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ゲームにムービーは必要なものか?
これは天外2の制作メモから派生したネタで、ずっと書きたいと思っていた話題だったので、ほぼ仕上げまで書いたところで放置していた文。なんとなくふっと仕上げてアップロードすることにした。

問いは「ゲームにムービーは必要なものか?」
と、こういうことだけど、この問いを議論する前に前提となる、ムービーの定義。

プリレンダもしくは実機レンダをプリレンダリングとして取り込んだもの、もしくはリアルタイムレンダリングで、基本的には一連のシーケンシャルな映画の数カットと似た構造を持つ、最大数分程度のアニメーションパートであるとしておこう。
まあ、これでほとんどの「ムービー」は定義できているだろう。

さて、ゲームにムービーは必要なものか?
答えは簡単。「必要ない」だ。
プリレンダだろうがなんだろうが必要ない。
ムービーを使わなくても説明可能だし、省略してもたいていなんとかなる。
それこそ数枚の紙芝居でもいいぐらいだ。

ただし、ここで「ほらみろムービーいらねだろ?」というようなアホっぽい話を書く気はない。
なぜなら、ムービーどころか、純粋にゲームの理屈を追求すると、およそほとんどのゲームにおける『演出』はほとんど必要ないことになるからだ。

なぜならゲームの理屈として、絶対に必要なものを考えていくと、2Dシューティングのボス登場シーンだっていらないし、格闘ゲームのラウンド前のちょっとしたデモもいらない。RPGなら遥か遠い昔のWizardyのように部屋に入れば"ワードナーが現れた!"でいいではないか、という話になる。
およそほとんどのゲームで『演出』の必要はない。
そこにポンと敵が現れたり、もしくはいたりすれば成り立つ場合がほとんどだからだ。純理論的な観点から見ればムービーどころではなく、およそ現在のゲームにある演出のほぼ全ては必要ない。
今どきのゲームでユーザーをドキドキさせる演出…そう、例えば2D縦STGで上からゆっくりとボスが現れるシーンだろうが、アンチャーテッド2のネパールで目の前にヘリが出てくる瞬間だろうが、それとも戦国BASARAでイベントが起こった瞬間だろうが、およそあらゆる演出は「なくてもたいていは問題なく成り立つ」、すなわち絶対に必須ではないものだ。

そして、さらに考えていけばアニメーションもサウンドも必要最小限のものを除いていらないという話になる。カラーもいらない。モノクロで十分だ。
別に音声などなくても、テキストを画面に表示すればわかる。サウンドもなくても成り立つ。もちろん音楽はいらない。スペースインベーダー程度のアニメーションすらほぼ必要ない。
それが証拠に1979-80頃に、僕がTK-80BSにスペースインベーダーを移植したとき、アニメーションなんて出来なかったし、グラフィックスもドット単位で動かないキャラクタ単位で、白黒で、移植当時はサウンドボード作れてなくて音は出なかったし、もちろんコントローラはキーボードだったけれど、ゲームは成り立っていた。
3Dゲームは?
ほとんどのゲームはポリゴンである必要はない。ワイアフレームでたいていなんとかなる。ワイアフレームでなんともならないゲームは多分ほぼ存在しない。
ほとんどの場合で、ものの形を正確にまねている必要なんてないのだから、抽象的な直方体で表現すればいい。
本当になんともならない、今のハードウェアが必要なゲームはごくごくまれにあるが、そんなのは例外中の例外だ。

つまりムービーがゲームを堕落させた、ムービーとかに頼らずテレビゲームの本質云々と主張する人たちの意見を聞いて、テレビゲームの本質とやらだけにすれば、テレビゲームは以下のものになる。
基本、白黒・音楽なし・音なし・絵は2D・アニメーションなし。
かくしてテレビゲームは1970年代後半~81,2年に戻って「テレビゲームのコア」だけが残ることになる。

極論?
そんなことはない。
僕は、1970年代後半に初めて自分のマイコンで(オリジナル)ゲームを作りはじめたとき、だいたい8セグメントのLEDで、テレビすら繋がっていない状態でコンピュータゲームを作り始めた。それでもちょっとはゲームは作れた。

