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決戦前夜(5) - 収縮~決戦前夜(終)
前回はコレ
過去記事の集合体はコレ

このテキストは1999年『ときめきメモリアル2』が発売される前、コンシューマにおけるギャルゲーブーム終焉が見えてきたとき書いた同人誌に若干の訂正やコメントを加えたものだ。
もともとはTwitter上の会話で @matsushita99 さんとときメモの話になったときに、この同人誌の内容に触れたら、ヤフオクで探すとか言われ、別にそれほどの本じゃないし古い本だからアップしますよ、ということでこまごまと見直して、新たにコメントなどもつけつつアップロードしていくことにした。
新たなコメントは【注】、最初からあったコメントは【原注】と表記している。

また本文は、自分的には直したいところが一杯あるのだが、資料的な意味合いもあるので、誤字脱字および一部の表現を除いて、修正はしていない。

■■■

収縮
 『ときめきメモリアル』の大成功を見て、まさに雨後の筍のように、ギャルゲーは次から次へと発売され続けた。
 『ヒロインドリーム』、『エターナルメロディ』、『悠久幻想曲』、『トゥルーラブストーリー』、『久遠の絆』、『センチメンタルグラフティ』、『サクラ大戦1/2』、パソコンの移植…その他、名前も覚えきれないたくさんのゲーム。
 パソコンのエロシーンの方が従で、ストーリーやイベントを主に置いているタイプの18禁ゲーム、『雫』や『痕』、はたまた『Piaキャロットへようこそ』、『下級生』などなど、その手の物もそれなりのヒットを飛ばしていた。
 それぞれのゲームにファンがつき、誰が好きだとか、誰に萌えるだとか、そんな話題がインターネットでもニフティの会議室でも、普通に見られるようになった。

 だが、それらのファンを横目に見ながら、僕はそれらのゲーム群に対して、熱狂的に面白いと思ったことは一度もなかった。
 それどころか、それらのゲームをプレイすると、たいていは腹が立つばかりだった。
 中学生の感想文の出来損ないのような誤字・脱字、そして「てにをは」すらおかしい文章を読まされて感動しろと言われても困るどころか、腹が立つのは当たり前だ。
 乱数で決定され、リセット以外では変更することも出来ないデートスケジュールで、日本全国を走り回されるゲームに対して怒りたくなるのは当たり前だ。
 なんの伏線もヒントもなく、メチャクチャな選択肢を選ばされ、あげくの果てには、登場人物が足りないだけでクリア出来なくなるゲームに怒りたくなるのは当たり前だ。
【注】 ここに書かれている内容のゲームは全て実在し、全てプレイしてかつクリアしたゲームばかりだが、タイトルについては武士の情けなので書かない。


 実は、今書いたことは『ギャルゲー市場がなぜ収縮したのか?』を如実に説明している。
 収縮と書いたが、その通り。
 現実はシビアなのだ。
 ギャルゲー市場は『ときめきメモリアル』をピークに収縮し続け、もはやコアのファンしか残っていないニッチな市場なのは売り上げを見れば明らかだ。
 『ときめきメモリアル』のPS版がハーフミリオン(50万)。
 今のギャルゲーと呼ばれるゲームは10万本を越えれば大ヒット、普通は売れて5万、運が良くて8万が関の山で、この数字から突き抜けて売れたゲームは『サクラ大戦』ぐらいの物だ。
 PSが成熟期を通りすぎ、もう市場としては終わりに近づきつつあるのは事実だが、他のジャンルなら(実質的に滅びてしまった2次元シューティングのような古のジャンルを除いて)、今だって20万や30万という数字を出すソフトはゴロゴロしている。
 ちょっと出来が良ければ、50万を越えることだって、そんなに不思議はない。
 100万越えをするソフトだってまだまだある。
 だが、ギャルゲーは10万本。20万を越えたギャルゲーは『ときめきメモリアル』と『サクラ大戦1/2』を除いて、実質皆無。
 『ときめきメモリアル』で得たはずの40万人の市場は雲散霧消して、どこかに消えうせてしまったのが現状なのだ。
 どうしてそうなってしまったのだろうか?

【注】 ここで書いている本数を見ると隔世の感がある。今では20万・30万なんて数字を叩き出せば、もうヒット、それも中堅どころ以上で、どれだけコンソールゲームが売れなくなったのか良くわかる。
ところが、ここで書いた5万本という数字は10年経っても、まだ使えるようで、まともなギャルゲーを作り、一応話題になると5万本前後売れる。もちろん10年前の話なのだからユーザー層は入れ替わっているはずで、逆に考えると「(不思議なことに)常時5万人ぐらいがギャルゲーを買ってくれる」らしい。



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決戦前夜(4) - そして発売へ
前回はコレ
過去記事の集合体はコレ

