Roe Adamsがやったこと(3)

Roe Adamsがやったこと(1) / (2)
前回の最後で

最初に考えたことはなんだったのかというと、それは、どのようにして聖者になるのはではなく、どのようにして世界の隅々まで旅させるのか? だった。

と書いたが、なぜローはそんなことを考えたのか?
どうしてそうさせようと思ったのかを、直接ローに聞いたわけではないが、ローが何をやったのかやどのようなプレイや問題解決をする人間だったのかをよく知ってはいるので、理由はとてもよくわかる。
そもそも、Ultima1-3は、世界をウロウロ出来るゲームなのに、世界を探索させる/するゲームに全くなっていなかった
ファミコン~SFC時代のドラクエ・FFといったゲームをプレイしている人は「ゲームのマップは(海を除いて、また意図的にスペースを開けているところを除いて)だいたい隅々まで使われる」のは当たり前の感覚だと思うけれど、当時のultimaはぶっちゃけそんなことは全然なかった。
あちこちにあるダンジョンは極論するとたいてい無意味で入るだけムダ。街すらヘタするとアイテム補給と休憩以外の意味がほぼ無い(情報がないという意味)なんてこともあった。
つまりゲームを解く上で必要な場所はとても少なくて、探索損…とまでは言わないが、少なくとも目的があって探索することはあまりなかったと考えていい(2時間ぐらいダンジョン歩き回った挙句に何もないのでは探索損と言われてもしょうがないが)。
これはUltimaに限ったことではなくて、当時のゲームはたいていそんなもんで、3Dダンジョンゲームでもその傾向ははっきりあって比較的ストーリーがあるとされているウィザードリィでも、ブルーリボンを手に入れる4Fまではそれなりにパズルも探索もあるが、5-8Fなんてぶっちゃけなんの意味もない(まあマッピングするのは楽しいけれど)。


また前回書いた通りーー

なぜなら、このころのゲームのシナリオは極めて単純で「Aを見つけろ」か「Aに行け、Bを手に入れろ」というようなコトを繰り返す、まるで借り物競争のようなモノの延長上にゲームエンドがあるものがほとんどだった。”Ultima”シリーズも例外ではなく、ヒントと呼べないようなテキトーなメッセージの羅列がシナリオでございの世界だった(しかも街という街に同じセリフを言う奴がいたり…街で話す気がなくなるんだよね)。

こんな感じで、今の感覚で言うシナリオらしいシナリオはなかった。
加えて書く「Aがないとダメだ」とは言われるけれど、ではAはどこにあるのかについてのヒントはない、そんなゲームだった。
つまりUltimaは世界を冒険する楽しさはあったけれど、謎を解く…というよりは、テキトーに世界を歩き回っているうちに、ダンジョンやあちこちでモノが手に入り、テキトーに解けてしまう、そしてナゾよりもたいてい最大の問題は敵の強さで、それを解決するのにやたら手間がかかる、そんなゲームだった。

これから想像がつくと思うが、ほっつき歩いているうちに見つけたダンジョンに入ってみたら、なんだかよくわからないアイテムAを手に入れて、またほっつき歩いているうちに「Aガ ナケレバ Bハ デキナイ」なんてテキストを読んで「あーこれがいるんだ」と思うような、今の感覚からすると前後関係が破たんする謎もよくあった。

ただ、それでも”Ultima Ⅲ”も”Wizardry”も、信じられないぐらい面白いゲームでハマりにはまるゲームだった。
何より大事なことだが、1983年当時、コンピュータゲームはまだピカピカの新しい遊びで自分の操作でテレビの中で何かが起こるだけでも面白かった
日本の話をすると、1983年から見れば、スペースインベーダーの大ブームが1978年でわずか5年前。
子供たちになじみの深いゲーム&ウォッチは1980年で発売されて3年(そしてマニアの間では、任天堂のイメージはゲーム&ウオッチとアーケードゲームのメーカーだった)。ファミリーコンピュータがようやく発売された年だ。
ハドソンがMZ-80K用にパソコンソフトを全国的に売り出したのが1979年、日本ファルコムの創業は1981年で、光栄は第一作の『川中島の合戦』が1981で、最初の『信長の野望』の発売が1983年(PC-8001のBASICで記述されていて、簡単に改造できたので改造しまくって遊んでいた)。
月刊アスキーに『表参道アドベンチャ』が掲載されたのが1982年の春、マイクロキャビンの『ミステリーハウス』(シェラ・オンライン版ではない)が発売されたのが1982年の秋(MZ-80B版が82年6月という情報あり)。
1983年の日本では一大RPGブームを巻き起こす『ザ・ブラックオニキス』はまだ発売されていないし『ドルアーガの塔』もまだで、雑誌ログインで、今アメリカで最高に流行しているジャンルはRPGっていうんだぜ、なんて記事が載っていて、日本最古のCRPG として1983 年4月にアスキーに掲載された 『アルフガルド』や、光栄 が5月頃にリリースした『クフ王の秘密』という作品がある程度だ。
つまり1983年は、まだコンピュータゲームはピカピカに新しい遊びで、その超最新鋭ジャンルがCRPGで、自分が世界やダンジョンを放浪していたら、敵が現れて戦闘出来て、それを倒し撃て成長して強くなる、このプロセスだけで、もうめちゃくちゃ面白かったのだ。
だからシナリオがテキトーでも、マップの大半が無駄だろうが、十二分に面白かったのだ。
だがローが”Ultima IV”をデザインするとき、それでは納得できなかった。
彼はテーブルトークRPGのプレイヤーとして長年の経験があり、またInfocomや様々なAdventure Gameで複雑な謎に慣れ親しんでいたので、当時のCRPGの「シナリオ(この場合には謎解きと読み替えて問題ない)」はあまりに単純すぎた(前回、Adventureのシナリオをあってなきがごとしだと書いたが、それでも絵+テキストで扱われるゲームなので、CRPGと比較すればけた違いに複雑だった)。
そしてもう一つ、ローが慣れ親しんだAdventureゲームは場面の組み合わせでできているゲームなので、CRPGのマップのような無駄はでない。
だから無目的に無駄な領域がたくさんあるのがイヤだったのかなあ…とか思ったりもする。
さて、そんな憶測はともかくとして、世界をくまなく歩きまわってもらうためには、世界をくまなく歩きまわる必然が必要だ。
そこでローが考えたのが

・聖者になるためには徳を積まなければならない。
・徳は8つあり、それぞれに徳を積む方法は違う。
・世界中にある8つの街の一つずつが、その徳を代表している。

まとめると、世界にある街がそれぞれの徳を代表していて、そこで徳のことがわかるという構造をローは考えつく。
これは聖者になるためには世界をめぐる必然になり、動機と目的が一致するあまりに決定的な構造だった。
なんでこれを思いつけるんだ、と言いたくなるとんでもない構造なのだけど、これに加えてローはさらにスゴいやり口を導入する。
というところで続く。

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