ついでに書いておくと、このブログを読んでいる方はほとんど知らないであろう、カシオの「電卓インベーダー(シューティングとアクションを混ぜたようなゲームになっていた)」は8セグメントの液晶9桁しかない電卓でゲームは作られていた。そして中学生だった僕らは、この電卓インベーダーにゲロゲロにはまっていたわけである。
すなわち、グラフィックどころか数字が表示できるだけでもゲームなんてものは作れないことはないのだ。

テレビが繋がってからも、最初はもちろん音は鳴らない・キャラクタのみの白黒でゲームを作っていて、色々なゲームをもちろん作れた。
生まれて始めてみたSUB LOGIC社のフライトシミュレータは白黒のワイアフレームで、やっぱりゲームにはなっていた。
当時は当時のゲームしか知らなかったしテクニックもなかったから、ヘボなゲームしか作れなかったが、今のゲームを知っていれば、当時作れるものは沢山ある。
1980年前後のマシンでもエースコンバットまがいを作ることも夢ではないし、MZ-80K程度のグラフィックス(40x25のキャラクタグラフィックス/80x50のセミグラフィックス)でスーパーマリオブラザースまがいなら十二分に作ることが出来る。
音もなければアニメーションもなければ、白黒で、味もそっけもないゲームだろうが、成り立っていないわけではない。そしてゲームとして成り立っている限り、それ以外の要素はオマケということになり、ゲームの本質とやらには必要ないことになる。

極論言うな、という声が聞こえてきそうだが、1980年代半ばのPC-6000シリーズに移植された『タイニーゼビウス』だの、PC-66シリーズで出た『スペースハリアー』だのを見れば分かるが、結構ゲームになるものだ。
ムービーいらない理論を真剣に考えれば「テレビゲームのほとんどの要素は削ぎ取っても、成り立たないことはないのだから、ゲームの本質を重視するなら、テレビゲームは1970年代後半-80年前後のPONG程度に(多分CPUを除いて)逆戻りするべきだ」という理屈になる。

「いや程度問題だ」というなら、どれぐらいの程度なのかという話になり、これは「表現力はどれぐらいあるべきなのか?」という質問になる。
そして表現力はあったほうがいいのか、それともなくてもいいのか? と質問をすれば、もちろんあればあるだけいいに決まっている。
現在、表現力を上げていくことと開発費の上昇が絡み合って、いろいろな問題を引き起こしているのは事実だが、表現力がなくてもいいというクリエイターなんているわけない。
すなわち「ムービーだろうがなんだろうが表現力はあればあるだけいい」が答えだ。

また「ムービーだけはいらない」という主張をするなら「なぜムービーはいらないのか?」という話になる。
ムービーは、お話を説明する上で、広く知られた映像技術であり、的確に使えばもちろん効果的なのは確かだし、どう考えても紙芝居+テキストよりは基本的に表現力が上だし、だいたいムービーで使えて紙芝居で使えない表現がある。
ムービーがいるいらないではなく、どういうときに使えばいいのか、どんなゲームでは効果的かという話でしかないのは明らかだ。

結局「ムービーいらない」は「映画はカラーである必要ないよね」(白黒からカラーになるとき実際に言われた言葉)や「映画に音声なんていらないでしょう」(トーキー、すなわち喋る映画になるとき言われた言葉)と全く同じ論理だ。
ゲームにしても映画にしても、表現を広げるためにいろいろ技術が改良されているわけで、なくてもなんとかなるようにやるけれど、あったほうがいい表現になる可能性が高いのは全く当たり前だ。

そして「ムービーいらない」は「これは自分の欲しい表現ではない」の言い換えでしかなく、それは結局「僕はムービー好きじゃない」って好き嫌いのレベルでしかない
もちろん、好き嫌いは人のものなのだが、あたかもそれが「ゲームを作るうえでの重要な何かとムービーは結びついていない」というような一般化をすることは全く出来ないのは、今までの議論で明らかだろう。

つまり「ムービーいらない論」なんてのは、ムービーも表現を豊かにするための手段の一つでしかない事実を無視した、ただの好き嫌いでしかなく、論としては、まるで成り立っていないってことなのだ。
|| 19:11 | comments (16) | trackback (0) | ||

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コメント
コメントは承認制ですよね?
岩崎さん、なかなか性格が悪いです…
「お前はわかってない」とコメントしてる人達は、
まるで具体的な事を書いてない。
その割りに偉そうで、

