1988-90年前半、ハドソンの風景(1)

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この話は1988-89年頃、PCエンジン版のイースを作るとき、僕が経験した話を出来るだけ正確に記録に残すつもりで書いている。ただし、これは

1)21年前の話で、記憶違いの可能性は十分にある。
2)僕が体験したり思ったりしたことを書くようにしているが、伝聞情報(二次情報程度)もある。

だから、当時の正確な記録ではない可能性はあるのは理解して欲しい。

■■■

前回書いたことでTwitterで聞かれた「サターン版ではフィーナを助けなくても良かったのはPCエンジン版では必須になっていたけど」という話。
あまりに簡単だったのですっかり忘れていたが、確かにそうだった。
フィーナもオリジナルのパソコン版では助けるのは必須ではない。
当たり前のことながら、全くマズいので宝箱の鍵をフィーナに持たせたのだが、考える必要もないぐらい簡単な改訂だったので、改訂したことすら忘れていた(苦笑)
記憶というのは面白いもので、一度思い出すと、ちゃんと芋づるで出てくる。
進藤が「フィーナ助けずに神殿をクリア」して嬉しそうな顔をして僕を見てて、山根がポカーンとした顔してるのに「こんなの簡単だよ、フィーナに宝箱の鍵を持たせりゃいいんだよ」というようなセリフを言った記憶が出てきた。(『宝箱の鍵が宝箱に入っていること自体がかっこ悪い』と思っていたのは間違いない)
もちろん、自分が記憶を作った可能性はあるけれど必須にしたのは確かだ。
本名荒井さんの指摘により若干追加。やはり記憶は曖昧で神殿はクリア出来るが、全部クリア出来るわけではなかったらしい。フィーナなしで神殿がクリア出来ることと、宝箱のカギが宝箱に入っているのがイヤで修正したってことだろう
と、ところで、少しイースの制作から寄り道をした話を書こうと思う。
というのも他の会社から売り出される予定のソフトを、ハドソンで作っていたりデバッグしていたのは僕にとっては当たり前だったが、一般の人が知らない事実だったと「も」さんのコメントで、分かったので、リクエストにお応えして、そこらへんの話を書いてみようというわけだ。
これまた当時だったらマズかったのかも知れないが、もう20年前の話で、新人すら働き盛り~ベテランになるだけの年月だ。遠慮なく書いてしまって構わないだろう。


まず、僕は凄ノ王&イースの制作で2年半ほど札幌のハドソンの近くで暮らしていた。いた期間は1988年の初頭から1990年7月頃まで。東京の借りていた部屋に帰るのは平均で月に1週間なかったと思う。このとき、料金を払っていてもガスは止まると知った(笑)
(びっくりして電話したら、ガスは爆発などの危険があるので、定期点検を出来ないと外部から元栓を閉めることになると教えられた)
ハドソンは札幌の豊平にあって、自社ビルと、そこに入らなくて溢れた技術部が入っていたビルの2つに分かれていた。自社ビルのほうはハドソンの前身のCQハドソンがあった場所に立っていたらしいが、仕事をする上で中心となっていたのは本社ビルの斜め向かいにある、1Fに大きなレンタルビデオ屋があるオフィスビルの2,3,4Fを借り切っていた技術部だった。

2F:総務&受付&サウンド&海外事業

サウンドチームはガラス張りのセクションの中に独立して置かれていて、だいたい4人ぐらいのプログラマー兼アーティストがいた。
後に海外版のイース1・2を作るときは、この2階の片隅で仕事してた。当時、新人の受付の女の子がやたらかわいかったのが印象に残っている。(いやホントに)

3F:役員室・会議室・システム屋系+一部ゲーム、PC系の事業

ハドソンは当時X68Kのサポートやビジネス系のソフトなどパソコン系の事業がまだあった。そしてそれが3Fにあった。
役員室は重要な会議や、あと小学生だの中学生だのがゲームの開発現場の見学に来たとき、質問に答える場所にもなったりしたが…僕が一番使ったのは賭場としてだ(笑)
役員みんな、やたら麻雀だのバックギャモンだのオイチョカブだのチンチロで金賭けて遊ぶのが好きで、しかもバックギャモンが出来る人間が少なかった物ですぐ誘われるもんだから、めちゃくちゃ困った(笑)

