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オンラインゲーム大国への道
これはある雑誌のために連載される予定だった文だ。
ところが雑誌の企画自体が消えてしまう呆然の展開になってしまったために、宙に浮いてしまったので、もったいないから、これをblogにアップすることにした。
5回分ぐらいの文がたまっているので、それを今のデータに書き直しつつ、アップしていくつもり。
そのあと、どうするかはなーんも考えてない(笑)


ちょっと世界的なゲーム界の流れを知っている人なら「韓国はオンラインゲーム大国だ」ということは知っているが「どうして韓国ではオンラインゲームが中心になったのか?」について知っている人は少ない。
まずは、これについて知ることで韓国のゲームシーンの理解が大きく深まるだろう。


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|| 23:40 | comments (0) | trackback (0) | △ ||

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1989年3月 - 足りないスタッフ、合わないアレンジ
前回はコレ
この話は1988-89年頃、PCエンジン版のイースを作るとき、僕が経験した話を出来るだけ正確に記録に残すつもりで書いている。ただし、これは
1)21年前の話で、記憶違いの可能性は十分にある。
2)僕が体験したり思ったりしたことを書くようにしているが、伝聞情報(二次情報程度)もある。

だから、当時の正確な記録ではない可能性はあるのは理解して欲しい。

前回、ハドソンとの打ち合わせでチームの準備は出来つつあったけれど、いくつか問題があった…というところまで書いたわけだが、どこに問題があったのかというと…

CDDA(CD Digital Audio、いわゆるCDで鳴らす音のこと)のアレンジャーをどうすればいいのか、本当に困っていた。

当時ファルコムの曲のアレンジをよくやっていたのは難波弘之さん。
およそほとんどのファルコムのゲームミュージックのアレンジャーとしてアレンジを行っていて、公式に近いイメージだった。だから難波さんにアレンジしてもらえば、大きな文句は出ないのはわかっていたが、僕には不満があった。
なぜなら、難波さんのアレンジはヘビーロック系に寄っていて、それがイース…というかファルコムのゲームミュージックの傾向と合っているとは思えなかったからだ。
僕自身はイースはもっとメロディアスでポップなアレンジの方が似合っていると考えていて、どうにも難波さんとはイメージが合わないと思っていた。


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|| 20:55 | comments (2) | trackback (0) | △ ||

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ゲームミュージックが好きだった
昔、昔のその昔、まだ僕が現役ゲーマーとしてアーケードで「ATARIのベクターディスプレイのスターウォーズ1億点」とか、そーいうアホなことをしていた時代、こよなくゲームミュージックを愛していた。

「グラディウス」や「サラマンダ」、はたまたナムコの「マッピー」、それとも「ドラゴンスピリット」いろんなゲーム、セガの体感筐体のゲーム群。いまはなきSNKの「怒」、「怒号層圏」。

それとも家庭用で「リンクの冒険」や「メトロイド」、はたまたサンソフトの「メタファイト」とか。パソコンの「イース」、「ジーザス」。MSXのSCC搭載の「グラディウス2」、「スナッチャー」、MSX2の「スペースマンボウ」、「ソリッドスネーク」。
ともかく、どれもこれも好きだった。ゲームも好きだし、ゲームミュージックも好きだった。


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|| 00:25 | comments (0) | trackback (0) | △ ||

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1989年3月 - 移植準備始まる
前回はコレ
この話は1988-89年頃、PCエンジン版のイースを作るとき、僕が経験した話を出来るだけ正確に記録に残すつもりで書いている。ただし、これは
1)21年前の話で、記憶違いの可能性は十分にある。
2)僕が聞いた話で、伝聞情報もある。
だから、当時の正確な記録ではない可能性はあるのは理解して欲しい。

さて本文。
イースの移植を始める前から「どんなゲームにするか?」の方針は決まっていた。
CD-Iを丸2年扱って、CDROMのメリットは容量とサウンドで、デメリットはアクセスタイムとわかっていた。
逆の書き方をするなら

・アクセスタイムはROM並みで
・オーディオがCDDAで
・ROMではあり得ない大容量を感じられる

と、これを満たせば、買った人は、とてもハッピーになれるわけだ。

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|| 19:40 | comments (2) | trackback (0) | △ ||

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1989年2月 - イースの許諾を取りに行く
前回の話
この話は1988-89年頃、PCエンジン版のイースを作るとき、僕が経験した話を出来るだけ正確に記録に残すつもりで書いている。
ただし、これは
1)21年前の話で、記憶違いの可能性は十分にある。
2)僕が聞いた話で、伝聞情報もある。
だから、当時の正確な記録ではない可能性はあるのは理解して欲しい。

さて、本文。
イースの移植の話が始まったのは、僕がハドソンでPC-8801(Mk2 SR)版イース2にハマっていたから。
1989年1月、デビュー作の「凄ノ王伝説」がデバッグに入っていてヒマになったのもあり、北海道のハドソン本社4Fの開発ルームの隅にあった企画のエリアに入り浸ってイースII(88年末発売)で遊び倒していた。
そこに当時ハドソンの常務だった(と記憶している)中本さんが「そんなに面白いんだったら移植をしないか?」ともちかけてきた。
当時、僕はROMの容量の厳しさにウンザリしてた。
そしてCD-Iの開発でCDROMを経験してたからCDのメリットと弱点を知り尽くしている自信があった。だから容量制限が実質ないCDROMでゲームを作りたくてしょうがなかった。
で、中本さんの話に「イースって1と2を合わせて1つの話になるように出来ているんだわ。だから1・2合わせて一本にすれば、CDROMの大容量のアピールになるし、売れる。それならやるよ」と返事をしたら、中本さんは絶大に行動力のある人で、たちまち僕を連れて、当時立川にあった(今でもあるのだろうか?)ファルコムに行くという話になった。

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|| 04:57 | comments (0) | trackback (0) | △ ||

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