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決戦前夜(2) - 1994年春
前回はコレ
過去記事の集合体はコレ

このテキストは1999年『ときめきメモリアル2』が発売される前、コンシューマにおけるギャルゲーブーム終焉が見えてきたとき書いた同人誌に若干の訂正やコメントを加えたものだ。

もともとはTwitter上の会話で @matsushita99 さんとときメモの話になったときに、この同人誌の内容に触れたら、ヤフオクで探すとか言われ、別にそれほどの本じゃないし古い本だからアップしますよ、ということでこまごまと見直して、新たにコメントなどもつけつつアップロードしていくことにした。
新たなコメントは【注】、最初からあったコメントは【原注】と表記している。

また本文は、自分的には直したいところが一杯あるのだが、資料的な意味合いもあるので、誤字脱字および一部の表現を除いて、修正はしていない。

■■■


1994年 春
 1994年になっても「コナミのギャルゲー」を見ることは全くなかった。
 このあたりは、若干記憶が不確かなところなのだが、2月・3月と全くサンプルの姿を見ることなく、そしてどの雑誌も大特集など全くすることなく、むろん、注目されることもなく時は過ぎていったのは間違いない。
 それも当たり前だった。
 1994年になると、93年末に発売された松下の3DOを皮切りに、ソニーのプレイステーション(PS)・セガのサターン(SS)などが発表され、いわゆる「次世代ゲームマシン戦争」が勃発していたのだ。どの雑誌も、今までのゲームマシンとは比較にならない飛躍した表現能力に夢中になっていた。
 また、その表現の基本がどちらも3D(ポリゴン)になっていた事(特にPSは3次元に特化した、これからのゲームは3Dだとまで言っていた)と、それまで日本ではさっぱり3次元は受けなかったこと、さらにソニーがゲーム業界の新参者で、おまけに流通改革まで打ち出すと公言していたのだから、成功する・いや失敗だと大変な騒ぎになっていたのだ。

【注】
今(2010)からは信じられない話だが、日本では3Dゲームはどれもこれも売れなかった(任天堂が大宣伝をしたSFCのスターフォックスすら大ヒットとは言い難い)。
そのため「アニメやマンガを見慣れている日本人は3Dゲームが嫌いなのだ」ということをまことしやかに言う評論家すらいた。
そして「これからのゲームは全て3Dになる」と断言したSCEを小馬鹿にする中堅以上の業界人は多かった。



 それに加えて、PSは開発環境の基本言語を高級言語、Cに置いたことも話題となっていた。
 当時主流のゲームマシンはスーパーファミコン、PCエンジン、メガドライブだったが、どれもこれも極めて貧弱なマシンパワーしかなかった。そのため、ゲームを作るためにはアセンブラ(極めて原始的な言語で、デバッグは大変だし作るのも大変。もー面倒臭い代物である)プログラムを組み立てるのが当たり前だった。
 そして、ハンパなゲーマー達は「アセンブラの方がハードウェアに密着しているので、パフォーマンスが出る」事実をハンパに知っていた。
 しかもだ。
 一部の頑迷な社長(具体的にはセタの社長)が「ゲームマシンのプログラムってのは、職人がアセンブラで組む物で」などとのたまっていたのだから、騒ぎに拍車がかかっていた。
(それで大ヒットするなら、セタのゲームはどれもこれも大ヒットになるはずなのだが、むろん『エグゾーストヒート』だろうがなんだろうが、大ヒットなんかしちゃいない。バカ言うな)
 当時、まことしやかに言われてきた事に「PSはアセンブラが使えない」なんて記事まであった。むろん、ちゃんとしたプログラムをやる人間なら、そんな馬鹿馬鹿しいことは一笑に伏すレベルの事なのだが、これを信じる人間もいた。
 それどころかゲームラボ・ゲーム批評などのゲームイエロージャーナリズムとも言うべき雑誌では、PSのプログラムを組んだことがないのが丸分かりの、しかも途方もなくレベルの低いプログラマに座談会などをさせて、大嘘を喋らせていたのだから、呆れてしまう。
【注】
これが全くの事実なのが情けない。だいたいgccを開発環境として使っていることが公表されていたから、それだけでアセンブラを使えないは嘘だとわかってしまうわけで、いまだもって信じられないのだが、座談会に出ていたプログラマとやらは、どこの何者だったのだろう、とギモンに思っている。

 ついでに書けば、アセンブラを使えば、パフォーマンスは上がる、というのすら神話に過ぎない。というのも、RISCでは遅延分岐や多量のレジスタにより、ヘボなプログラマがマクロだらけで組んだアセンブラプログラムよりも、十分に最適化されたCのプログラムを賢いコンパイラがコンパイルする方が、よほど速かったりする。

