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ミッキーマウス「不思議の国の大冒険」のドタバタ
これはほぼ30年前の話であり大枠は間違っていない自信はあるが、細部については間違いがある可能性は十分にある。
当時のことを覚えているスタッフがいたら、ぜひ覚えてる話をfacebookにでも投げてほしい(つーても、これについて知っているはずの直接の知り合いは山本さん、マンガさん、三上君ぐらいしかいないけど) 。

今まで何回か書いてきたことだが、29年前の1988年に、デビュー作のさいきょーRPG 『凄ノ王伝説』を作るために北海道ハドソンに行ったとき、一緒に仕事をしたアーティストに山本さんという方がおられた。
この方はハドソンで一番最初に「デザイナー」と呼ばれる仕事をした人で、野沢さんの『スターソルジャー』でも背景のドットを打っておられる、大変な職人さんだった。

当時は絵を描く人はドット屋もしくはグラフィッカーもしくは、デザイナーと呼ばれていた。
そして、日本では絵描きの仕事は今では普通デザイナーと呼ばれるが、これは海外の職分では[2D|3D|テクニカル]アーティスト。
そしてデザイナーというと「ゲームデザイナー」や「レベルデザイナー」で、間違っても絵描きではない。
これは海外(主に欧米)と仕事をするとき、必ず用語で混乱するので、合わせた方がいいと思っているのだが…

で、コンソールゲームのノウハウがさっぱりわかっていない僕は、結構山本さんのノウハウに助けられたわけだけど(アルファの連中のノウハウにも、もちろんハドソンのノウハウにも助けられたのだけど)、これは実はその話とはまるで関係ない、僕が記憶している、山本さんがかかわったゲームの話をここに記録しておこうというわけである。


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|| 19:04 | comments (3) | trackback (0) | ||

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続・PCエンジン時代の圧縮
8ビット時代の圧縮の話をブログに書いたところ、いろんな人が「俺も使っていた」とlzssについてゲロっているのを読んで笑ってしまったのだけど、ちょっとここで、つぶやかれていた質問「どうしてファミコン時代には圧縮がほとんど行われていなかったのか?」について書いておきたい。

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|| 21:28 | comments (0) | trackback (0) | ||

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PCエンジン時代の圧縮技術
1988年に初めてプロとしてハドソンでゲームを作れることになったとき、ハドソンではゲームを作るときデータ圧縮をするのが当たり前だった。
テキスト、グラフィック、マップ…ともかく圧縮できるものは全て圧縮するのが当たり前だった。

「ウチは圧縮するのが当たり前になっているから、他よりゲーム規模が大きく出来てお得感があると思うんだよね」と(少々自慢気に)飛田さんが話していた。
確かにファミコン最初期の『ロードランナー』からして、普通に作ったのでは絶対に入らないはず(APPLEIIのディスク前提のゲーム、つまり128KBあるはずのものを16KBに移植している)なので、入れるためにはデータ圧縮になるよなあと思う。
だから、そこらへんの移植の経験から圧縮するようになったのだろうと想像していたのだけど、どうしてコレを始めたのかについての本当の理由がわからなくて、facebookでそこらへんを始めた頭目っぽい飛田さんと野沢さんに聞いたトコロ、答えがわかったので、メモ書き代わりに残しておく。

まず、技術的な話から始めると、当時ハドソンで使われていた圧縮の系列は2つあった。
一つがテキストの圧縮に使われていたhuffman。もうひとつがlzss
huffmanは出現頻度に応じて長さの違うビットコードを割り当てることで圧縮する方法で、lzssはいわゆるスライド辞書法だ。

では、この二つをどうして使うようになったのか?

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|| 19:17 | comments (1) | trackback (0) | ||

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スターソルジャー30周年記念(5)/終
twitterで「スターソルジャー30周年ですね」と言われ「あっ」と思って、せっかくだから30周年を記念して、イロイロ野沢さんに聞いてみたら、まったく聞いたことがない話がいっぱい出てきたので、メモ書きとして残しておくシリーズ。
以下はリンク。
スターソルジャー30周年記念(1)
スターソルジャー30周年記念(2)
スターソルジャー30周年記念(3)
スターソルジャー30周年記念(4)

このブログに来る人で、知らない人はいない気がするけれど、お約束的に『スターソルジャー』について書いておく。
『スターソルジャー』はハドソンから1986/6/13にリリースされたファミコン用の縦スクロールシューティングゲームだ。販売本数は約100万本。
第二回の全国キャラバンに使われたソフトで、高橋名人の16連射を印象付けたソフトでもある(第二回の全国キャラバンで人気が爆発することになる)。

あと、この話に加筆して修正した内容を冬コミに新刊として出す予定ですが、なんつーか書きたいこと二つをひっつけた、とんでもない本で、もう一本、ペルソナ5のレビューつーか評論つーか、P4GとP5をプレイして思ったコトのテキストが入る予定っす。
ブログでなくて、同人誌なのは、本当にP5について書こうとすると、どうしてもストーリー的にネタバレな内容に踏み込まざるを得なくて(P4/P4Gと比較してそこがスゴく大きな違い)、そんなもんをこのブログに載せたくなかったのです。

今回もまたプログラムの話。今回は有名(?)な高橋名人バグの話がメイン。

ちょっと書いておくと、当時、僕がつきあっていたのは当然作っている側が中心なので、北海道および東京の開発の話ばかりで、キャラバンの話とか(まあ聞いてはいるけれど)そういう話は基本あんま出てこない。
ついでに書くと、ゲーム開発なんてメディアのインタビューを除けば、毎日地味なものだ。
ファンタジーとしてなら笑って許すが「痛みを知るために俺を殴れ!」とか「これによって一気に面白くなるぜ!」なんてないし(あってたまるか)、マスター3日前に「仕様を一部変更する」なんてディレクターが言ったら速攻ぶん殴って、その場でディレクターから下ろす(そもそも完成しなくなる典型パターン)。
フィクションとしての面白さと現実は違うのだ。



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|| 17:55 | comments (2) | trackback (0) | ||

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スプライトローテーション・その3
なんと信じがたいことに「スプライトローテーション」の第3回だ。

スプライトローテーション(1)
スプライトローテーション(2)

スプライトローテーションがどんな技術で、どのようにして使われていたのかについては上の二つを参考にしていただきたい。
どうしてこんなことを書くハメになったのかというと、答えはとても簡単で「スターソルジャー」の第5回を書こうとしたら、一個書いていないスプライトローテーションの技術があり、それを野沢さんが使っていることがわかったので、しょうがない、という話なのである。

というわけで本文。



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