「私は視野が狭くて何も分かろうとしない、進歩できない人間です」

と宣言してるようなものじゃないですか。
わざわざこんなのを掲載するとは…


結局自分が好きなものが正しい、という結論ありきで語るから、
実情はともかくムービーは害、と繰り返すしかできないんですよね…
| dns886 | EMAIL | URL | 12/09/11 10:17 | ws1Tfuvc |
せめてCDへの過渡期に行ったならもっと説得力あったんだけど、みんなわかってることをこのタイミングで言うのは今更感があります
| naika | EMAIL | URL | 12/05/23 11:30 | Ds3dBaEM |
買わなければいいとかメーカーの客層じゃないって、逃げのセリフだな。

宣伝や営業のためにとってつけた感じの手抜き内容だったり
いつになったら操作できるの?みたいな長さだったり
ムービーってゲームを中断してしまうものだから変なタイミングで流して
テンポを崩すくらいなら入れて欲しくないと考えているのが不要派でしょ。

だからムービーいらない=そういう演出がいらないなんて話にはならない。
ただムービーを使った演出が下手な作品に多く当たってイヤになって
もうまとめて「ムービーなんか必要ない」って言ってるだけだと思うな。
| あすか | EMAIL | URL | 12/05/19 05:38 | GqrjgHYQ |
ムービーが嫌いならそういうゲームを買わなければいいだけの話なんだけどねぇ、ムービー無しのゲームなんていくらでもあるんだし。

ムービー否定論者は自分がゲームメーカーの想定する客層の外にいることを自覚できてないんだなあ。
| KOU | EMAIL | URL | 12/05/15 23:44 | ztzExdN6 |
色々と出来る事が増えるし、それを使う使わないの選択が出来るので
性能はあった方が良いに決まってる
ってだけの話ですよね
| KOU | EMAIL | URL | 12/05/14 23:11 | 1B5zi04A |
FF13についてのレス、ありがとうございます。
また13-2を含む内容についての記事を楽しみにしてます!
| nyaru | EMAIL | URL | 12/05/14 19:49 | y.xcf1.o |
ただの好みでムービーがいらないという感想を持つのは間違いであるかのような意見ですね。
そんなことは作り手じゃなくユーザーが判断することでしょう。
一体誰のためにゲームを作っているのか分かりませんね。
| タモ太 | EMAIL | URL | 12/05/14 19:24 | r5xvvuD2 |
FF13は、簡単に書けるような内容ではないのと13-2に思うところがあったので、出来ればブログの記事には一度してみたいと思うのですが、まあ簡単に。
結論を簡単に書くと「すごくデコボコしてて、出来のいい所と悪い所の差がとんでもないソフトだけど、僕は基本的には好きなほうに入る」ってことです。
シナリオは、カットやセリフレベルでは全く評価してません。上滑りすぎ。全キャラ「どーよ」です。
ただ世界観は好きだし、カットバックで全体が明らかになっていく構成も嫌いじゃないし、事件全体の構成=あらすじレベルでは結構良く出来てると思ってます。
あ、ご都合主義は目をつぶりましょうw 特にラスト。
戦闘は大好きです。大冒険した戦闘だから、ビビって習熟曲線を緩くしすぎだと思いますが、ものすごい考えてあります。後半の難易度はハンパないので、楽しくてしょうがなかったです。ザコにすら一瞬のミスで負ける戦闘なんてそうそうないですw
グラフィックは出来が悪いといったらバチあたると思うし、音楽はとてもいいと思います。

そろそろお分かりかと思いますが、キャラへの思い入れは別になく、ストーリーは「こんな世界ね」程度で、世界観&戦闘を楽しむプレイで、僕は楽しんだってことです。
| 岩崎 | EMAIL | URL | 12/05/14 16:45 | KULp8pEI |
表現の方法があればあるほど良い。