 一般週刊誌にまでその流れは飛び火し「次世代ゲームマシン戦争勃発」などの扇情的な見出しが踊り、ゲームマシンの2大勢力、セガと任天堂、そしてソニーは本当に注目されていた。

【原注】
●C言語
 デニス・リッチーとブライアン・カーニハンとケン・トンプソン(UNIXを作った神様の様に偉いベル研究所の人達)が作り出した言語で、今のプログラム言語の主流の一つであるC++(シープラスプラスと発音する)の先祖。アセンブラに対応し、高級言語と呼ばれる。BCPLと呼ばれる言語(一般にはBとして知られる)から発展したので、Cと呼ばれる。マシンに依存したハードウェアに非常に近い部分のプログラムから、高度で抽象的なプログラムまで組み立てる事が出来る上に、仕様が小さく、実用的に作ってあったので大ヒットになった。
●RISC
簡単な命令しか持たない代わりに、速度を向上したのがウリのCPU群を総称する言葉。対応する反語としてCISCがある。今では、その設計思想が主流となっている…というか、さらに進んでいる。


 PCエンジン雑誌も例外ではなく、NECホームエレクトロニクスが出すはずの次世代マシン(後に、これはPC-FXとして発売されるがPCエンジンと比較すると、かなり無惨な失敗をすることになる)なども絡め、毎号のように特集されていた。
 むろん、当時のゲーム業界の覇者、任天堂がこの波に乗り遅れるはずもなく、言うまでもなくN64の開発を示唆し、他社の動きを牽制すると同時に「あんなのはマニアだけのマシンだ。10万以上売れたら社長を辞める」と山内社長はのたまっていた。
 約束どおり、社長をお辞めになったら、いかがかと僕などは今でも思うのだが(笑)

【注】
もちろん山内社長はこの後も辞めなかったが、任天堂は覇者の座から転がり落ち、以降N64>GCと据え置き機では連敗することになる。


 そんな大騒ぎが起こっていたのだから――どうでもいいコナミのギャルゲーに注目する人間など誰もいなかったし、さらにいうなら、体験版以降、まともに広報用資料は出てこなかったから、仮に注目する人間がいたところで、記事を書くことが出来るわけもなかった。
 次世代機を巡ってテンヤワンヤの続く中、本当に3月も終わりになって、突然コナミからサンプルROM(正確にはサンプルCDROMだが)がやってきた。実質的に完全にプレイ出来る状態のゲームだった。

 今でも覚えている。
 会社の攻略用の机の前で、見たこともない変なゲームをライターがプレイしていた。
 画面の中には、周囲を取り囲んだ女の子が、トラックの中にチョコを投げ込むグラフィックが表示されていた。漏れ聞こえてくる音声から、どうやらバレンタインらしい、と想像がついた。
 僕は、なんて大げさな漫画的な表現だろうと思いながら聞いた。
「ねえ、これ何?」
「これ、コナミの『ときめきメモリアル』ってギャルゲーっすよ」
「面白い?」
「いや、面白いっすよ」

 てな会話が交わされたのだが面白いを字義通りの面白いとは思わなかった。
 というのも、このライターの言った「面白い」には、ライター仲間では通じる「これ、一般性あるのかなあ」とか「オレは面白いとは思っているのだが、どうにも良くわからないところがあるから、微妙だなあ」てな意味合いが込められていたのでどうかなと思ったのだ。

「で、これ、レビューに来るの?」
「来るらしいっすよ。もうほとんど出来てますしね」
「ほとんどって、いつ発売だっけ」
「5/27っすよ、岩崎さん」


 発売日を覚えちゃいなかったのがバレバレの会話なのだが、それはともかくとして、その言葉通り、4月(5月発売なので4月)に『ときめきメモリアル』はレビューされることになった。
 問題は「誰がレビューをするか?」だった。

【原注】
 ライターを長くやると、「オレ的に好きなゲーム」、「売れそうなゲーム」、「一般受けしそうなゲーム」などが分離し始める。要はゲームを自分の好き嫌いとは別に見るようになるということだ。
 これが出来ないようならライターなど止めたほうがいいって話でもあるのだが(苦笑)
 そしてライター同士では、たいていこれを前提にして話をする。


