1991年3月 久石譲さんに音楽が決まる

間でハドソンのこと調べたり、いろんなことやってたらえらく間が空いてしまったけれど(;´ω`)
91年3月。(正確には1-3月の間なんだけど)いろいろ僕らは困りだしていた。
というのも、音楽…というか、作曲家がいつまで経っても決まらなかったからだ。
この頃には音楽に関する仕様は、もちろんほぼ固まっていた。
まず4人のテーマがあること。
これはもともと桝田さんか広井さんか、どっちかからのオーダーで始まった。タイトル以外に4人のキャラクターそれぞれのアニメーションデモを入れる仕様が決まったとき、ほぼ一緒に決まったことだった。
(この手のオーダーをするのは広井さんが多かったので、たぶん広井さんだと思うのだけど、自信はない)。
なんにしても4人のテーマがあると、それぞれの活躍する場面で曲を簡単に決められるメリットがあり、かつ分かりやすくて汎用性が高いから、僕は大賛成だった。

どうして4人のデモがあるかというと、広井さんは天外Ⅱを「キャラクタのゲームである」(キャラの立ったゲームであること、みたいな意味)と定義していた。
そして桝田さんはもちろんそれを忠実に敷衍しており、キャラクタを立たせるためならなんでもやる的なところがあり、これがまた「スーパーCDROMならデモでもこんなにスゴイ」的な宣伝戦略と組み合わさり、4人のアニメーションデモがある、ということに決まったのだ。
4人分デモ作るのはいいし贅沢だけど、スーパーCDとは関係ないよなあ…って当事思ってたw


また、CDDAの曲数としてはタイトル、オープニング(玉のシーン)、エンディング、4人のテーマ、絹が鎖ちぎるシーン、マップの曲2種類(暗黒蘭を斬る前と斬った後)、さらに根の一族が最初に攻めてくるところ、ボスバトル3種類、鋼鉄城…総計15曲程度は用意するってのは決まっていた。
(この頃には絹が怒るシーンはほぼ完全にイメージとしては出来上がっていた。言い換えるなら卍丸がしゃべるシーンもほぼ決まっていた)。
そして、曲数とCDDAは知ってのとおり最大74分の厳しい制限のあるなので1曲の長さもだいたいこのあたり、というところまで決まっていた。

追記すると、このCDDAは、スペシャルイベントを除くと比較的汎用使用が可能なことが設計になってたりする。4人のテーマは4人それぞれの見せ場で流用できるし、ボスバトルはもちろん。そして鋼鉄城は中盤~後半の乗り物でメダマなので、ずっと聞く曲…てなぐあい。
また、天外Ⅱでは初期段階でデータは全部あわせて60分と、思い切りクギを刺されていた。
これはマジで「絶対にダメだからね」といわれたので、すごく良く覚えている。
イースのときの騒ぎでハドソンはよほど懲りたらしかった。

そして、上記の曲の中でも、4人のテーマとタイトルはとても重要だった。
というのも、天外ⅡのデモをCSG(確か5月にあったショー)で本格的にお披露目しないといけないので、曲がそれまでにないと、ちょいと困ったことになってしまう。

これは91年の話で、日本でのインターネット商用化以前だ。だから動画で宣伝動画で公開なんてことはもちろんないので、ショーで見せる・テレビで宣伝する・店頭でビデオを流す以外に音つきの動画を一般の人に宣伝する(見せる)方法はなかった。だから逆にショーなどではしっかりとそれが出来ていないと結構よろしくないことになってしまうわけだ。

しかも、当たり前だけど、曲の長さとかはこちらから決められても、最終的な細かい微調整は曲に合わせてしないといけない。その時間を考えると、結構スレスレのところまで来ていた。
ただ、ハドソンが作曲者を探すのに苦労する理由もあった。
それは当たり前のことながら、天外魔境1のテーマ曲の作曲者が、あの”教授”こと、坂本龍一先生だったからだ。当たり前のことながら、坂本先生と同じぐらいのネームバリューの人が音楽でないと天外魔境Ⅱとしては困ってしまう。
そしてそんな有名な人は当たり前だけど、まずあまりいないし、いても忙しい。だから探すのに手間取っていたわけだ。

