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完売御礼など
あけましておめでとうございます、今年もよろしくお願いします。

頒布した本が完売して嬉しかったのを兼ねて、出してしまった本の補足をいろいろ書いていきたい。

まず、一番大きかったことが「嵐の結界」を誰が思いついたのか分かったこと。
本当につい最近わかったのだが、実はこれが僕には長年の疑問だった。
というのも、イース1のマニュアルに結構しっかり書いてあるストーリーであるにもかかわらず、1・2を作ったとき、山根は全く嵐の結界について拘泥していなかった。また大浦君と桶谷君も気にしていなかった。つまり、実際にゲームを作っていた人間にとって、それほど重要な設定ではないのは明らかだった。だいたい本当に重要と考えている設定だったら、1・2で山根が定期船のコンテを出してくるわけがない。
「では誰が考えた設定なんだ?」というのは気になっていた。
もちろん誰も気にしていないからいいだろう…という事は出来るが、それでも誰かが考えたはずだし、その誰かは合理的な理由があってそうしたはずだ。さらに考えた人間はファルコムにいたはずなのは明らかだったが、それが誰なのかわからなかった。
この長年の疑問が、このブログのおかげで氷解した。
嵐の結界を考えたのは、当時、ファルコムに在籍していたシナリオライターの五十嵐哲也氏。ロマンシア・ソーサリアン・スタートレーダーなどなど、ファルコムの最初の黄金時代を支えたメンバーの1人だ(代表作はソーサリアンではないか、と思うのだが…)。
どうして、嵐の結界が出来上がったのかというと、以下が教えてもらった話。本人からの言葉だ。

「嵐の結界」が出てくるマニュアルの拙い小説ですが、あれ、私が書きました。自由に行き来できるようにすると、エステリアの人々がプロマロックの町に避難してくるかなと思いまして。ちなみにイースではその他にアドルとモンスターのネーミングを担当しました。

五十嵐さん自身の言葉を疑う必要は全くないし、極めて簡単かつストレートな理由で理解できる。
そして自分が定期船でいいと思った理由は、まさにこの理由の逆。

嵐の結界なんてものが出来ていて、かつモンスターが跳梁跋扈して町の人がびびっているなら、もうちょっと町の中が騒然とした雰囲気になっているだろう。だいたい食糧の供給や様々な問題も発生する。だから町の中で真剣に騒いでいるのはサラぐらいで、他は不安に思いながらもそのうち収まるだろう…と思っている、ちょっと魔物が出てどうしようか不安になっている町

と、こんなイメージを持っていたので、山根の書いてきた定期船でいいと思ったわけだ。
(五十嵐氏の設定と町の中の設定のズレは87年のRPGだからしょうがなかったのだろう…という気もするが)
それから、アドル・クリスティンが五十嵐さんだったとは、全く驚きだ。山根のバカ野郎、なんもそういうこと言ってなかったぞ、畜生。



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|| 18:08 | comments (4) | trackback (0) | ||

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同人誌の宣伝
自分の作った本を自分のブログで宣伝するのも妙な気持ちで困るのだけど、以下、簡単な宣伝。
今度のコミケで「僕がイースを作った頃」をまとめた同人誌を出しやす。

Colorful Pieces Of Game - PCエンジンCDROM版イース制作メモ
表紙
B5版 48p 表紙フルカラー

頒布場所は
12/29 - 西地区 れ-43ab
12/31 - 東地区 M-24ab

両日ともに、あいざわひろしのサークルを間借りして、ヒソヤカに頒布してやす。
内容については、前書きが分かりやすいので、以下に前書きの転載。
この本は、1988-90に僕がハドソンで凄ノ王伝説を作り、そのあとPCエンジン版のイースI・IIを移植したときの話をまとめたものだ。もともとは自分のブログに載せていた内容だが、友達のTadashi君が「本で読みたい」というので、加筆・訂正などを行って、本にしてみた。
結構、コマゴマ直したのでブログよりは読みやすいと思う。
基本的には、自分が見たり・聞いたり・体験したりしたことを書いているが、一部に又聞きの話などもある。また自分の記憶する限り、出来るだけ正しく書くように努力したが、なんせ21年前の話である。事実関係の間違いなどがあったら、それはひとえに僕の責任である。
88-90あたりの記憶はもう20年以上昔の話であり、なおかつ関わっていた人間も少なく、人によってはそろそろ年齢的に鬼籍に入りかねないところなので、1988-89にイースシリーズに関係した人間の1人として、当時の事を自分が覚えている限り、出来るだけ正確に書いておこうというのが、この本のモトになったブログの目的だったし、もちろん、この本の目的でもある。
20年以上も前の話だが、そのときのゲーム業界の雰囲気を少しでも感じていただけると、嬉しいと思う。

