エメラルドドラゴンPCエンジン版20周年

最近、エメラルドドラゴン(以下、エメドラ)のPCエンジン版が20周年だっと言われたので、ちょっと移植が始まった時の話をメモ代わりに簡単に。
もともと、エメドラを作る理由になったのは、当時結構騒ぎになった角川のお家騒動のせいだった。
お家騒動の件については、インターネットで検索でもしてもらえばいいのだけど、そのとき、角川メディアオフィスから飛び出たメンバーで創業されたのがメディアワークスで、そこに僕が参加してたゲーム事業部があった。で、なんにしても立ち上げた雑誌とタイアップで盛り上がれる目玉が欲しいというので、当時複雑だった権利関係をまとめあげられてスタートしたのが『エメラルドドラゴン』

ちなみに複雑怪奇だった権利関係を誰がまとめあげたのかはさっぱり知らないので、そこらへんを僕に聞かれても困る。あと、この権利が今ではどうなってるかもわからないので、リメイクとかできないんですかとか聞かれてもわからない。同じ理由で配信についてもわからない。

と、この時は書いたのだけど、今では権利関係はほぼわかっていて、移植が不可能ではないこともわかっている(2021/1/28)。

スタートして本当に驚いたのが、シナリオ書いてゲームデザインをしたEJUNこと飯淳(いいあつし)君が、なんと僕が中学1年ぐらいのころからの知り合いだったってことだ。彼に言わせると、僕が吹いたせいでパソコンにハマった挙句にゲーム作っているらしいけど、まあ中学生の自分のセリフなんて責任取れないし、それに、それで今でもメシ食えてるんだからチャラってことにしておきたい。
また、あとでちょっとしたことで有名になったプログラマの池亀君とも、一度台湾料理屋で食事している。そんときに「移植するにあたって、なんか希望ありますか?」と聞いたのだけど、別段これといった希望はなかった。かなり変わった人で、ネタとして振ったのは事実なんだけど、食事の間中、88のスクロールについて延々としゃべっていた。
キャラクタデザインをやっていた木村明広君とは僕は直接には会わなかったけれど、ビジュアルシーンの絵はほぼ彼及び彼周辺のスタッフが描いている。…のだけど、これがともかくパソコン屋さんらしい、8ドット境界を意識しない圧縮の効かないデータで、我らがスーパー山根に来てもらって、データをチマチマ改造してもらった。
ところで、ゲームは一人じゃ当然作れないけれど、メディアワークスはゲーム会社じゃないから、そんなにゲーム専業の人間を雇うわけにもいかない。だからフリーランスをかき集めて作っているし、協力してもらっている会社も当然ある。
プログラムをやってもらったのはアルファシステム。音楽については福田さん。アートについてはアルファでもやってもらっているけれど、他にも信頼できるアーティストだった、山根とか小林浩一郎とか林田君とかに手伝ってもらってる。
そして、当時、アルファとまた仕事することが決まって、速攻でやってきたのがパソコンの完全移植版エメドラだった。
アルファの長谷川君が、英雄伝説のソースを流用してマップとかそのまま吸いだしてサックリとPCエンジンで動くオリジナル版を作ってくれたのだ。
雑誌で公開されたこともなければ、ディスクもないので、現在見ることできないが少し残念だ。
スゲーと思いながらも、僕は熊本に電話をして「いや、実は画面は全面的に直すつもりなので、わりーんだけど、これは使えないんだよ。使えるのは戦闘だけかなあ」と言っていた。
というのもエメドラをスタートするとき、僕は5つの方針を立てていた。

  • タムリンを賢くする
  • NECから出ることが決まっていたので、ともかく周辺機器はできるだけサポートする
  • ビジュアルシーンは基本全画面にする
  • 音楽は福田さんに好き勝手にやってもらう
  • 完全移植はしない。アレンジにする。