4F:ゲームの開発ライン

だいたい当時のハドソンは最大7ラインぐらいまでゲームを作る能力があった…と言っても、今のゲームとはチームのサイズが違う。
大雑把に当時のチーム構成は、メインプログラマ・サブプログラマ(1~3ぐらい。ゲームのサイズで変わる)、アーティストのリーダー、アーティストが最大5人ぐらい、普通は3人ぐらいでチームは終わり。サウンドは完全に切り離されて、サウンドチームに発注する形を取っていたので、直接的な人数としては数えない。
つまり1チーム7人ぐらいが1ラインだった。今ならプログラマだけであっさり埋まってしまう人数だ。だから7ラインとかもの凄い数字を書いても、実はフロアに100名もいなかった。

当時のハドソンの制作ライン

さて、1988年頃はハドソンがソフトを扱うようになったときからいた第一世代(中本さんに代表される実質的なハドソンの創業メンバー)は経営陣になっていて「第二世代」(Hector 87に代表されるPCエンジンスタート前後までのメンバー)が徐々に部長や課長といったお偉いさんに移行して、中心となっていたのは2.5~3世代とでもいうべきメンバーだった。
ゲームを作っていたメインメンバーを挙げると、桃太郎伝説で有名な飛田さん、R-TYPEとネクタリスで有名な和泉さんの2ラインが別格級のエースチーム。
この二人が別格級だったのは売り上げもさることながら、むしろ技術。和泉さんはグラフィックエディタやいろいろ、さらにX68Kのシステム周りなどの記述。飛田さんはアセンブラやリンカなどやはり開発ツールまで含めたトータルの凄さ
加えて、パワーリーグやゴルフシリーズを作った奥野さん、天外魔境1を作った三上君、あと名前を忘れてしまったのだが定吉7を作った3ラインが、ハドソンの一級品のチーム。
若手だったのが、ニュートピアを作ったチーム(名前を忘れてしまったのだが…きんちゃんと呼ばれていたヤツが作っていた)、ニチブツの迷宮大作戦の移植版を作っていたチームあたり・
この売り出し中の若手のうち、迷宮大作戦を作ったチームはメインプログラマが出来なくて、その尻ぬぐいを和泉さんがやる羽目になるのだが、まあそれは別の話だ。
(中本さんにメインプログラマをどう思うと聞かれて「話にならない」と言ったら「そうかあ…うーん」と言っていたのを思い出す)
というわけで当時のハドソンのラインの紹介は終わり、話はチームに戻る。
フリーの僕は88年にハドソンに行ったときは当然一人だったので、ハドソンからサブプログラマとアーティストが出てきてチームを作ったわけだが…この構成が面白い…というか当時のハドソンの風変わりさがよく分かる構成になっている。
凄ノ王伝説を作ることになった僕に与えられたのは、ハドソンのグラフィックアーティストと外注のサブプログラマだった。具体的に書くなら、アルファシステムのHaHi君とあと二人がサブプログラマとして与えられ、凄ノ王伝説を作れと言われたのだ。
つまりハドソンは札幌に来ているフリーのゲームデザイナーを、同じく札幌に来ている出来立ての外注と組ませて、グラフィックとサウンドはハドソン社内で、北海道で仕事をさせるという、とても不思議な体制を組ませたことになる。
どうしてこんな奇妙な構成になったのかというと、ハドソンは外注を社内に取り込んで、長期間滞在させて仕事をすることが普通にあり、しかも外注も社員同然に扱う企業文化があったからだ。
北海道だから最終デバッグをするとき、どうしても北海道に開発メンバーを呼ぶことになり、それで1ヶ月以上暮らすのが当たり前になるのと、当時の経営陣の開けっぴろげで豪快な性格が組み合わさって出来た企業文化だったのだろう。ともかく、外部メンバーをほとんど社員と同じように扱ってしまうのが当たり前だった(とは言っても社員規則などは適用されないけれど)。
例を挙げるなら僕とアルファシステムがそうだったし、名前を忘れたけれど、あとでナグザットから『ブレイクイン』というタイトルで売り出されることになるビリヤードゲームを作っていたチームもそうだった。
他に長くいたチームとして、ガンヘッドもそうだったし、ダンジョンエクスプローラもそうだった。桝田さんも北海道で延々仕事をしていて仲良くなった。
つまり、当時のハドソンの技術部は、外注も内部も入り交じった不思議にオープンで豪快な環境だったのだ。
そして、そのハドソンで、88-90年の間にデバッグや色々なことで関わったり見たりしたソフトは、自分の覚えているだけで以下の通りだ。
■1988年
魔神英雄伝ワタル(ハドソン)
エイリアンクラッシュ(ナグザット)
魔境伝説(ビクター音楽産業)
定吉七番 秀吉の黄金
ファイティング・ストリート(ハドソン)
No・Ri・Ko(ハドソン)
あっぱれゲートボール(ハドソン)
ビックリマン大事界(ハドソン)
■1989年
ネクタリス(ハドソン)
ダンジョンエクスプローラー(ハドソン)
コブラ 黒竜王の伝説(ハドソン)
パワーゴルフ(ハドソン)
天外魔境 ZIRIA(ハドソン)
ガンヘッド(ハドソン)
ブレイクイン(ナグザット)
ワンダーボーイIII モンスター・レアー(ハドソン)
スーパー桃太郎電鉄(ハドソン)
鏡の国のレジェンド(ビクター音楽産業)
ドラえもん 迷宮大作戦(ハドソン)
ニュートピア(ハドソン)
ぎゅわんぶらあ自己中心派 激闘36雀士(ハドソン)
バトルエース(ハドソン)
PC原人(ハドソン)
■1990年
うる星やつら Stay with you(ハドソン)
大魔界村(NECアベニュー)
スーパースターソルジャー(ハドソン)
と、並べたところで疲れたので、続く。