いざレイアウトしてみたら、結構なページ数になってビックリしてしまったけど、確かに、読みやすくはなってると思いやす。
あと、指摘された細かい間違い直したり、あとから思い出したことを付け加えたり、文を見直して読みやすくなるように努力はしたので、ブログ版よりは完成度は上がってると思いやす。
それからツイッターで「書店委託の予定あります?」と聞かれたんだけど、これは全くそういう本じゃないと思っているので、やる予定はないっす。
なので、どうしてもコミケに来れない人は、これから先の、あいざわひろしの参加する即売会に来てくれるとか(いや印刷費結構高いから、残ると困るんだけど(笑))、例によって、あっしの参加する飲み会だのなんだの前に「くれ」と言っておいてくれれば用意しときやす。

表紙&中の挿絵は全てあいざわひろしに書いてもらいやした。感謝してやす。
駄目なミスリリアとか、すげえ出来っす、ええ。

それ以外のあいざわひろしの本についてはコミケ特設ページを見てください(18禁アリなので注意)

そういうことで。コミケで会える人、また~ノシ

|| 19:32 | comments (9) | trackback (0) | ||

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1989年11月 - アフターカーニバル
前回はコレ
過去記事の集合体はコレ
この話は1988-89年頃、PCエンジン版のイースを作るとき、僕が経験した話を出来るだけ正確に記録に残すつもりで書いている。ただし、これは
1)21年前の話で、記憶違いの可能性は十分にある。
2)僕が体験したり思ったりしたことを書くようにしているが、伝聞情報(二次情報程度)もある。
だから、当時の正確な記録ではない可能性はあるのは理解して欲しい。

■■■

みんながデバッグしているとき、僕はいつでもイヤな人になる。
というのも、作っているとき、徹底的に面白くなるように直していく。でも、それはあくまで自分の感覚でしかなく、実際に他の人間がプレイして面白く感じるかとは別だ。
目標として100人がプレイしたとき、全員が面白いのは無理だが、出来れば80人ぐらいは面白いと思って欲しい。だけど、それが他人のある程度の評価として実際に分かるのは、それなりにゲームが完成してプレイ出来る状態になってからだ。しかも本当にわかるのは、最初から最後まで遊ばれるデバッグの時だけと考えていい。
だからデバッグ期間は「自分が信じて作ってきたモノ」に対する最初の審判が行われる時間であると同時に「最後の調整が行える時間」でもあるわけだ。
だから僕は、デバッグの時、デバッガの不満をカケラも見落とししたくないので、延々と何時間も人がデバッグしている画面を後ろから覗いて、挙句に「面白い?」とか聞いて「面白いですよ」といわれれば、どこが面白いのか根掘り葉掘り聞き、つまらないと言われれば、やはり根掘り葉掘り聞く。
どう考えても、たまらなく面倒くさい人間だ。

そして延々とバランス調整とデバッグを繰り返した、四苦八苦のデバッグが終り、とうとうイースはマスターを出すことになった。10月マスター予定だったが、実際は間に合わず、1989年11月7日がマスターを入れる日付になった。

イースは72分もあったせいで、当時はCDRを使うことが出来ず、何枚もマスターを作ったので、バージョンヒストリーのようにCDを持っている。そして、中でも貴重品が、声優さんとミックスが行われていない曲が入ったバージョン。僕はこれをサウンドトラックと呼んでいる。



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|| 02:46 | comments (10) | trackback (0) | ||

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1989年10月 - 頭に来たスタッフロール
前回はコレ
過去記事の集合体はコレ
この話は1988-89年頃、PCエンジン版のイースを作るとき、僕が経験した話を出来るだけ正確に記録に残すつもりで書いている。ただし、これは
1)21年前の話で、記憶違いの可能性は十分にある。
2)僕が体験したり思ったりしたことを書くようにしているが、伝聞情報(二次情報程度)もある。
だから、当時の正確な記録ではない可能性はあるのは理解して欲しい。

■■■

この本名だらけのシリーズでHaHi君とハドソンの営業担当Zだけが、なぜ名前が伏せられているのか?
このシリーズが基本的に本名で書かれている理由は、イースのスタッフロールが本名だからだ。スタッフロールが本名なのにグラフィックチーフの進藤と書かずにグラフィックのSと書いても意味はない
もちろん、Sではなくグラフィックの●とかにすりゃ仮名の意味では出てくるが、一緒に作ってくれたスタッフに感謝しているのに仮名では、それこそスタッフに失礼ではないか。
山根やファルコムのくだりは結構ナマナマしい話だし、会社同士の関係もあったから、21年前に本名と実際の会社の名前で書いていたら問題になったかも知れないが、今は21年後であり、もう過去の話である。いまさら山根のことに怒る人もいるまい。