 当時の電撃PCエンジンのレビューは、それぞれのレビュワーが1本ずつメインとなるソフトをまるまる1ページ使ってたっぷりと文章を書き、それ以外のソフトはファミ通とか、電撃プレイステーションのように短い文章でレビューする形式だった。
 簡単にいえば、1本のソフトを「4人分の短いレビュー+1人の長いレビュー」で評価する方法だったわけだ。

 この方法で、当時最も評価の厳しかった僕にクソゲーを渡そうモノならば、いかにクソゲーであるかを長々と説明することになり、編集部はとても困ってしまうことになる(電撃のレビューでは、ライターのつけた点数と大幅に違う点がつく・違う文章が要求されるといったことはないので、そういう事が起こる)。
 そこでメインのゲームは最初に僕が選ぶのが暗黙の了解になっていた(このあたりはある意味、大人の事情って奴だ)。
 その月の他のソフトはというと、徳間インターメディアの『初恋物語』(良くは覚えていないのだが、当時はまだ発行されていたパソコン誌テクノポリスの主導で出来たパソコンゲームの移植だったと思う)とナグザットの『風霧』だった。

「で、岩崎さん、どれにしますか?」
 当時のレビュー担当の渡邊君が少しビビりながら聞いた。
「んー…『ときめきメモリアル』にしとくよ。腐ってもコナミだし、今までの外れは『マーシャルチャンピオン』だけだしね」
「じゃあ、よろしくお願いします」


 こうして、僕は『ときめきメモリアル』をレビューすることになり、サンプルROMを家に持って帰ることとなった。

【原注】
 11年もやったレビューだが、その中で一番やりやすかったのは電撃PCエンジンの後期の形式だった。思った事を思うだけ書けるし、ファミ通や電撃PSのような短いレビューもあるので、実にいい形式だったと思う。
 まあ、マイナーマシンであるPCエンジンで、ソフトの数が出ないから出来たことでもある。PSでこれをやったら、ページ数がどれだけあろうと足りやしないのだが…


【注】
ちなみに『初恋物語』はともかく、ナグザットの『風霧』はストライダー飛竜風のアクションゲームとしては結構出来がいい。
ただ風霧もギリギリまでサンプルが来ておらず、やはり内容がよくわかっていなかった(もちろんアクションなのは知っていた)ため、最初に初恋物語はまずいだろうと思って回避を決めたところまでは簡単だったが、風霧かときメモかは迷った。風霧のサンプルがもう少し早く来ていて、自分が内容を知っていたら、それなりに出来がいい風霧をレビューしていた可能性はあるので運命はあるのかなと思う。

|| 13:59 | comments (8) | trackback (0) | ||

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コメント
>>はちはちさん
>そういった「ガンバリ度」という指標で評価するならマジカルチェイスを1番に挙げます。

あーあれは素晴らしい出来のソフトですね。
ちなみにあのソフトはQUEST制作でして、ファイナルファンタジータクティクスなどを作った有名クリエイター松野さんがデバッグに入っています。

(本人からSTGの下手な松野さんがクリア出来るのがバランスの目標だったと聞きました)
| 岩崎 | EMAIL | URL | 10/05/24 16:08 | svQmBX8. |
>はちすけさん
過去の記事で投稿欄の名前まで読んでなかったので名前が被っててすいませんw
この先の投稿はハンドル名変えますの。

>あれはアーケードからの移植として見たときの、いわば「ガンバリ度」に対する点数ですね

なるほどそういうわけだったんですか。当時のナムコのPCエンジンのソフトには、
源平討魔伝などそういうのが多くて楽しめましたね。私個人の場合、PCエンジンのHuカードで、
そういった「ガンバリ度」という指標で評価するならマジカルチェイスを1番に挙げます。
| はちはち | EMAIL | URL | 10/05/23 13:36 | 7Q0Cf0A. |
>>TAKUSAN 様
えーとですね、当時移植していたのは、電波新聞で移植の仕事をしていたデベロッパーのはずです。これは多部田さんに直接聞いたから間違いないと思います。
飛竜やスーパーダライアス2はですね、単に当時制作を依頼したデベロッパーの腕がなかった、に尽きます。ROMが出回っているのは、当時のデベロッパーもしくは流通もしくは社員などからデータが出たんでしょうね。
スペースファンタジーゾーンは何度かサンプルをプレイしましたが、結構楽しいソフトですが「じゃあ売れるの?」と聞かれたら「無理!」な感じのゲームだったので…出来は悪くなくても、売れないソフト、というものもあります。

>>はちすけ 様
当時、3Dでポリゴンというと憧れのようなところがありましたからねえ。
僕なんかは作り手側で、なおかつキャリア初期はCG屋だったのもあって、PS1のあの思い切った設計(本当にポリゴンの事以外何も考えていない)には感動しました。