このテキストは1999年『ときめきメモリアル2』が発売される前、コンシューマにおけるギャルゲーブーム終焉が見えてきたとき書いた同人誌に若干の訂正やコメントを加えたものだ。
もともとはTwitter上の会話で @matsushita99 さんとときメモの話になったときに、この同人誌の内容に触れたら、ヤフオクで探すとか言われ、別にそれほどの本じゃないし古い本だからアップしますよ、ということでこまごまと見直して、新たにコメントなどもつけつつアップロードしていくことにした。
新たなコメントは【注】、最初からあったコメントは【原注】と表記している。

また本文は、自分的には直したいところが一杯あるのだが、資料的な意味合いもあるので、誤字脱字および一部の表現を除いて、修正はしていない。

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そして発売へ

「あのさあ、ナベピー、『ときめきメモリアル』なんだけど」
「ああ、岩崎さん、どうですか?」

 当時、電撃PCエンジンのレビュー担当だった、渡邊君が心配そうな表情で聞いた。
 そりゃそうだ。いくらコナミとはいえ、ギャルゲーだ。45点とかつけられてはシャレにならないと思ったのだろう。
「いや、ホントに100点つけようかと思っているんだけどさ」
「えっ!」
「あれ、すげぇゲームだよ。とんでもないよ」

 僕は一気にまくし立てた。とんでもなく興奮していた。睡眠不足もいいところだったが、そんな事は、どうでもよかった。
「でもさあ、エンディングが入ってないんだよ。まあ、あのゲームを作った連中ならエンディングがヘボってことはないと思うんだけど、絶対の自信を持ちたいんだよね。だから、コナミの早坂さんにエンディングの入ったROM手配してもらうように言ってくれる?」
「え? エンディング入ってなかったんですか? じゃあすぐに手配します」



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決戦前夜(3) - レビュー、始まる
前回はコレ
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このテキストは1999年『ときめきメモリアル2』が発売される前、コンシューマにおけるギャルゲーブーム終焉が見えてきたとき書いた同人誌に若干の訂正やコメントを加えたものだ。
もともとはTwitter上の会話で @matsushita99 さんとときメモの話になったときに、この同人誌の内容に触れたら、ヤフオクで探すとか言われ、別にそれほどの本じゃないし古い本だからアップしますよ、ということでこまごまと見直して、新たにコメントなどもつけつつアップロードしていくことにした。
新たなコメントは【注】、最初からあったコメントは【原注】と表記している。

また本文は、自分的には直したいところが一杯あるのだが、資料的な意味合いもあるので、誤字脱字および一部の表現を除いて、修正はしていない。
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レビュー、始まる
 サンプルをもらった日の夜、僕は『ときめきメモリアル』を始めることを引き伸ばしていた。
 いかに詰まらないゲームだらけの世の中で、そしてそれをやるのも仕事とは言え、面白くはなさそうなゲームを進んでプレイすることなんて出来やしない。
 ましてやパラメータ操作タイプのシミュレーションゲーム(SLG)で、3年間の学生生活を通して、キャラクタを育てるゲームなのだ。時間がかかるのは必定で、時間を取られるのは猛烈にイヤだった(今でも変わらないが、電撃のレビューはクリアを目標としているので、猛烈に時間がかかる)。
 当然やりたくないから、ウダウダと『Final FantasyVI』をやり続けていたが、プレイを始めなければ当然仕事は終わらない。
 諦めてCDROMを突っ込んでプレイを始めると…いつもの通りコナミのロゴが表示された。だが、いつもの曲は鳴らず、なんと女の子の声で「コナミ~」と喋り出した。
 余りのことに、僕はTVの前で固まった。だが、その程度では終わらなかった。

「すきぃとかぁ~♪ きらいとかぁ~♪ 最初に~♪~言い出したのは~」

 まるでアイドルミュージックのような旋律と共に主題歌が流れ出し、藤崎詩織(と資料で知っていた女の子)が化粧をするビジュアルが始まったのだ。
 あの『グラディウス』などを作っていた硬派メーカーがこんな物を作るとは――
「コナミも終わったな」
 だが、レビュワーってのはクソゲーにもタフじゃないと務まらない。
 こんなゲームも今まであった。ただ、そのメーカーがたまたまNECアベニュー(現NECインターチャネル)や日本テレネット(最近では自社ブランドではソフトは出していない、一時ムービーで売ったメーカー)ではなく、あの硬派なコナミが出したというだけだった。
 それに、目の前に流れているビジュアル(ムービーに対応する部分だが、当時はムービーとは呼ばれなかった。それも当たり前で、専用のカスタムプログラムでアニメをコントロールする代物だったのだ)は恥ずかしいという一点を除けば、技術的にもかなり見事な物だった。少なくとも、アニメを売りにしていた日本テレネットなどよりはよほど見ごたえのある代物が動いていた。

【注】
■クリアを目標…
今の(2010年)ゲームのサイズでは無理だと思う。ただそれでもウォルフはクリア率が半分近くあったはず。
■諦めてCDを突っ込んで…
PCエンジンのCDROMは「全くプロテクトがない」のでCD-Rがそのまま製品のPCエンジンで動いた。まあ当時、CDがほいほいコピー出来るご時世になるなんて誰も考えていなかったからだが。
■NECアベニュー
NECアベニュー → NECインターチャネル → インターチャネル/ホロン(現)
■日本テレネット
日本テレネット → ウルフチームにブランド統一 → 2007年実質倒産