つまり、イースを作ったメンバーはスタッフロールで満天下に本名を出しており、そして仕事のクオリティはとても高かったと僕は思っているので、本名で書いているわけだ。
ところで、当時はゲームのエンディングまで行き着いたとき、まずスタッフロールは出たり出なかったりで、誰が作ったのかすらわからないことが多かった。
さらに仮に出てもぴょんきちだのガッツ.アンパンだの、ふざけた名前のが並ぶことが多かった。
これは大手ではスタッフの引抜きを警戒したから名前を出させてくれなかった…なんて話を聞いたことがあるが、僕はこれが本当かどうか知らない。少なくともハドソンでは「会社としてペンネームでなければ困る」と要望されたことはない
ただ、デビュー作、凄ノ王伝説ではハドソンのスタッフの一部に仮名を使っている。スタッフロールを作るとき名前を確認した記憶があり、そのときペンネームで…みたいなことを言われたので「なんとなく名前を出すのが恥ずかしい」みたいな風潮があったのかも知れない。
【注】当たり前のことながら、当時、僕はフリーで、名前を売らないと話にならないのだから一生懸命本名を書いた。このとき、ペンネームを考えたこともあったのだが、どうにもいいペンネームを思いつかず、結局本名のままになっている。
僕はキャラクタの名前を考えるのが大変に下手で、今作っているゲームでも、スタッフ、名前については「かっこ悪い」だの「ダメ」だのボロクソ。なんだかいい名前を作る才能が欲しいと思ってしまう。


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|| 18:25 | comments (4) | trackback (0) | ||

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1989年9月 - 微調整と最後のバランス
前回はコレ
過去記事の集合体はコレ
この話は1988-89年頃、PCエンジン版のイースを作るとき、僕が経験した話を出来るだけ正確に記録に残すつもりで書いている。ただし、これは
1)21年前の話で、記憶違いの可能性は十分にある。
2)僕が体験したり思ったりしたことを書くようにしているが、伝聞情報(二次情報程度)もある。
だから、当時の正確な記録ではない可能性はあるのは理解して欲しい。

■■■

9月も後半になると、イースは本格的なデバッグ体制に入っていた。ほとんどすべてのマップ・イベント・(スタッフロールだけはまだ作っていなかった)が入り、デバッグ&バランス調整の最終段階に入っていた。

このころになると、中本さんがデバッグに入って細かな穴が見えるようになっていた。ぶっちゃけるなら最後まで遊べるようになったところで、自分も遊ぶべぇって話だが、もちろん何も知らない初プレイの人ってのは凄く大事で、結構決定的なモノを見つけてくれる。
「岩崎ぃ! 2のボスが倒せないべやあ!」
なんてセリフのが、その一つだ。
イース1ではボスは体当たりで倒すもので、イース2ではファイアの魔法で倒すもの(違うボスが2匹ほどいるが)だが、イース2では誰も魔法の使い方を教えないし(もともとのPC版ではマニュアルに書いてある)、誰も「ボスにはファイアの魔法しか通用しない」なんて言わない。しかもマズいことにザコは別にファイアの魔法でなくてもイース1と同じように倒せてしまう。
つまり、ファイアの魔法をとっても使い方が分からないし、ボスはファイアの魔法でなければ倒せないこともわからないわけだ。
まあ使い方のほうはメニューで選択すりゃ、ボタンも押してみるだろうし、ボタン押せばファイアが飛び出すんだし、マニュアルにも書かれているんだからなんとかなるだろう…ということにして、ボスをファイアの魔法以外で倒せないってことを教えるために、神官の像に「勇者よ、魔法でなければ巨大な怪物を倒すことは出来ない」などといわせることで切り抜けた。ところで「勇者よ…」という言い方はあまり好きじゃないのだが、イース2では導きの巻物とか結構「勇者よ」って書いてあったりする。
【注】ところで中本さんのセリフには「べぇ」が入っているのは、中本さんは北海道弁の人であり「だべさ」と「べぇ」は、北海道で最も聞く語尾…少なくとも1988-92にはそうだったので、僕は死ぬほど聞いた。
使い方としては「岩崎ぃ、酒飲みにいくべぇ!」、「これはバグだべさ」、「そんなんだめだべさー」と、こんな感じ。


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|| 23:03 | comments (3) | trackback (0) | ||

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