CALENDAR
S M T W T F S
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
<<  2024 - 05  >>

PROFILE
同人誌 電子書籍版
Re:ゼロから始める
ゲームシナリオ


ライトニング伝説


さよならハドソン


ドラクエとFFと
ToHeart


誰得ゲームライフ


ときめきメモリアル
の時代

イースI・II製作メモ

頒布ページ
LINKS
NEW ENTRIES
CATEGORIES
COMMENTS
    イースⅠ・Ⅱ通史(3):『リグラス』から『ロマンシア』
  • タムロ (02/03)
    イースⅠ・Ⅱ通史(1):PC88MkⅡSRの発売
  • tamuro (01/05)
  • おお! (01/03)
TRACBACKS
OTHERS
SEARCH BOX
POWERED BY
POWERED BY
ぶろぐん
DESIGN BY
ブログンサポート

続・ダライアスの発売日
ダライアスの話の続き。
前の記事は以下2本をドウゾ。

Kenさんのこと
Kenさんとダライアスの発売日

ダライアスの発売日についてのブログを書いたところ、セガの奥成さんからこんなツイートが。


うひゃーアーケードにこんな慣習があったなら、そりゃあダライアスの日付は1986になるよね…コンシューマと違いすぎてちょっとビックリでございます。
というわけで、どうして1986だったのかについては理解できた。
ちなみにアーケードでの稼働日が1987だったのは間違いないと思う。

あと、前回の記事で書いた新宿のゲーセンにあったダライアス エクストラバージョンについての話。

当時、新宿にあったデッカいタイトーのロケーションにKenさんと遊びに行ったとき、あったのがダライアス・エクストラバージョン。
これに「レーザーが長くなりました! もうレーザーが弱いとか言わせない!」と店員さんの 手書きの紙が貼ってあった。それを見たKenさん曰く…

「おかしいなあ、Obj(オブジェとKenさんは発音した。スプライトと同じ意味)はもう余ってなかったはずなんだけどなあ…どっかからかき集めてきたんだろう…」

Kenさんがこういったのは間違いなく覚えているんだけど、店に書いてあった手書きのポスターが正しいのかについては、もちろん僕も疑問があった。
ただ当時は調べようもなかったし、こんなことついこの前まで忘れていたわけだけど、これについてはTinyさんが、以下のツイートをば。


どうやら、当時、タイトーのゲーセンに貼ってあった手書きのポスターが間違っていて、Kenさんが言った「objはどこにも余っていなかったはずだ」は正しかったわけだw

|| 21:57 | comments (1) | trackback (0) | ||

このエントリーをはてなブックマークに追加
Kenさんとダライアスの発売日
PS4のアーケードアーカイブスでダライアスが発売されて個人的に盛り上がっていたりするのだけど、そのダライアスについて、ぜくうさんが以下のようにツイートしていた。


で、オヤっと思って検索したら、確かに1986年発売と書いてあるが、これは、いくつかの自分の記憶からも間違っているのは確実だ。
それをまあ傍証でしかないけれど、自分の記憶を頼りに書きたい。

続きを読む▽
|| 18:49 | comments (1) | trackback (0) | ||

このエントリーをはてなブックマークに追加
Roe Adams IIIとSeer "Hawkwind"のこと
4gamerのWizardryは,連綿とつながる文化の鎖の1ピース――生みの親,狂王ことRobert Woodhead氏に聞く,その源流と80年代アニメの話で、ローアダムス(Roe Adams III)のことについて出ていたので、ちょっと自分の知っていることを記録として残しておきたい。

Roe Adams III は、『ウィザードリィIV』と『ウルティマIV』のシナリオを書いた、ゲーム史上不滅の天才シナリオライターだ。
およそ今のCRPGでの常識、町や村やいろんなところにいる人から話を聞いて、その話をつなぎ合わせると謎が解けるという構造そのものを"Ultima IV"で作ったのがRoe Adams なんだから、どんだけ偉いかわかろうというものだ。彼がいなくても同じような形式はできたと思うけれど、"Ultima IV"の卓越した構造がなかったら、シナリオ構造が一気に進歩することはなかったと思う。
ついでに書くと、彼はもう超越的な謎解きの天才で、"Dead Line"というゲームでとんでもない解法を見出してinfocomの連中をぶっ倒れさせたり、CGDC(GDCの前身)で"LOOM"を持ってきたブライアン・モリアーティの目の前で「面白い、面白い」といいながら、あっという間に解いて、会期じゅうぼやかせたりと、もうとんでもない逸話だらけのヤツだった。
そんな彼がエキスパート向けの難易度ってことで、好き放題に作った"Wizardry IV"だから、とんでもない謎を作っていて、しかもその謎が英語の構造に根差したナゾだったりしたものだから、故・多摩豊さんが翻訳するのに死ぬほど苦労した、って話をRoeと多摩さんからメシ食いながら聞けたのだから、僕は全く幸せだと思う。

