天外2開発記 22 5月 2011 1990年9月 – スーパーCDROM 天外2のゲームデザインは順調に進んでいた。 レッドで行われる週に一度の制作会議では、シナリオが具体的になるに従って、桝田さん・広井さん・あだちさん・僕の4人と、山田真木(広井さんの秘書)で、それぞれが役を持ってセリフや動機、場合によっては何をやるかを考えながら、一国ごとにテーブルトークRPGのように… 続きを読む
天外2開発記 9 5月 2011 1990年8月 – 卍丸 7月頭に、初めてREDに行ってからあと、天外2のミーティングは週に一度のペースで、浅草REDで継続的に行われていた。 広井さんとあだちさんの監修の下で、だいたい毎週、桝田さんが新しい議題を提示し、各自が前回のミーティングで持ち帰った課題の解決案などを示して、それをまた枡田さんがまとめ、次のミーティン… 続きを読む
天外2開発記 19 4月 2011 補足(1):天外世界の創造者 コメントで質問された事には、あとで触れることも、今書いたほうがいいことも、いつ書くか迷うものもあるのだけど、いつ書くか迷うけど、といってほったらかしにしておくのも難しい事を補足、として付け加えながら書いていくことにした。 今回は『原作者』についてや、背景設定などについて。 公然の秘密だろうとなんだろ… 続きを読む
天外2開発記 10 4月 2011 1990年7月 – 浅草REDにて 1990年7月。夜7時。 当時、浅草にあったREDの4F。 僕は天外2の初めての打ち合わせに臨んでいた。 広井さんが手がけてきたビックリマンやらネクロスやらがそこらじゅうに転がっている中に応接セットがあり、その横にレーザーディスク(まだDVDはないよ)と、馬鹿でかいテレビ(当時としてはとても大きな多… 続きを読む
天外2開発記 26 3月 2011 1990年6月 – CDROMを拡張する!? イースの製作メモの最後で書いたが、天外2の開発を始めるからやってくれ…と話された後、中本さんとしばらく話し込んだ。 1990年半ばには、僕はフリーでの税金処理の面倒くささ(これも一度ブログで書きたい話だ)に参って、当時、角川メディアオフィスの編集長だった佐藤辰男さんの誘いを受けて、角川メディアオフィ… 続きを読む
天外2開発記 26 2月 2011 1989年、天外1 PART2 1988年末、うっかりハドソンに催促の電話をかけたため、天外1の作り直しを頼まれ、いやなので値段を吹っかけたのに飲まれてしまって、天外1の作り直しをするハメになった桝田さんは何をやったのかというと… 僕が覚えている、桝田さんから聞いた催促の電話をしたときの話を書くと、結構な夜に電話がかかってきて、も… 続きを読む
天外2開発記 19 2月 2011 1989年、天外1 PART1 今回は実際に天外2に参加する前の、1989の話。 天外2はもちろん天外1の続編で、どうして天外1がああいうゲームになって、そして例えば、どうして術が交換できるのか? なぜ、戦闘システムはああなのかを知らないと、結局、天外2の話はわからない。 というわけで、今回は天外1と桝田さんの話。 まず全体を把握… 続きを読む