本格的なテーブルトークではないと思われる。当時、アメリカではD&Dが大ヒットしたことから、D&Dの派生として、様々な子供向けのボードゲームが発売されていたのだが、その中のひとつだと思われる。さらに余談だが、著名な翻訳家でもあり、なおかつSF作家でもある矢野徹氏などは『ウィザードリィ』にはまったあげく、本までもモノにしている。

そして「詰まり(ハマリ)」の存在するアドベンチャゲームに対する閉塞感から停滞していたパソコンゲームでは「アメリカではRPGが流行っている」という流れから、1983年末-1984年初めの『ブラックオニキス』の大ヒットにつながり、以降、急速にメインのゲームジャンルそのものがRPGにシフトし「売れるのはRPG」という時代になっていった。

「詰まり(ハマリ)」は本当に文字通りゲームが解けなくなり、そしてなぜ解けないかも分からない状態。バッドエンドだのゲームオーバーなんて甘いものではない。例えばZork1では卵を自分の手で割るだけでそうなる。そしてなぜそうなるのかが分からないと、絶対に解けない。あるゲームでは「ドラゴンスレイヤーを持っているだけでクリア出来なくなる」なんて恐ろしいトリックが仕掛けてあった。

さて、パソコンでブラックオニキスが発売され、急速にRPGが普及し始めたこの時代は、また「ファミコン」の普及の時代でもあった。
『スーパーマリオブラザース』や『ゼビウス』の大ヒットを背景に、ゲームの中心は高価なパソコンから、安価な家庭用ゲームマシンに急速に移動していくのだが、RPGだけは「パソコンの物」とされていた。
というのも、当時の中心ハードウェア、ファミコンはパソコンと比較してスプライト(画面上を自由に動かせるキャラクタ専用ハードウェア。パソコンでこれを持っているものはほとんどないか、それとも性能が悪いかだった)を持ち、スムーススクロールが出来、さらに安いながらも標準的に音源を搭載しと、ゲームをやるうえの基本性能は明らかに優れていたが、ことデータ容量と、プレイデータを記録するのは圧倒的にパソコンが有利だった。
というのも、パソコンは(その用途を考えれば当たり前なのだが)、ファミコンにはないフロッピードライブを(そろそろ標準的に)搭載していたのだ。

ここで言うフロッピードライブは3.5インチフロッピードライブではない。5インチフロッピー(ミニフロッピー)と呼ばれる一回り大きなフロッピーディスク。と書いても、そろそろ3.5インチ自体を見たことない人が現れそうだけど…

当時のファミコンで主流のROMカセットは、だいたい8~16キロバイト。大きなモノでも32キロバイト程度。それに対して当時の標準的なフロッピーは320キロバイト程度。比較すると10倍から32倍の容量があることになる。しかもパソコンゲームでは、フロッピーを2-3枚で使うのが当たり前だったので、実際には30ー100倍ぐらいの容量がある感覚だったことになる。
(ちなみに、32キロバイトで、CDROMの2万分の1、DVDの13万分の1程度の容量。比較しているパソコンのフロッピーですら、CDROMの1/2000程度の容量でしかない)
しかも、フロッピーディスクは記録(書き込み)可能だったが、ファミコンのROMカートリッジには「セーブするための領域」が一切なかった。そして、RPGは経験値やその他のパラメータなど、記録しないといけないデータが非常にたくさんあるゲームだったので「ファミコンではとても実現できない」と思われていたわけだ。

今のSDカードなどに使われている「フラッシュ」に代表される<記録した結果を電気なしで保持できる半導体>は、当時は実質存在しなかった。なのでバックアップを実現するためには、高価なCMOSのRAMをカセットに載せ、それをバッテリーで保持することが必要だった。だから、ファミコンでは<記録>は出来なかったわけだ

ところが、それを乗り越えてファミコンに移植されたRPGが現れた。それが『スーパーハイドライド』(オリジナルはパソコン。T&Eソフト。現在ではウィンドウズの復刻版でならプレイ可能)である。『スーパーハイドライド』は、なんと経験値などのデータをパスワードにする方法で、コンティニューを行えるようにしたのだ。
やり方としては乱暴な方法だし「記録する物が増えると、パスワードも伸びる」という世にも恐ろしい事実があるのだが、とにもかくにもこれで「RPGはプレイ可能」と実証され、バックアップのないファミコンでも「RPG」を移植しうると認識されたわけだ。

要は持ち物やその他いろいろなものを、数字から文字に変換しているだけなのだから、持ち物やパーティの人数が増えればパスワードも長くなることになる。典型的な例としてはドラゴンクエスト2。

