2012-11-15 Thu [ 転載物::商業誌 ]
これは『電撃王』や『電撃プレイステーション』に載せていたコラムの中で思い入れが深いものや、付け加えをして今出すと面白いと思ったものをアップトゥデートして載せていくシリーズ。
今回は2004年の電撃プレイステーションに載せたコラム。
誰得ゲームライフでドラクエを取り上げたので、ちょっとそれを記念して、載せておきたい。
ゲームの世界では「移植」や「リメイク」と言ったことが、普通の映画やテレビよりも頻繁に行われる。理由は簡単で、昔のゲームは昔のハードで動く…すなわち、今はソフトも手に入らなければハードも手に入らない「幻の作品」になってしまうからだ。
この移植が行われる際には、当たり前ながらいくつかの方法がある。
まず誰でも思いつくのが基本的にはオリジナルのままで、資料的などを充実させる。「ナムコミュージアム」が典型例で、古いアーケードゲームに非常に多い形式だ。
もう一つがアレンジ版のゲームと、移植そのままのゲームの2種類のゲームを楽しめる方式。「ザナック×ザナック」や「ファミコンミニ(これはGBAだが)」など一昔前の家庭用ゲームマシンのシューティングやアクションのリメイクに多い。
そして最後が、色々な物を今風にして、全面的に作り直してリニューアルする、いわば文字通りの「リメイク」だ。例えば、ドラクエIVがそうだし、ワンダースワン版の「FF」、「FFII」もそう。そして今回取りあげる「ドラクエV」もそうだ。
この「今風にするリメイク」はRPGに大変多いわけだが、それも当たり前の話で、日本のRPGは「ゲームでストーリーを語る媒体」として発達してきた要素が非常に強く、常に「そのときのハードウェアで可能な限りの演出」が行われてきた経緯がある(FFはその代表格である)。
つまり、昔プレイした人たちにとっては「凄い演出の凄いゲーム」であったことが多いのだ。だが、過去のハードウェアでの演出など、今のマシンのレベルからすると、ゴミのようなもの。言い換えるなら、そのままの移植をすると「ショボイ」。
つまり、そのまま移植すると、知っているユーザーには「思い出が壊されたような気持ち」になり、新しいユーザーには「ただのヘボなゲーム」である可能性が高いわけだ。
(では、どうしてアーケードはそういう移植が行われることが少ないのかというと、これが資料的な意味なども含むからだ)
だから、RPGは「今風にアレンジして移植する」事が多いわけだ。
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今回は2004年の電撃プレイステーションに載せたコラム。
誰得ゲームライフでドラクエを取り上げたので、ちょっとそれを記念して、載せておきたい。
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ゲームの世界では「移植」や「リメイク」と言ったことが、普通の映画やテレビよりも頻繁に行われる。理由は簡単で、昔のゲームは昔のハードで動く…すなわち、今はソフトも手に入らなければハードも手に入らない「幻の作品」になってしまうからだ。
この移植が行われる際には、当たり前ながらいくつかの方法がある。
まず誰でも思いつくのが基本的にはオリジナルのままで、資料的などを充実させる。「ナムコミュージアム」が典型例で、古いアーケードゲームに非常に多い形式だ。
もう一つがアレンジ版のゲームと、移植そのままのゲームの2種類のゲームを楽しめる方式。「ザナック×ザナック」や「ファミコンミニ(これはGBAだが)」など一昔前の家庭用ゲームマシンのシューティングやアクションのリメイクに多い。
そして最後が、色々な物を今風にして、全面的に作り直してリニューアルする、いわば文字通りの「リメイク」だ。例えば、ドラクエIVがそうだし、ワンダースワン版の「FF」、「FFII」もそう。そして今回取りあげる「ドラクエV」もそうだ。
この「今風にするリメイク」はRPGに大変多いわけだが、それも当たり前の話で、日本のRPGは「ゲームでストーリーを語る媒体」として発達してきた要素が非常に強く、常に「そのときのハードウェアで可能な限りの演出」が行われてきた経緯がある(FFはその代表格である)。
つまり、昔プレイした人たちにとっては「凄い演出の凄いゲーム」であったことが多いのだ。だが、過去のハードウェアでの演出など、今のマシンのレベルからすると、ゴミのようなもの。言い換えるなら、そのままの移植をすると「ショボイ」。
つまり、そのまま移植すると、知っているユーザーには「思い出が壊されたような気持ち」になり、新しいユーザーには「ただのヘボなゲーム」である可能性が高いわけだ。
(では、どうしてアーケードはそういう移植が行われることが少ないのかというと、これが資料的な意味なども含むからだ)
だから、RPGは「今風にアレンジして移植する」事が多いわけだ。
2004年のコラムで、当時は今ほどリメイクがされたなかったので挙げているタイトルが少ないw
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