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Roe R. Adams III がやったこと(2)
前回の記事

ローの話では、そもそも"Ultima IV"より先に"Wizardry IV"の話が来たらしいのだけど、"Wizardry IV"の方がイロイロあって、後になったといっていた。
で、今回は"Ultima IV"の話になるのだけど、そろそろ"Ultima"のことを知らない人も多いだろうから、簡単に"Ultima IV"までの歴史を書いておきたい。

そもそも"Ultima"シリーズは"Wizardry"シリーズと並ぶCRPGの古典で、今回の話で取り上げているのは初期の1~4。
1~4まではリチャード・ギャリオット(ロード・ブリティッシュ)がほとんど一人で作っていたらしいが、ゲームサイズを考えても、そう驚く話ではない(実際クレジットを調べるとプログラマはIVで初めてAdditionalが現れる)。
しかし、ともかくとんでもなく偉い作品で、普通の人が考えるCRPGの典型的なルール『世界マップを歩いていると、町やダンジョンのシンボルが置かれていて、それに接したり乗ったりすると、町やダンジョンの中に入る構造』そのものを作り出したというだけでも、間違いなくゲーム史上不滅の作品だ。
右がそれをほぼ史上初でやった"Ultima 1"のAPPLE II版の画面。hardcoregaming101.netから持ってきた。
ちなみに"Ultima 1"では街は1画面マップでスクロールしないのだけど、ともかくマップのシンボルに乗ると中に入るという構造はここですでに確立している。またUltimaでは、街は平面マップ・ダンジョンは3Dというルールがあるのだけど、これは後の日本のフォロワー、ドラクエのモトネタとしても話題になることがある『夢幻の心臓』シリーズに受け継がれる。
加えて"Ultima online"でMMORPGの(ほぼ)始祖になったり、2DだけどOpenworldの始祖といえるようなことをしていたりと、まさに今日のCRPGの基礎を作ったゲームといっても過言ではない。

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Roe R. Adams III がやったこと(1)
さて。
ロー・アダムズ(正確には Roe. R. Adams IIIで、ロー・R・アダムズ3世っていう、日本人からすると大層に感じるのが本名。以降はローと書く)が、ゲームの世界で活躍したのは1979年ごろから始まり1990年代初頭まで。
というのも、1989年にウッドヘッド(Wizardryの作者の一人)と立ち上げたanimeigoという、日本のアニメに字幕をつけて売ったりする会社がメインの仕事になってしまい、90年代半ばからは、ゲームとのかかわりは薄くなってしまうからだ(今でもanimeigoにいるらしい)。

彼とウッドヘッドは大変な日本アニメのファンで、それを本業にしてしまったわけである。
ちなみにローに「なんの日本アニメにハマったんだ?」と聞いたら、彼は"Star Blazers"、初代の『宇宙戦艦ヤマト』のアメリカ版だと言っていた。見て「マジ感動した」と言ってた

ではローは何をやったのか?
ローの最大の功績は、現代につながるゲームの中での近代的なシナリオ構造を確立したことに尽きる。
今のゲームではごく当たり前になっている、CRPGでシナリオを語る方法を、ローはUltima IV Quest for Avatar(1985/Apple II) で決定的な形でプレゼンテーションして確立して、ともかく彼が確立した形があまりに決定的だったもので、以降のあらゆるCRPG…というか、まあちょっとでもマップとナゾがあるようなゲームなら、必ず使われる代物になっているのだけど、前の記事でもちょっと書いたけれど、ローがやったことがなんだったのかが、あまり知られていないので、90年代前半に故・多摩豊さんとともに聞いたローの話を、彼がUltima IVより前に何をやっていたのか、どうしてあんなゲームにしたのかまで含めて、自分が覚えている限り書いておこうというわけである。