ところで、当時、任天堂はディスクシステムを推進しており、これは記録可能な比較的大容量メディアだったのだから、これを使えばRPGが出来るではないかという話になるのだが、はっきり書くならディスクの書き換えでのメーカーの利益があまりに低かった。新作を書き換え500円で売られてはたまらない。しかもディスクシステム自体も本体と比べれば普及しているとは言い難かったため、あまりメーカーはソフトを作りたがらなかった。
そして皮肉な話だが、この書き込み可能なメディアは、宣伝していた「大容量」がせいぜい128キロバイト(しかも両面の入れ替え式で片面64キロバイト)だったため、容量増大の著しかったROMに簡単に容量は追い抜かれ、しかもカートリッジのバッテリバックアップが標準化したために書き込み可能のメリットも奪われ、最後には拡張音源ぐらいしかアドバンテージは残らず、寿命を終えることとなった。

ディスクシステムで使われていたディスクはクイックディスクと呼ばれるモノで、ミツミと日立が開発したディスク…というところまでは良く知られているが、実は次世代フロッピー候補の一つだったのは、ほとんど知られていないだろう。
ともかく低価格なのが特徴で、当時のシャープのパソコンのシリーズの一つ、MZシリーズなどにも搭載されたが、ランダムアクセスがない、両面なのが扱いにくいなどの理由で主流になれないまま寿命を終えた。でも当時のシャープの担当と話をしたクリーミィ岡村は「シャープの人は初めて理想のクリーンコンピュータが実現できた!って担当の人は喜んでましたよ」って言ってた。
あと、これに加えて、3.5インチディスクと3インチディスクの3つが次世代フロッピーの争いをしたわけだが、結局勝利したのは3.5インチだった。

と、まだRPGは新しいジャンルで、そしてファミコンは今まさに普及している真っ最中、絶頂期に向かって一直線で進んでいる、そのような時代を背景に『ドラゴンクエスト1』は登場することとなった。
(なお、ドラゴンクエスト1の名誉のために付け加えておくと、時期的に見るとハイドライドと平行して開発されていたと想像されるので、ハイドライドを見て作れると思ったなどということはなかったと思われる)

続く。これ、まだ3倍ぐらいあるんだよね…
|| 21:30 | comments (5) | trackback (0) | ||

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コメント
>> touya 様
間違ってませんよ。僕は当時、既にユーザー&アマチュアの作り手ですからその時代は良く知っていますw
| 岩崎 | EMAIL | URL | 11/09/11 15:40 | GrHP1aYc |
楽しく見させてもらいますが、「ハイドライド」がとセーブ方法が出たのでご参考までに、
当時MSX2でスーパーハイドライドをプレイしていたのですが、セーブ方法は磁気テープ(カセットテープ)にしていました。
拡張端子に専用の装置を繋げて音声データとして記録する感じです。
一時期はゲームはカセットテープで販売されていました(PC6800とかの時代ですね)
これが実はのちのちメーカーとしては厄介な事(ROM以前の話)でダブルラジカセで容易にコピーできてしまう状態でした。
ちょっと気になったのでコメントしてみました。
間違っていたらすみません
| touya | EMAIL | URL | 11/09/06 09:33 | cXGJmNds |
ゼルダは曖昧ながらもRPGとして宣伝はされてました。
まあ「ドルアーガがRPGならゼルダもRPGじゃね?」ぐらいのノリですねw

また、ドラクエ1は「熱狂的」に売れたわけではないです。
あくまで知る人ぞ知るのレベルで、次出て欲しいなあというのが2で爆発する、という流れです。ただ、これは当時の雑誌のライター・編集・またゲームを作る人間の間では「突き抜けた面白さのゲーム」として把握されてました。
| 岩崎 | EMAIL | URL | 11/09/02 22:41 | aJX35.5k |
ディスクシステムと言えば、ゼルダの伝説は「RPG」として認識されてましたっけ?

ハイドライドに関しては、友人のX1turbo版を先に体験しておりましたが
「これが海外で人気のRPGでござい」というような扱いでも無かったように記憶してます。
(まだ小学生だし、子供だったのでゲームジャンルとかは特に意識してませんでしたが)

なので、ゼルダとかドルアーガあたりの体験は「FCでもハイドライドみたいなのができるんだ」みたいな受け入れ方だったような気がします。
謎の村雨城なんかはジャンル違い、という訳でもなかったようにも思いますし。
「ARPG」なるゲームジャンルが成立して認識されるのって結構後ですよね。

DQ1発売当時に関しては、「ついにFCでRPGが!」というような衝撃が
あまり無かったように思うんですが・・・
ファミマガの新着情報の記事をなんとなく覚えていますが、割と地味な扱いでした。
どちらかと言えばジャンプなんでしょうけど、ジャンプ誌上でもそれほどでもなかったような。

周りのFCユーザー連中が皆DQ1に夢中になってる、という状況は
少なくとも私の周りではありませんでしたね。DQ2以降だったように思います。
この辺、Wiz等の知識のある、年齢層が比較的上のFCユーザーは違ったんでしょうか?
| atsu | EMAIL | URL | 11/09/02 12:55 | EnmY2ESs |
スーパーハイドライドではなくハイドライドスペシャルですね。
スーパーハイドライドはハイドライド3のメガドラ移植版です。
| 通りすがり | EMAIL | URL | 11/08/31 22:04 | WIW.CBvM |
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