と、それはともかくとして、アメリカ版のWikipediaにも、それどころかあらゆるサイトにどうやら書かれていないことで、知られていないらしい、自分の記憶に残っていることを一つ書いて、記録として残しておきたい。
Roe AdamsはUltima IVのシナリオを書いたとき、彼自身をひそかにゲーム内に登場させることにした。それがSeer(予言者) "Hawkwind"。
どうして"Roe Adams"ではなく"Hawkwind"だったのかというと、これは彼のD&Dのキャラクタから来ているんだ、と彼は言っていた。

20年以上前の自分の記憶だが、どこかで記録として残っていくように、ここに記録として残しておきたいと思うのである。

追記:
こういうことは書くものだと思った。ライターの西田宗千佳さんから、このようなフォローがありました。



追記その2:
BirdBard's taleがらみで検索すると、チョロチョロ見つかるらしいです。
教えてくれた方のtweet
Bard's だよ! はるか昔からずっとやってる間違いをまたやってしまった…

|| 19:53 | comments (1) | trackback (0) | ||

このエントリーをはてなブックマークに追加
FLAK ATTACKの思い出
アーケードアーカイブスで『FLAK ATTACK』の配信が始まった。
これは実はアーケードで一度しかプレイできなかった、だけど、ある意味思い出深いゲームだったりする。

昔は新宿には山のようにゲームセンターがあった。
歌舞伎町だろうが西口だろうが東口のあたりだろうが、本当に山のようにあったのだけど、その中の一つ、西口あったのがバカでかいセガ系のゲーセン(スポーツランドだった記憶があるのだけど間違いの可能性が十二分あるので、記憶の定かな方のフォローがほしいところだったりする)。

記憶では冬にプレイしたので、87年の冬だったのだろうと思う。
このとき『魔獣の王国』と『FLAK ATTACK』をプレイしたのだけど…
『FLAK ATTACK』の売りが…これまた記憶に頼って書いているので間違いの可能性があるのだけど、ボスではなんと16方向に移動できるようになる!…というものだった(と、インストカードに書かれていたと記憶している)。

ワクワクして1コイン入れた僕だったが、なんと筐体は4方向レバー
ゲームにならず、あっという間に死んだのであった。

当時は、こんな風にメンテどころか、そもそもゲームが成り立っていないとんでもないセッティングのされた筐体がママあったものなのである。

|| 21:33 | comments (3) | trackback (0) | ||

このエントリーをはてなブックマークに追加
「どんな子供でも遊べなければいけない」
「どんな子供でも遊べなければいけない」
上のリンクは、『桃鉄(ファミコン版)』~『スーパー桃太郎電鉄(PCエンジン)』が作られていたとき、どんな風に桃鉄ができていったのか、何を考えていたのかについてのさくまあきら先生と桝田省治さんの対談だ。
自分がペーペーながらもゲームを作るプロの側に立った時の話で、 当時、ハドソンにリアルタイムでいて、飛田さんや和泉さんや中本さんや、ヘクターさんや、野沢さんや、いろいろな事を思い出してしまう話が満載で、本当に懐かしく読んだ。

で、桝田さんとさくま先生が対談の中でさらっと触れている、僕の目の前でどんちゃんが 『凄ノ王伝説』を プレイしたことは絶対に一生忘れない出来事で、以降のゲームの作り方に決定的な影響を及ぼしている。

街の人と話をしてもすぐに忘れる(本当にすぐに忘れるが、忘れさせないようにする技法やメモさせる技法もさくま先生から教えていただいた)、同じ間違いを平気で何度でもする(何度でも同じ死に方をする) 、計算能力が粗雑(そして死ぬ)、消費アイテムを使用するのを嫌う (そして死ぬ) 、MPをケチる(そして死ぬ)、数ターン後の想定が全く出来ない(そして死ぬ) といったプレイは、自分が思い描いた(『凄ノ王伝説』を楽しくプレイしてくれるはずの)プレイヤー像からはかけ離れていて、まさに「これが現実だ!」だった。

そして呆然としている僕に、さくま先生がおっしゃったと記憶している言葉「どんちゃんこそが普通で、一番たくさんいるお客さんだ。そういう人たちが褒められて嬉しくなれるのがゲームだし、遊べるように調整して、褒めてあげないと受けないよ」は、以降、ほぼ30年の間、座右の銘だ。

目の前でどんちゃんを見てからあとは、どんちゃんが平均だは自分にとってほぼ絶対的な基準になった。
だから「どうせ銀の装備なしには勝てんのだ」は、この謎はどんちゃんに解けないからヒントが必要だと判断したからだったし、ヨミを倒して地下から出てきてとき、誰一人いない血の海であるべきだと思っても「どんちゃんがそれはイヤダ」というなら、このエンディングは引っ込めるべきだ(いやまあ悲しかったが)、という考え方が出来るようになった。

この時の返しても返しきれない大恩があるから、僕にとって桝田さんは畏友であり、さくま先生は(僕の勝手で)師匠で、大恩人なのである。

|| 21:29 | comments (0) | trackback (0) | ||

このエントリーをはてなブックマークに追加