>>も 様
そのきつかった電撃PCエンジンを奇跡のように救ったのが「ときめきメモリアル」の特集記事と連載だったりします(笑)
| 岩崎 | EMAIL | URL | 10/05/23 13:12 | svQmBX8. |
アーケードからPCエンジンの移植としてふと疑問に思うのは同時期にライバル機を出していたセガのアーケードゲームの移植が多かったのが不思議でした。(全12タイトル)個人的に一番良かったのはアフターバーナーIIでした。空母や補給機が拡大縮小する演出やスピード感がありメガドライブよりもPCエンジンの方が移植度は高いと思います。発売はNECアベニューでしたが、開発はどこのメーカーか岩崎様はご存知でしょうか?

それと発売が出遅れたストライダー飛竜や全作のスーパーダライアスよりも評判が良くなかったスーパーダライアス2や、Yahooオークションで大量のコピー商品が出回っている発売中止になったスペースファンタジーゾーンについてご存知でしたら詳しい経緯を知りたいです。

最後になりましたが質問が多くてすみません。
| TAKUSUN | EMAIL | URL | 10/05/23 12:42 | qzfpaUJ6 |
確かに各誌は次世代機関連で大賑わいでしたね。当時は少し冷めた目で様子を見ていましたが、家庭用ゲーム機でポリゴンによるレースゲームや格闘ゲームが普通に実現できるという点は、やはり非常に注目しました。
ポリゴンといえば、アーケードでナムコのウイニングランをプレイしてポリゴン独特の感覚・雰囲気に惚れてしまいましたね。SFCのスターフォックスは当然買いました(笑)。

各誌のレビューは私もよく参考にしていましたが、レビューの評価や点数がイマイチであっても自分が注目した作品は悩みながらも結局買ってしまうんですよね...。それでも自分にとっては当たりだったり、やっぱりレビューの点数通りだったり。

(投稿者名が被ってしまいましたが、私はイースのところでお邪魔した者です(笑))
| はちすけ | EMAIL | URL | 10/05/23 12:23 | KJR4KZ1U |
そういえば当時の電撃PCエンジンは、「次世代機」の発売前からそれらの情報が多く載っていて重宝しつつも、ページを埋めるのが大変なんだろうな、と余計な事を思いながら読んでいました。

しばらくしたら開き直った感じにリニューアルされて、まあ仕方ないか…と寂しく感じたのを思い出しました。
| も | EMAIL | URL | 10/05/23 03:56 | arlvUf2E |
雑誌のレビューの影響力…があるかどうかはともかく、自分が思うのはプロのプレイヤーと素人のプレイヤーは考え方が違うのだけど、それに気がついていない人は極めて多いと思っています。
ツイッターで桝田さんがいみじくも言っていましたが「自分の好みに合わなければクソゲー。自分のミスで起こっている出来事に【バグ?】」なんて事はプロのプレイヤーはやりません(皮肉を書かせてもらうなら、一部やっていた/やっている雑誌はあるようですが、少なくとも自分や電撃PSのレビュワーはやらなかったと断言できる)。

それはともかく、ワルキューレは旧方式のレビューで僕が満点をつけた数少ないゲームです。あれはアーケードからの移植として見たときの、いわば「ガンバリ度」に対する点数ですね。
新しい1ページ型のレビューでは結局満点をつけませんでした。ときメモで本当に迷いましたが、結局満点をつけられませんでした。レビュワーとして一番後悔していることは、ときメモに満点をつけなかったことですね。
| 岩崎 | EMAIL | URL | 10/05/22 23:08 | svQmBX8. |
そういや90年代半ばには次世代機戦争なんてものがありましたね。
確かこの時期はマルチメディアなる言葉がよく使われてましたが、
今思えばあれは一体なんだったんだろう? まあ時代ですかね。

しかし昨今のゲームのレビューは、インターネットの普及とともに、その影響力や
存在価値は昔よりもかなり薄まった感じがしますね。しかし雑誌しか情報源のない頃は、
発売前のゲームの貴重な情報源として利用していましたし、そういった時代の一翼を
担っていた岩崎さんによる、当時の様相を書いたこれらの記事は非常に面白いです。
岩崎さんのレビューで最初に満点が出たのは、確か1990年に発売のPCエンジン版の
ワルキューレの伝説だったと思うのですが、この辺は記憶が曖昧です。
| はちすけ | EMAIL | URL | 10/05/22 17:29 | 7Q0Cf0A. |
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