その通りだと思います。
プレイヤーの想像力に任せる部分 しっかり表現する部分 作り手が作りたいようにできるのが一番です。
道具と同じ。 出来ない事があると困る。

ムービーが必要か。→必要ではない
ムービーは不要か。→不要ではない

映画の話を出している人がいますがご存じの通り去年の第84回アカデミー賞の作品賞は白黒のサイレント映画「The Artist」です。
3D映画でもなく色もなく音もない。
それでも支持を得ています。
| ふぁまる | EMAIL | URL | 12/05/14 16:29 | wNXwORho |
電卓インベーダーとまではいかないですが、rogueも白黒・音楽なし・音なし・絵は2D(というかキャラクタ)・アニメーションなしですね。
演出を増やしてグラフィックを発展させると「トルネコ」だったり「シレン」だったりみたくなる、と考えると、なかなか興味深いモノがあります。
| yuhkan | EMAIL | URL | 12/05/14 15:53 | AAeuZsLY |
下の方の言われるとおり、ユーザーが一息付ける程度の量で、かつムービーが最も適切な表現方法であると作り手が感じた限りにおいて、それは利用しても十分構わないと思う。
システムでも内部処理でも演出でも、「必要だから入れる」のであり、導入するための理由を探すものでも無ければ、ましてや「ゲームとはかくあるべき」という固定概念ばかりに振り回されては絶対にならない。

まぁそもそも、必要有る無し論議なんて作り手と遊び手の摩擦からくるもので、そういったものはどこにでもあるし、特に議論に値するものではないと思う。
「ムービーが多いからつまらなくなった」と言うのは遊び手の自由だし、それを聞いた作り手が次に活かすのか自身の理論をそれでも押し通すのかも自由。
ただその結果は販売本数や業績として目に見える形で反映されてくるけれど。

それでもあえて宗教や政治議論のようにつまらないこの議論に参加するのなら、矛盾した論理と主張無き主張を武器に、他人の揚げ足取りばかりで地に足の付かない的外れでつまらない文は書かない方が良いと思いますよ。
| 名無し | EMAIL | URL | 12/05/14 15:17 | eFmoHSUw |
こんにちは。いつも楽しく記事を読ませていただいています。

今回の記事を読んでいて思い返したことがあったのですが、以前アマゾンリンクにFF13-2があったと記憶しています。

シド・フィールド氏の著書は本当に名著だと思うのですが、それを紹介する岩崎氏がFF13を「面白い」と思った部分はどこなんでしょうか?
一般的にはウケがよくなかったですし、シド・フィールド氏の技術論とは真逆の展開をしてたように思えて、不思議でしょうがなかったです。

よろしければお答えいただけると嬉しいです。
| nyaru | EMAIL | URL | 12/05/14 14:27 | y.xcf1.o |
尊敬していた岩崎さんが、このような考えしかできないということが、とても残念であり、また、時代の流れを感じます。

「映画はカラーである必要ないよね」「映画に音声は必要ないよね」というのは、カラーになったり音声が付いた当初に言われた言葉であり、今の時代、こんなことを言う人はほとんどいません。

しかし、ゲームのムービーは違います。
ゲームにムービーが使われるようになって20年、今ではほとんどのゲームにムービーシーンが使われるようになり、
ユーザーたちもムービーのメリットは十分知っているにも関わらず、それでも「ムービーいらない」という人が少なからず存在するのです。

それはなぜか。

ここに注目できないようでは、今のユーザーに求められているゲームは作れないでしょう。
| いちファン | EMAIL | URL | 12/05/14 10:26 | 1JEDfVZo |
CG MOVIEはOPと必殺技や機械などが動き出すシーンなどだけでいいと思う。
OPはどういった世界観なのかワクワクさせ、紹介になるし操作できる本編では表現しずらいシーンとかならMOVIEで良いと思う。
作品によってはOPを観る事でアニメのOPを観る様なさぁ始まるぞって感じで毎回スタート時に観ていたりしていた。
ただ語るシーンなどは正直専用のMOVIEは要らないと思う。
一度観たら二度と観ないし二度目はスキップされるのがオチで映画を観ているような操作しないような作品を作り出したらゲームじゃない。
| zzz | EMAIL | URL | 12/05/14 10:04 | AqqiG48. |
ムービーが頻繁に入ってるゲームでも気になるものと気にならないものがあるんですよね。
なんでだろうと考えてもよく分からない。
結局キャラが好きとかストーリーが気に入ったとか所詮「好み」かどうかでしかないのかな。
| T.A | EMAIL | URL | 12/05/13 23:25 | FBGyTzPE |
①「ムービーがゲーム表現を豊かにする<安易なムービーがゲーム表現を貧しくする」 ならばムービーを撲滅するほうが+-で+になるよね。ムービー要らない論者って普通そうじゃないの?宗教原理主義的にムービー憎んでる派閥なの?

②クリエイターは自分の表現に必要なだけ表現力があればいい、あればあるだけいいわけじゃない。
| くすぐり | EMAIL | URL | 12/05/13 22:35 | QDsjM4Lg |
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