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電ファミの記事のコト
チョコっとブログで書いておこうと思ったので。
電ファミニコゲーマーで連載をしている。
タイトルは『ゲームの話を言語化したい』

まあタイトルの中身通りの内容のテキスト。
「いわゆる暗黙知」形式知にするために

1)ゲームメカニクスの構造を定義
2)要素の一個一個に名前を付ける
3)全体のプロセスを解説

と、こうすれば誰でも同じように考えられますよって、ゲームの構造をともかく細かく言語化するってコトを延々書いてる。

よくこんなPVが取れそうにないメンドクサイ内容を編集部がOKしたと思うのだけど、それはさておき、どうして言語化するのかというと、暗黙知、すなわち明示的ではない知識を言語化することがゲームデザインというか、ゲームを作るうえで、ものすごく大事だと思っているからだ。

ところで、実はこの暗黙知って単語の使い方は正しくないのだけど、あえて一般的な意味での「暗黙知」、すなわち言語化されていない知識として扱っている。



ゲームで、できうる限りあらゆる暗黙知を形式知にすること、すなわちプロセスを明確にして、様々なコトを定義して、マニュアルや教科書に出来る形にして、誰でも実践できる形にするってことはものすごく大事だと思っている。

なぜなら、海外のゲームの連中はそれを愚直に徹底的にやったから無敵とも思えた80-90年代の日本のゲーム業界を凌駕したと僕は確信しているからだ。
凌駕した理由について、当時、日本のキャラがとか、PC市場がとか、英語がとかイロイロな理由が語られたし、僕もずいぶん理由を考えた。
どれも一理はあるのだけど「それが理由か?」と聞かれれると「いやあ、どうなんでしょう?」で、じゃあ複合的にそれらの理由で後れをとったのか? というと、それまたピンとこなくて、ずっと納得がいかなかった。
つまり日本のゲーム業界は海外のゲーム業界 に後れを取ったのは間違いない事実だけど、理由はどうにもしっくりこないというのが、海外で仕事をするまでの僕だった。
そして百聞は一見に如かずとはこのことで、海外で仕事をしてわかったことは、まさに形式知にするを徹底的に海外(主に欧米)の連中はやっていた、というか、それしかやってなかったということだった。

どうして彼らがコレをやるのか?
いろいろな理由はあると思うのだけど、一番の理由は人材流動性と文化の多様性につきると思っている。だいたい1年でスタジオの25%の人間が入れ替わるような仕事をしていて、しかも英語以外に文化的共通点がないような多国籍チームで仕事をしていると文化的な文脈の強い、いわゆるハイコンテキストな「あうんの呼吸」なんてカケラも通じない。なんせ首を縦に振る意味が違うことすらあるんだから「それはどういう意味?」と確認しないと仕事なんてしてられない。

これはたとえ話でもなんでもなく、ゲームロフトで仕事をしていたときは70人ほどのスタジオで28カ国の混成軍。韓国では5カ国の混成軍。現在はシンガポール・中国・ロシア・日本の4カ国で開発が分散していて、いるメンバーは9カ国。全部に共通して言えることは、チームの大半が英語がしゃべることしかなかった。

単語を、プロセスをあらゆることを明確に定義して誤解がないように作らなければ仕事にならないのだ。だから徹底的に形式知にする文化が出来たのだと思っている。

だけど、あらゆることを徹底して形式知にして積んでくこと、「こんなの言わなくてもわかるだろ」ってセリフが通じない世界は進歩が積まれていくという意味で恐ろしい。
形式知にするから、それをベースに議論して改善出来る。ノウハウをマニュアルにすることも出来るし、教科書を作ることも出来る。
それを知っていることを前提にして、さらに上のレベルの議論が出来る。
また彼らがスゴいのが暗黙知を形式知に転換する際にも、複数の方法で「こっちの形式知の方がいいんじゃね?」と一つの暗黙知を複数の形式知にして、それぞれのメリット・デメリットを議論するのも当たり前なことで、さらに失敗したり古くなったりしたことも全部積んで、これは失敗、これは古くなったとマークして歴史の中に置いていくことだ。
これを海外の連中はひたすらやる。GDCなんかも基本的には形式知にした試みの成功・失敗を発表する場だと思えばいいし、海外のスタジオでは日々こういった議論が戦わされている(国内でも一部ではそうなのは知っている)。

つまりゲームの進歩のためには暗黙知の形式知への変換は絶対に必須の超重要なことだと思っているので、言語化の作業に僕は執着しているわけだ。
だから、役に立つかどうかはわからないけれど、そんな感じのコラムを書いているのである。
|| 23:23 | comments (0) | trackback (0) | ||

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