ゲーム史

僕とBeepのちょっとした思い出 ゲーム史

僕とBeepのちょっとした思い出

今日(3/8)、鶴見六百、つまり清水芋吉からツイッターで伝えられて、思わず少しつぶやいたけど、やっぱこういうことはブログとかに書いておこうと思ったので、日記がてらに、Beepから始まった、歴史としては日本最古と言っていいゲーム専門誌が休刊するということで、ちょっと思い出話などを書いておきたい。 僕が…
ハドソンがファミコンに参入するまで(5/終) ゲーム史

ハドソンがファミコンに参入するまで(5/終)

これは1983年春に始まり、1984年7月に終わる、ハドソンが史上初のサードパーティとして、ファミコンに参入するときの物語だ。たくさんの当時の(がつくのが残念だが)ハドソンの方の協力を得て、ほぼ正しい歴史として記述できていると思いたい。ただし、残念なことに、かなりの方から「自分の名前が文の中に出てく…
ハドソンがファミコンに参入するまで(4) ゲーム史

ハドソンがファミコンに参入するまで(4)

これは1983年春に始まり、1984年7月に終わる、ハドソンが史上初のファミコンのサードパーティに参入するときの物語だ。たくさんの当時の(がつくのが残念だが)ハドソンの方の協力を得て、ほぼ正しい歴史として記述できていると思いたい。 ただし、残念なことに、かなりの方から「自分の名前が文の中に出てくるの…
ハドソンがファミコンに参入するまで(3) ゲーム史

ハドソンがファミコンに参入するまで(3)

さて、1983年にいよいよ、任天堂からの開発機がハドソンにやってくる… というわけで、ハドソンがいつ、どのようにして、ファミリーベーシックを作ることになったかについて今回は書いていきたい。 しかも、嬉しい事に、当時のハドソンの開発メンバーの大半から話を聞くことが出来たので、前回までの細かい事情を修正…
ハドソンがファミコンに参入するまで(2) ゲーム史

ハドソンがファミコンに参入するまで(2)

前回、1983年に任天堂が…というところまで書いたのだけど、ハドソンと任天堂の関係が出来る話に入る前に、もう少しこの当時のハドソンについて話をしておきたい。 というのも、ツイッターで、どうしてハドソンがシャープと仲がよかったのか、どうしてX1を使っていたのか、当時どんな会社だったのかみたいなことを聞…
ハドソンがファミコンに参入するまで(1) ゲーム史

ハドソンがファミコンに参入するまで(1)

これは1984年に、ハドソンが初のサードパーティとして、ファミコンに参加するときの物語だ。 前のポストで、野沢さんの証言を元にブログを書いたら、いろんな人から細かい情報が集まって、どんな風にハドソンがファミコンに参入したのか、そのプロセスはどういうものだったのかを、ようやくその全貌が正しく明らかにな…
ハドソンがファミコンに参入したとき(オリジナル) ゲーム史

ハドソンがファミコンに参入したとき(オリジナル)

以前にTwitterでちょっと書いた、ハドソンがファミコンのサードパーティに参加する前後の事情について。 これは1982-83前後のコンソールゲーム業界がまさに始まろうとしていた前後の話だ。 当時ハドソンにいた、野沢さんに詳しく聞いたところ、30年前の記憶なのでうろ覚えなところがあるけど、…
Zorkと弟切草とビジュアルノベル(4/終) ゲームの話

Zorkと弟切草とビジュアルノベル(4/終)

■そしてビジュアルノベル 弟切草が登場して、実は日本のアドベンチャゲームは大きく意味を変える。 それは日本においてアドベンチャがストーリーラインを追うゲームに明白に意味を変えたということだ。 これは極めて重要なことだ。 弟切草以前のアドベンチャはプレイヤーがマップを移動して、誰かと話したり、アイテム…
Zorkと弟切草とビジュアルノベル(3) ゲームの話

Zorkと弟切草とビジュアルノベル(3)

続き。やたら長いうえに、どんどん書き直しが増えてきて手間3倍増w ■アドベンチャの復興、そして… こうして消滅したかに見えた日本でのアドベンチャが復活を始めたのは、まずPCエンジンの登場による。 (一部アダルトゲーム系では確かにアドベンチャは生き延びていたが、それは単純に絵を大きく見せるためと低予算…
Zorkと弟切草とビジュアルノベル(2) ゲームの話

Zorkと弟切草とビジュアルノベル(2)

■日本のアドベンチャの第一次黎明~衰退期 さて、アメリカでのアドベンチャブームを受けて、日本でもアドベンチャが登場することになる。 登場したのは1982年4月と思われる。思われる…というのは、文献や資料が不足で、自分の記憶ではということだから。 その日本初(と思われる)アドベンチャは、フルテキストの…