たぶん、作曲のお値段についてはハドソンはほとんど気にしていなかったと思う。純粋にネームバリューと仕事を依頼するタイミングとして困っていたのだろう。

ところで、音楽の選定に苦労しているという話は、少し前から知っていた。
というのも、天外Ⅱの開発室が市ヶ谷に出来たところだった1990年12月。
僕は天外Ⅱ開発室で、僕は、桝田さんの音楽に関するぼやきを聞いていたからだ。
それはこんな感じだった。
「全く、ハドソンは動き遅いんだから。こんなんだから」
と、椅子に座ってタバコをふかしながらぼやく桝田さん。
ちなみに桝田さんがボヤくときは、かなりいやそーに面倒くさそーにぼやく。
「どしたのさ」
と、同じくタバコをふかしながら僕。

桝田さんは今でもスモーカーらしいが、僕も当時はヘビースモーカーだった。結構チェーンスモーキングしてたと思う。

「音楽さあ…」
うんざりしたように桝田さん。
「あー音楽ね」
米米CLUBが、ブレイク寸前で安いから、契約したらいいよって勧めてたのさ」
桝田さんは一息つくと、続けて
「そしたらさあ、JALが契約しちゃってさあ、浪漫飛行であっという間に値段上がっちゃってさー」
呆れたように天井を見ながら言葉を続けた。
「しかも予定全部埋まっちゃったから、もうどうしようもないよ」
と、本当にうんざりしたように言った。
「で、どうすんの?」
「今、桃伝の関口さん経由で、桑田さんに聞いてる」
「え? サザンの?」
「そう。あの人なら、坂本龍一とでもバランス取れるしさ」
難航しているのは困るし、あまり決まらないとゲームの製作に影響が出るので、困ったとは思ったけれど、でも、当時(いや今でもだけど)サザンオールスターズ…というか桑田佳祐さんの大ファンだった僕の心はときめいた。
なんせ、あのサザンの曲が天外Ⅱで鳴るかも知れない!
そう思ったら、たまらなくて、もうサザンの曲をいきなりCDから墓石(と呼ばれていたCDエミュレータ)に録音すると、テストも兼ねて、いろいろ曲を重ねてみたりして「結構あわせられるじゃん」とか思って、ニヤついたりしながら、作業をしてた。
ところがそれから1月たっても2月たっても、決まったとか決まらないという連絡もなく、時間だけがすぎていった。
僕は、早くサザンに決まらないかなと思いながら、松田君と僕と浦上君と、辻野さんの4人の主にビジュアルをやっているメンバーと一緒に絵コンテを実際にデータに落とし込んでいくための作業を進めつつも「音楽決まらないと、細かい微調整効かないんだよなー」とボヤいていた。
そんなある日、天外開発室に、プロデューサーをやっていた清水さんがやってきて、僕に言った。
「岩崎、音楽決まったから」
「誰なんですか?」
「久石さん、久石譲さん」
「これなら文句ないだろ?」
と、実に偉そうに言われたのでよく覚えているのだけど…正直な話を書くと、最初は久石譲さんと聞いて、ぱっとイメージが繋がらなかった…というか「え?」だった。
それより前の段階で交渉している人がサザンと聞いていたので、「ひさいし? あれ? くわたでもサザンでもないぞ」だったのだ。
もちろん名前は知っていたわけだけど「ひさいし」と言葉で発音されたとき、サザンだと思い込んでたのもあって、頭の中で「ナウシカとかあの宮崎駿のアニメの曲をやってる人だ」とは即座に結びつかず、1クッション…どころか、数秒置いて「ああ、あの!」となった感じだった。
で、頭の中にナウシカの曲(あのひどい歌ではないぞよ)が出てきて「これならイケるな」という感じだった。
というのも、当たり前のことながら、久石さんの曲は、いわゆる久石節と呼ばれる特徴のあるメロディアスなラインで、しかも、インストルゥメンタルで、交響曲系にマッチしているので、当時のゲームユーザーが欲しがっていたゲームサウンドをまさにアイディアルに具現化した人で、ほぼ文句のつけようがないと思ったのだ。

