1978年の”gosub hudson”

最近、知り合いから古いチラシなどをまとめてスキャンしたものをもらい、非常に資料性が高い内容なので、時間を見て、いろいろ紹介していきたい。
まず今回は個人的に一番資料性が高かった”gosub hudson”について。
“gosub hudson”は、1978年の多分初春~夏前ぐらいに配布された冊子だと思われる。
手元には8ページあるのだけど、これで全部かはわからない(多分全部だけど)。
これはハドソンがCQハドソン、つまりアマチュア無線を中心としたショップだった時代にマイコンショップを本格的にオープンした時に作られた冊子だ。
このハドソンのマイコンショップCOSMOS SAPPOROは当時平岸にあったCQハドソンの2階にあり、PET-2001、APPLE II、TK-80BS、LKIT-16といった、当時のメジャーどころのコンピュータを取り扱っていた(と資料からは読み取れる)。
このあと数年もしないうちに、僕の知っているハドソン、つまり三慶ビルの斜め前にある本社ビルの下に少しだけ場所を移転することになる。
ところでこの”gosub”ってのは何なのかというと、BASICで使われるサブルーチンの呼び出し命令。どうしてこんな名前なのかというと”CQハドソン”のサブなので”gosub”なんて意味じゃなかろうかと思う。
もちろん数年ほどで”CQ”よりパソコンの方が遥かに大きな売上になるわけだけど、このときは、まだ売上はCQハドソンの方が大きかったのではなかろうか。


この資料がどうして1978年のものと分かるのかというと、以下が論拠。
まず第一にTK-80BSが発売されている。
TK-80BSの発売は1977年11月なので、自動的にこの冊子は1977/11以降ということになる。
次にMZ-80Kが掲載されていない。MZ-80Kの発売は1978年11月で、1979年夏からはハドソンのソフト販売の主力になる機種で、これを全く扱っていないのは考えられない。だから1977/11~1978/11の間に出来たチラシである可能性が高いことがわかる。
加えて、この冊子には竹部隆司さん(現ロケットスタジオCEO)、すなわち後にサラダの国のトマト姫のプログラマだったり、ファミリーベーシックの作者だったりする、あの竹部さんが文章を書いているのだけど、そこに大学3年と書いてある。竹部さんは1957年生まれなので、大学3年は現役合格で1978年となり、チラシは1978年かそれ以降だとわかる。
またハドソンが大通りに9月に店を出すというニュースが載っているので、9月より前なのは確かだろう。
と、これらの情況証拠を総合すると1978年初春~夏前の冊子の可能性が非常に高いことになるわけだ。
1978年は79年にハドソンがソフトハウスとして離陸する寸前の揺籃期なのだけど、こんなものがあったとすら想像していない冊子で、日本のパソコン・コンソールゲームの歴史を考えた時、実に貴重な資料と言える。

ここらへんになると元ハドソンの人たちで社員番号20番以下の人たちでも知らなかったり、記憶が定かでなかったりする所で、全く歴史というのは簡単にわからなくなるものだと思った。

表紙の写真は言うまでもなく歴史そのものなのだけど、他にも表紙には面白いことがある。文章を書いているのは工藤(兄)社長なのだけど、こんな文章がある。

PET-2001等のターミナルコンピュータ、(略)TK80BS等のワンボードマイコンさらに…(略)

ターミナルコンピュータは、今で言うパソコン、すなわちパーソナルコンピュータのことなのだけど、この当時はまだ普及している言葉ではなく(使われるようにはなってきている)、ここでは社長はターミナルコンピュータって言葉を発明して説明している
また、この冊子には他にも、後のソフトハウスとしてのハドソンを感じさせるところがある。

1978年当時、既にソフトをTK-80BSおよびPET-2001という、当時の比較的メジャーと思われるパソコン(と呼んでいいか微妙だが)用に売っていたわけだ。
当時はハドソンは札幌の人たち相手に売るローカルショップだったが、1年ほど経った1979年夏から、主にMZシリーズを中心に通販でソフトを売ることで、爆発的に事業の拡大を始め、日本最古のマイコン用のソフトハウスの一つとして離陸していくことになる。
最後に…これはハドソンのシンボルキャラクタだったハチ助のほぼ最古に近いものの一つと思われる(現存するもので最古のものは1974-75年まで遡れるらしい)。

また、折を見て、様々な資料やデータをまとめて記事として書いていきたい。

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