なお、それなりに資料で確認して補強はしているけれど、自分が聞いた(とおぼえている話)と資料が食い違っているときは、アメリカの資料の場合にはアチラの方が自分の記憶より精度が高いってことで、資料に書いてあることを優先している…のだけど、そもそも資料に複数の説があったりするので、そんなときは、できるだけ複数の説を書くようにしている。

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PC-9801ギャプラスと、当時の開発環境
ギャプラスの話をいろいろ勘違いしている人がいるので、追記がてらにちょっと書いておくことにした。

まず第一に、キャリーラボのギャプラスは正式な許諾を受けた移植版で、コピー品などではない。
当時、キャリーラボはアーケードの様々なゲームを正式な形でパソコンに移植しており、ギャプラスもその一つだってことだ。

当時からキャリーラボの移植はレベルが高いことで有名だった。今から考えれば、アルファシステムの創業メンバーがコード書いてたんだから、そりゃあレベル高いだろうさってことになる。

第二に、当時のアーケードはリバースエンジニアリングが当たり前で、ソースは提供されたりされなかったりだった。
これには理由がある。


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PC-9801版ギャプラスについての覚書
Twitterでギャプラス98版の話がたまたま出て、それ絡みのことがあったので、まとめてメモとして残しておく話。

ギャプラスはナムコのギャラクシアン→ギャラガと続いてきたナムコの固定型画面の縦シューティングの第三弾で1984年にリリースされた作品だ。

そしてギャプラスのPC-9801版(NECから出ていたパソコンのシリーズ)はキャリーラボが移植して発売しているのだけど、これの移植は非常にレベルが高いので有名だった(そしてナムコミュージアムで出るまではギャプラスの唯一の移植だったはず)。
移植したのはHahi君。
当時、キャリーラボの社員で、アルファシステムの創業者の一人だ。

なんでこんなことを知っているのかというと、たまたま凄ノ王伝説だのイース1・2だのを作っている間に、彼が移植したという話を聞いていたから。だから、そういう内容をひょいとツイートしたわけなのだけど…そこにこんな質問が来た。

いま思い返しても、16bitとはいえ初期のPC98でよくもあれだけスムーズに動かせたものだと感心してしまいます。
アルゴリズム的にもかなりイケてたように思うのですが、あれは目コピだったのでしょうか?

と、聞かれ、確かにそれについては知らないなと思ったので、今でも連絡がつくHahi君にちょっと聞いてみた。
さすがに25年以上も前の話なので、覚えていない可能性もあるとは思ったけれど…そこはHahi君、キッチリ覚えていた。



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ファミコン~PCエンジン後期のスタッフロールについて
これは少し前に、コナミを退職された五十嵐さんと酒を飲んだ時に出てきた話で、とても面白かったし、自分自身でも思い当たるところがあったので、メモ書き代わりに残しておく記事。

はるか遠い昔、テレビゲームにはスタッフロールなんて気の利いたものはなかった。
もちろんメモリがなかったからだし、だいたいテレビゲームの王者だったアーケードゲームはレースゲームなどの一部の特別な例外を除くと、延々とプレイ可能なゲームでスタッフロールを入れる場所なんてなかった。

このスタッフロールはどこで決定的に登場したのか?
この答えは、少なくとも日本では極めて明らかだ。
これは『ドラクエとFFとToHeart』という同人誌の一節だけど、引用しよう。

半分余談だが、ドラゴンクエスト1が日本のゲームに与えた「極めて大きなプレゼント」のもう一つが、映画のようなエンディングとスタッフロール。
ドラクエ1以前はゲームのエンディングというと、おっそろしく簡素なものだったが、ドラクエの圧倒的な成功以降、エンディングとスタッフロールが非常に重視されるようになった。
そして今でも海外のゲームは、このエンディングが軽い作品が多く、クリアしたとき「え? これで終わり?」と思うことも多々ある。
そう考えたとき、エンディングはドラクエが与えてくれた素晴らしくポジティブなプレゼントだと思う。



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