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FF10の話(4) - FFⅦ・その2 三人称の確立
FF10の話を書くシリーズの第4回。

シリーズは以下。
FF10の話(1) - それは1991年から始まった
FF10の話(2) - ヘラクレスの栄光Ⅲの衝撃
FF10の話(3) - ファイナルファンタジーⅦ・その1

前回の最期で、『FFⅦ』こそが映像ドラマの手法でストーリーを語るゲームが完全に確立した瞬間だったのだけど『FFⅦ』にはもうひとつ特徴があった。
それはもともと三人称でストーリーを肩越しから見てる印象が強かったFFシリーズが、完全に三人称のスタイルを確立したということだ。

と、最後に書いたけれど、これを原理的なところから話を進めていきたい。

もともとRPGが登場した時、どんなゲームかを説明する言葉として「自分が主人公になって冒険できるゴッコ」というような表現をされることが多かった。
言い換えるなら「プレイヤーがそのまま映画とかの主人公になれるゲーム」。この説明はとてもわかりやすくて、受け入れやすいものだった。

だから初期のRPGでは「プレイヤーキャラクタが喋らない」のがいいとされていた。
プレイヤーがそこにいるのだから、プレイヤーの意思にそぐわない何かをしゃべらない…というわけだ。
そして今でも「RPGってのはなあ」と、この伝統的なオールドスタイルのRPG観をしたり顔で押し付けるゲーマーもいたりするわけだが、それはともかく、この伝統的なスタイルは、ストーリーが複雑になるに従って、イロイロ困ったことが起こる。


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|| 22:16 | comments (2) | trackback (0) | ||

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