と、まあこんな方針。
知らない人には最初の1個が一番不思議だと思うが、これついては『タムリンの秘密』ってタイトルで書いておいたので、それでも読んで欲しい。
どうしてNECから出ることになったのか、経緯はさっぱり知らないのだけど、なんにしてもPCエンジンにはNECが出した「汎用っぽいんだけど、使い道がないハード」ちょっと多かった。だから、これをちゃんと使えるようにして「買ってよかったでしょ」と思ってもらうことにした。
アーケードカードはキャッシュに使えばアクセス減らせるから嬉しいってことになるし、格闘ゲームが流行していたので発売された6ボタンパッドは操作に割り当てられるボタンがあるで解決できる。メモリベース128(当時としては巨大なデータを外部に保存するための周辺機器)は本体内部のセーブデータ転送ツールを作れば問題解決…で、当時持っていた人が得した感は出せたんじゃないかなあと思っている。
実際、少なくとも僕はメモリベース128には大いに活躍してもらったし、当時のライター/レビュワーには喜んでもらえたのは間違いない。
次の2つは誰でもわかる話でしかないと思うので、あと、最後の「完全移植はしない。アレンジにする」についての説明をしておきたい。
まず当たり前だけど、オリジナルのシナリライターの飯君とキャラクタデザインの木村君がいたから出来ることがわかっていた。
それに、どっちにしても声優さんなどの絡みでシナリオのセリフについては書きなおしが必須だし、ビジュアルシーンだって作りなおしだ。
そこにシナリオライターの飯君と元の絵を描いた木村君がいるのだから、気に入らない所はガンガン直してもらう方針だったってこと。
オリジナルスタッフがいるってのはありがたい。
次の理由として、パソコンからそのまま移植するのはあまり筋が良くないと僕が思っていたこと。
これについてはちょっと補足しておきたい。
当時、PCエンジンCDROMのゲームはパソコンからの完全移植を謳うソフトが多く、画面レイアウトもそっくりにすることが多かった。
で、当時のPCゲームは画面にステータスだのなんだのが右とか下に大きく表示されていることが多かったのだけど、これにはハッキリした理由がある。スクロール領域を少しでも狭くして、スクロールに余裕を持たせたかったからだ。

当時のパソコンのほとんどはソフトウェアで直接VRAMを書き換えることでスクロールを行っていた。だからスクロールは恐ろしくCPUに負荷をかけるルーチンで「高速スクロール」が技術力の代名詞になるほどだった。
また、極めて特殊な例として半分プロテクトの意味があったものもある。

ところが、そういう画面レイアウトまでPCエンジンに移植することが多かった。僕はこれをマズいと思っていたわけだ。
というのも、PCエンジンのようにスムーススクロールがついているハードウェアで同じ画面を作ると、PCエンジンは多重に画面を持っていないので、逆に画面処理に様々な制約が出てくる。だから「枠なんて取っ払えるなら、取っ払った方がいい」わけだ(ただ、仮にメガドライブだろうとSFCだと後述する同じ理由でアレンジを選択したと思う)。
ところが山根のようなマップ作りの偏執狂が仕事をしていると、マップがどこまで見えるか自体が極めて重要になったり、それとも画面サイズがシビアに問題になったりする場合もある。だからイースの時にはしょうがなく320ドットモードを使ったし、しょうがなく枠をつけたわけだ。
でもエメドラをプレイした限りでは、そこまでマップに気を使っているようには思えなかった。
ならば256モードの方がスプライトの制限は少ないし、スクロール時のチラつきも抑えられるし、キャラを大きくできるからユーザーへのアピールにもなるしで、いいことしかなかったので、マップ中央に大きなキャラを置いてスクロールする全く普通のゲームとして作ることにしたわけだ。
今の目から見ると、バトルも横にステータスを出す必要はなかったと思うのだけど、当時はUIやUXについて、今ほど考えなかったので、しょうがないかなと思う。
と、こんな理由で、戦闘以外のゲーム画面はまるで変わってしまったわけだ。
ゲームのディレクションってのは、こんな風に一番最初の方針を決めるのが一番大事だと思っている。
ディレクターは、スタッフが方向を確認するための風見鶏なのである。

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1件のコメント

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    いつも楽しく読ませてもらってます。
    メモリーベース128のセーブデータ入れ替え機能は大変重宝させていただきました。
    アーケードカードも対応ソフトが少なかったので対応してくれるソフトが出るたびにテンションがあがっていました(笑)
    また、うちは、PC版を知らない人だったのですが、
    こういう歴史を知れば知るほど比較して遊んでみたりしたいなぁって思いますね。
    本当にありがたいです。
    これからもいろんな記事を楽しみにしてます。

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