ちなみに当時のゲーム音楽はCDROMとしても黎明期で、弦楽器の音などが貧弱だったことからか、オーケストレーションに対してやたらとこだわった作品が多かった。だから、当時のゲームミュージックを見るとやたらめったら「交響詩」だの「交響組曲」だのにされている作品が多い。

なーんて感じで「こりゃいけるぞ」と思っている僕に向かって、清水さんは言葉を続けた。
「ただ、久石さんに全曲書いてもらうのはスケジュールの問題からも、予算の問題からも難しいから、メイン以外の曲をやってもらう作曲者も用意したから」
「誰なんですか?」
「福田裕彦さん…生福の福、っていうとわかるだろ」
「あー! あの!」
実は、驚いたのは福田さんの方だった。驚いた理由には説明が必要だろう。
もちろん久石さんはメインの作曲者として文句はない。
クオリティ的にも問題ないだろうし、ゲームに合うのは確実だ。

ただし、当時の知名度だけを考えると、坂本龍一先生・サザンオールスターズよりは一歩落ちたと思う。
そしてハドソンはいったい他には誰と交渉していたのか、今でも知りたいと思う。

でも坂本龍一先生がそうだったように全部の曲を書いてもらうわけにはいかない。シューティングゲームなら10曲もないからなんとかなるけど、RPGの曲は場面や場所、様々なシチュエーションにあわせて用意される都合で、どうしても数十曲になり、しかもかなりPSGの曲も必要だ。
(PCエンジンではPSGではないのだけど、みんな歴史的な経緯といいやすさからPSGと呼んでいた)
で、こんなものまで書いてもらっていては、いくらお金がかかるかわからないし、だいたい仕事を請けてくれなくなってしまう。だから、天外1では坂本先生は3曲しか提供されていないし、天外Ⅱでも久石譲さんの曲は9曲だ。
つまり、映画なんかによくある方法で、いわばメインテーマの作曲をお願いしていたわけだ。
それでは残りの作曲は…というところで、普通のゲームならメインで名前がでるレベルの作曲家の人が来たからビックリしたわけだ。
あとの話だけど、久石さんの曲はもちろん、福田さんの提供してくださった曲は本当に素晴らしく(特に絹が怒るシーンの殺意って曲は僕のフェイバリットである)、本当にゲームのクオリティを上げてくれたと思う。

そして、僕はそして久石さんの曲もさることながら、福田さんの曲がえらく気に入ってしまい、天外Ⅱの次の仕事、エメラルドドラゴンでも福田さんに曲を頼んだ。

しかし…ハドソンは他に誰と交渉していたんだろう…やっぱり今でも知りたいなあ…

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5件のコメント

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    久石さんといえば、最近だと二ノ国(PS3)が結構良かったですね。
    これ、もう少し売れてもいいように思うんですけど…

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    はじめまして!いつも岩崎先生のブログを楽しんでいます。
    岩崎作品も凄ノ王伝説からリアルタイムでプレイしています(もっとも最初は岩崎作品と意識せずにプレイしていましたがw)
    さて久石先生といえば、PS2&GCの天外2のプロモビデオで、「久石譲唯一のゲームミュージック」と宣伝していたのを思い出したのですが、そもそも久石先生初のゲームミュージックはFC&MSX2の「ゾイド 中央大陸の闘い」が初だった気もしますが、あれはどうなんでしょう?

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    ナウシカのテーマソングは細野晴臣作曲の良い曲だというのに
    歌ってる安田成美が下t(略

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    >> QTM 様
    だから「ひどい歌」と以下(ry
    >> デコココ 様
    先生と呼ばれるほどの馬鹿でなし、という言葉がありますが、たぶん「ゾイド」については把握していたと思います。当たり前ですが。
    まあ「ちゃんとCD音源で鳴る唯一」なのは嘘ではないのでw
    >> atsu 様
    あれは…DSでの仕掛け方が外れた、と僕は思っていて、レベル5のマーケティング戦略のミスだと思ってます。

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    はじめまして。
    ところで「Lマップ」のLとは何の略なんでしょうか。

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