イースⅠ・Ⅱ通史(16):移植、イースⅢの準備

先に書いておくけれど、しばらくダイジェスト気味に進行していく。
というのもPCエンジンの話まで書いていると、冬コミまで時間がないのもあって、急いで書いていかないと間に合わないのだ。

あと、ここはもう『通史Ⅰ』で書いたところで、通史から文持ってきて直すにしても、同じことを2回書くのって結構ツライのですよw
やっぱ、本用の文章の方が楽しい。

と、書いたところで、実は、この項目、かなり推測が入っている。
というのも『イースⅢ』は、途中で次々とⅠとⅡを作ったメンバーが会社(ファルコム)を辞めてしまい、途中から進行が分からなくなっているメンバーが多い。
さらに同じ会社にいても、オリジナルメンバーは別企画にいたことがほとんどで、仕事を垣間見た、という人が多く、加えてかろうじて残っていたメンバーも記憶があやふやなところが多いのだ。

まあ、それでも今までに書かれたものの中では一番精度が高い…とは思うのだけど、ここらへんは、また資料が出てきてこまごまと変わるかも知れない。
と、言い訳を書いたところで、まず『イースⅡ』の移植の話から始めていこう。

『イースⅡ』がマスターアップされてから、いつものように移植が始まる。
移植担当は以下の通り。

機種発売日担当
PC881988/4/22オリジナル
PC981988/6/24桶谷さん
X1turbo1988/6/24宮崎さん
FM77AV1988/7/8倉田さん
MSX21988/7/15橋本さん

今回はMSX2版を橋本さんがやることになる。
MSX2版『イースⅡ』は、プログラムを橋本さん、音楽コンバートを石川さん、グラフィックコンバートを大浦さん。移植期間は3ヶ月。
プログラムは1ヶ月半くらいでほぼ終了して、グラフィックデータ待ちになり、グラフィックのコンバートはまるまる3ヶ月かかったらしい。
このMSX2版は解像度と色数の違いがあるので、マップだけでなく、オープニングやエンディングの絵の描き直しが含まれている。
結構、手間暇のかかった作業で大変だったろうなと思ってしまう。

なおFM77AV版のオープニング・エンディングはMSX2版をベースに修正して描かれている。
ここを共用するノウハウは『イースⅠ』の移植の時に出来たらしい。

MSX2版で描き直されたエンディングの画像

その間、橋本さんはセーブをRAM対応したり、サウンドモードとキャラクタが見られる隠しモードを作ったりしていたらしいのだけど、結構ヒマだったはずで、何をやっていたのか?

ほぼ間違いなくだが『イースⅢ』のスクロールルーチンの開発をしていた。
それを裏付ける古代祐三さんの証言がある。

どうしてこれが88年の春にMSX2版を開発しているときの証言だとわかるのか?
それは、古代兄妹が『イースⅡ』の移植が終了したところでアルバイトを辞めるからだ。

辞めたタイミングには若干曖昧なところがあるのだけど「イースⅡの開発が一通り終わったところで、古代兄妹は卒業した」というのは証言が一致している(なお、山根は覚えていなかったw)。

そして、この古代兄妹のアルバイト終了を皮切りに、88年7月から89年3月頃にかけて、オリジナルスタッフは大浦さんと桶谷さんを除いて、ほぼ全員退職していく。
今までは、辞めたのはわかっていたけれど、どういう順番で辞めていったのか、とても曖昧だったのだけど、今回、それがかなりはっきりした。

それについては次節で『イースⅢ』の開発と合わせて書いていきたいと思う。

というわけで、この項目続く。

あと、9/22のゲームレジェンドで『イース通史Ⅰ』の再販版を出します。BEEPさんにも委託します。結構頑張って再販したので、今度こそなくならないと信じたい…(;´Д`)

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