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|| 21:37 | comments (3) | trackback (0) | ||

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決戦前夜(2) - 1994年春
前回はコレ
過去記事の集合体はコレ

このテキストは1999年『ときめきメモリアル2』が発売される前、コンシューマにおけるギャルゲーブーム終焉が見えてきたとき書いた同人誌に若干の訂正やコメントを加えたものだ。

もともとはTwitter上の会話で @matsushita99 さんとときメモの話になったときに、この同人誌の内容に触れたら、ヤフオクで探すとか言われ、別にそれほどの本じゃないし古い本だからアップしますよ、ということでこまごまと見直して、新たにコメントなどもつけつつアップロードしていくことにした。
新たなコメントは【注】、最初からあったコメントは【原注】と表記している。

また本文は、自分的には直したいところが一杯あるのだが、資料的な意味合いもあるので、誤字脱字および一部の表現を除いて、修正はしていない。

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1994年 春
 1994年になっても「コナミのギャルゲー」を見ることは全くなかった。
 このあたりは、若干記憶が不確かなところなのだが、2月・3月と全くサンプルの姿を見ることなく、そしてどの雑誌も大特集など全くすることなく、むろん、注目されることもなく時は過ぎていったのは間違いない。
 それも当たり前だった。
 1994年になると、93年末に発売された松下の3DOを皮切りに、ソニーのプレイステーション(PS)・セガのサターン(SS)などが発表され、いわゆる「次世代ゲームマシン戦争」が勃発していたのだ。どの雑誌も、今までのゲームマシンとは比較にならない飛躍した表現能力に夢中になっていた。
 また、その表現の基本がどちらも3D(ポリゴン)になっていた事(特にPSは3次元に特化した、これからのゲームは3Dだとまで言っていた)と、それまで日本ではさっぱり3次元は受けなかったこと、さらにソニーがゲーム業界の新参者で、おまけに流通改革まで打ち出すと公言していたのだから、成功する・いや失敗だと大変な騒ぎになっていたのだ。

【注】
今(2010)からは信じられない話だが、日本では3Dゲームはどれもこれも売れなかった(任天堂が大宣伝をしたSFCのスターフォックスすら大ヒットとは言い難い)。
そのため「アニメやマンガを見慣れている日本人は3Dゲームが嫌いなのだ」ということをまことしやかに言う評論家すらいた。
そして「これからのゲームは全て3Dになる」と断言したSCEを小馬鹿にする中堅以上の業界人は多かった。



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|| 13:59 | comments (8) | trackback (0) | ||

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決戦前夜(1) - 承前と1993年冬
このテキストは1999年、「ときめきメモリアル2」が発売される前、コンシューマにおけるギャルゲーブーム終焉に書いた同人誌の内容に若干の訂正やコメントを加えたものだ。
もともとはTwitter上の会話で @matsushita99 さんとときメモの話になったときに、ヤフオクで探すとか言われ、別にそれほどの本じゃないし、古い本だからアップしますよ、ということでこまごまと見直して、コメントなどもつけつつ、アップロードしていくことにした。



1994年4月19日19:06 ニフティサーブ
ここには既にアップロードした、ニフティへ投稿した書き込みが入っていたので、リンクのみを張っておく。

 この文章を書いてから5年が過ぎた。
 読み直すと、なんともダメな気恥ずかしい文章で、とてもプロのライターが書いたとは信じられない代物で――
 え? 今だって同じような物? 余計なお世話だ!
 ――汗顔のいたりだが、それでも自分が、当時どれだけ熱狂して書いていたのか、そしてどんな気持ちだったのか、昨日の事のように思い出せる。
 レビューでプレイを終了した直後、マイナーなPCエンジンスーパーCD(NECホームエレクトロニクスのハード)で、あまり注目されずに消えてしまうことを余りに残念に感じ、少しでも沢山の人に遊んでもらいたいたいくて、レビュー本文を書くと同時にしゃかりきになって、ニフティにアップする文章を書いたのを思い出せる。
 だが――振り返ってみるとに、皮肉な話だが『ときめきメモリアルからの悲劇(とあえて呼ぶ)』はまさにこの文章を書いた瞬間から始まったと思う。
 5年経った今、それがどうして起こり、何をもたらしたのか、はっきり人に説明できるようになった。
 だから、全てをまとめて、話をしてみよう。


発行は1999年なので、5年ということになる。この当時の自分の文体を見ると、なんとも大げさな言葉を並べていて(自分的には)修正したいのだけど、オリジナルに忠実にしておく。
また、タイトルの『決戦前夜』は言うまでもなく金子 達仁氏の「決戦前夜 - Road To FRANCE」のモジリである。



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|| 22:42 | comments (2) | trackback (0) | ||

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