2012-06-05 Tue [ 天外2製作メモ ]
1991年5月。
このころの天外Ⅱのコードを書く人間は、僕・長谷川君・藪の3人が、それぞれ「ビジュアル&コア」、「コア+メイン」、「戦闘+いろいろ」という構成でプログラムを組みつつ、外注のミューテックからきていたコード屋さん(二人)にivのスクリプトを頼むという構成になっていた。
つまり、コード屋はトータル5人体制の形で天外Ⅱは製作されていた。
そして、ある日、長谷川君がいった。
「このゲームさ、やばいんじゃないかな、岩崎さん」
「なんで?」
「僕らの想像を超えたサイズなんじゃないかな、と思ってさ」
僕は黙った。
長谷川君が言っていることは僕も感じていた。
長谷川君は続けた。
「ほらプログラム書いているとき、この修正は10分だな、これは5分だなと思いながら、ポストイット貼るじゃん?」
「このポストイットがさ、全然減らないんだよね。それどころか増えるばかりなんだよね」
確かにそのとおりだった。
僕のマシンのディスプレイも、長谷川君のマシンのディスプレイも、ポストイットで周囲が埋まり、それどころかデバッグ用のPCエンジンに繋がったモニタの周囲にもポストイットが貼られ、それでも足りずハードやデバッガを置くフレームにまで貼る騒ぎになっていた。
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このころの天外Ⅱのコードを書く人間は、僕・長谷川君・藪の3人が、それぞれ「ビジュアル&コア」、「コア+メイン」、「戦闘+いろいろ」という構成でプログラムを組みつつ、外注のミューテックからきていたコード屋さん(二人)にivのスクリプトを頼むという構成になっていた。
つまり、コード屋はトータル5人体制の形で天外Ⅱは製作されていた。
そして、ある日、長谷川君がいった。
「このゲームさ、やばいんじゃないかな、岩崎さん」
「なんで?」
「僕らの想像を超えたサイズなんじゃないかな、と思ってさ」
僕は黙った。
長谷川君が言っていることは僕も感じていた。
長谷川君は続けた。
「ほらプログラム書いているとき、この修正は10分だな、これは5分だなと思いながら、ポストイット貼るじゃん?」
当時、僕らはバグや修正するべきポイントはポストイットに書いて、それをモニタの周りに貼るという方法を使っていた。これはとてもいい方法で今でも使いたいぐらいなのだけど、モニタのベゼルがとても狭くなった今、少々難しいものはあって、しょうがないからoutlookのtodoやevernoteのtodoを使っているのだけど、ポストイットのような絶対の可視性がないのはイタいのだよね…
「このポストイットがさ、全然減らないんだよね。それどころか増えるばかりなんだよね」
確かにそのとおりだった。
僕のマシンのディスプレイも、長谷川君のマシンのディスプレイも、ポストイットで周囲が埋まり、それどころかデバッグ用のPCエンジンに繋がったモニタの周囲にもポストイットが貼られ、それでも足りずハードやデバッガを置くフレームにまで貼る騒ぎになっていた。
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