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5件のコメント

  • AGENT: Mozilla/5.0 (Windows; U; Windows NT 5.1; ja; rv:1.9.2.3) Gecko/20100401 Firefox/3.6.3 ( .NET CLR 3.5.30729)
    MSX版で確認しましたが、フィーナを助けずとも神殿をクリアすることはできますが、ジェバがイースの本を読んでくれないので、ダームの塔には入れませんでした。いちおうフィーナ救出は、ゲームクリア上必須にはなっていたようです。
    パソコン雑誌「POPCOM」で、イースの同時進行レポートを担当していたライターが、神殿と廃坑をクリアしたのに先へ進めないので、どうしたものかと探っていたら、フィーナを助け忘れていたという逸話もありましたが、今や知っている人しか知りませんな。

  • AGENT: Mozilla/5.0 (Windows; U; Windows NT 5.1; en-US) AppleWebKit/532.5 (KHTML, like Gecko) Chrome/4.1.249.1064 Safari/532.5
    ありがとうございます、指摘を受けて若干追加しておきました。さすがに記憶がいい加減になっているところがありますね。

  • AGENT: Mozilla/5.0 (Windows; U; Windows NT 6.0; ja; rv:1.9.2.3) Gecko/20100401 Firefox/3.6.3 GTB7.0 ( .NET CLR 3.5.30729)
    はじめまして。
    PCエンジン版のイースにはいろいろと楽しい思い出があるので、いつも興味深く拝見させていただいてます。
    イースエターナル(もちろん完全版やクロニクルズも)では、フィーナ救出は牢屋の中にマスク・オブ・アイズを配置することでロックが掛けられていますね。
    マスク・オブ・アイズが重要アイテムとなるイース4(PCエンジン版)への伏線としての意味もあったみたいですけど。
    岩崎さんはイース4の開発にはノータッチだったんでしょうか。

  • AGENT: Mozilla/5.0 (Windows; U; Windows NT 5.1; en-US) AppleWebKit/532.5 (KHTML, like Gecko) Chrome/4.1.249.1064 Safari/532.5
    ああ、マスクオブアイズを置いたんですね。
    うん、宝箱の鍵をフィーナが持っているよりはいい解決策かも知れない(笑)
    僕はイース4の開発にはノータッチです。
    ただ、ハドソン版のイース4は僕がイース1・2を作るときに一緒にやった若い連中やスタッフがいっぱい入ってますね。

  • AGENT: Mozilla/5.0 (Windows; U; Windows NT 5.1; en-US) AppleWebKit/534.7 (KHTML, like Gecko) Chrome/7.0.517.44 Safari/534.7
    定吉7は川口さん。
    ニュートピアは金田さんですね。

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