CALENDAR
S M T W T F S
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
<<  2024 - 05  >>

PROFILE
同人誌 電子書籍版
Re:ゼロから始める
ゲームシナリオ


ライトニング伝説


さよならハドソン


ドラクエとFFと
ToHeart


誰得ゲームライフ


ときめきメモリアル
の時代

イースI・II製作メモ

頒布ページ
LINKS
NEW ENTRIES
CATEGORIES
COMMENTS
    イースⅠ・Ⅱ通史(3):『リグラス』から『ロマンシア』
  • タムロ (02/03)
    イースⅠ・Ⅱ通史(1):PC88MkⅡSRの発売
  • tamuro (01/05)
  • おお! (01/03)
TRACBACKS
OTHERS
SEARCH BOX
POWERED BY
POWERED BY
ぶろぐん
DESIGN BY
ブログンサポート

『ドラゴンクエスト』30周年、おめでとうございます
『ドラゴンクエスト』30周年、本当におめでとうございます。

30年前、ファミコンブームのド真ん中で『ドラゴンクエストI』(Iはついていなかったけれど、便宜上つけておく)は発売された。
このときには、まだRPGはとても新しいジャンルで、日本で「アメリカでRPGが流行っているらしい!(ADV+2年程度だった)」というのが81~82年ごろに雑誌(最初はログインだったと記憶している)に掲載されるようになり、84年に『ザ・ブラックオニキス』が発売され、RPGがパソコンでメインジャンルになったなんて時代に、そのパソコンと同じような複雑なゲームを発売したのだから、いくらファミコンブームでなおかつ当時人気絶頂の鳥山明さんがキャラデザしているからといって、そしてジャンプで宣伝できるといっても度胸があったと思う。

すぎやまこういちさんは有名ではあったけれど知る人知るってイメージだったし、堀井雄二さんと中村光一さんはPCマニアの間では知られていても、一般に知られている人ではなかったと思う。

その複雑さから、当時のゲーム雑誌では、面白いは面白いのだけどヒットするのだろうか? という懐疑的な見方がかなりあって、懇意にしていた編集のSさんが市ヶ谷にあった四谷にあった最初のマル勝ファミコンの編集部(市ヶ谷時代が長かったので、そっちと勘違いしてました…)で
「このドラゴンクエストってゲーム、岩崎くんが遊んでいるパソコンのRPGみたいなゲームで、本当に面白くてよく出来ているんだけどさ、こんな難しいゲームを、今のウチの読者の中心の小学生とか中学生が遊べるのか分からないんだよなあ。でもヒットしてほしいなあ」
と言っていたのを昨日のことのように思い出せる。僕は眺めてて、当時の雑誌の読者は小学校高学年~中学生だったのだから、そりゃ心配するのも無理はないと思った。

ちなみにSさんはテトリスもとんでもなく面白いよねって話をしていた、かなりゲームを見る目があった方で、なおかつもともとは小学館の編集さんで、小学X年生の編集部を歴任していた、子供向けの雑誌のノウハウをものすごく持っている方でした。

では結果はどうだったのかというと、確かに『ドラゴンクエストI』は、ヒットはしたのだけど爆発的か…といわれるとそうではなかった…と思う。少なくとも、僕は簡単に買えた。
やはり当時のファミコンの中では非常に複雑なゲームで、どうしてもとっつきが悪かったかなあとも思うし、だいたい86年の当時は任天堂自体がディスクシステムを推進していて『ゼルダの伝説』が登場して…という時代にROMカセットでディスクじゃなかった…なんてのも関係したのかなと思う。

これが大ヒットタイトルになったのはどこか?
間違いなく『ドラゴンクエストⅡ』。
僕は『Ⅰ』の時、どってことなく買えたので『Ⅱ』も全くそのつもりでいたら、一瞬で売り切れて、本当に東京中を探し回った。もちろん当時は携帯電話もインターネットもなく、ネットショッピングもなく、そもそもそんなに人が買うなんて情報もなかったので、売り切れるなんて想像もしていなかったのだ。
そして『Ⅱ』の大ヒットで、一気にファミコンにRPGブームがやってきて、シリーズの1つの頂点を迎える『Ⅲ』が88年に登場。
以降、ほぼ30年の間、一線級のシリーズとして君臨し続けているのだから、素晴らしいという以外なにもないと思う。
そして、様々な展開がなされているシリーズだけど、このまま40周年、50周年と名作シリーズとして続いていって欲しいと思う。

最後にもう一度、『ドラゴンクエスト』30周年、本当におめでとうございます。

|| 15:22 | comments (2) | trackback (0) | ||

このエントリーをはてなブックマークに追加
Roe R. Adams III がやったこと(2)
前回の記事

ローの話では、そもそも"Ultima IV"より先に"Wizardry IV"の話が来たらしいのだけど、"Wizardry IV"の方がイロイロあって、後になったといっていた。
で、今回は"Ultima IV"の話になるのだけど、そろそろ"Ultima"のことを知らない人も多いだろうから、簡単に"Ultima IV"までの歴史を書いておきたい。

そもそも"Ultima"シリーズは"Wizardry"シリーズと並ぶCRPGの古典で、今回の話で取り上げているのは初期の1~4。
1~4まではリチャード・ギャリオット(ロード・ブリティッシュ)がほとんど一人で作っていたらしいが、ゲームサイズを考えても、そう驚く話ではない(実際クレジットを調べるとプログラマはIVで初めてAdditionalが現れる)。
しかし、ともかくとんでもなく偉い作品で、普通の人が考えるCRPGの典型的なルール『世界マップを歩いていると、町やダンジョンのシンボルが置かれていて、それに接したり乗ったりすると、町やダンジョンの中に入る構造』そのものを作り出したというだけでも、間違いなくゲーム史上不滅の作品だ。
右がそれをほぼ史上初でやった"Ultima 1"のAPPLE II版の画面。hardcoregaming101.netから持ってきた。
ちなみに"Ultima 1"では街は1画面マップでスクロールしないのだけど、ともかくマップのシンボルに乗ると中に入るという構造はここですでに確立している。またUltimaでは、街は平面マップ・ダンジョンは3Dというルールがあるのだけど、これは後の日本のフォロワー、ドラクエのモトネタとしても話題になることがある『夢幻の心臓』シリーズに受け継がれる。
加えて"Ultima online"でMMORPGの(ほぼ)始祖になったり、2DだけどOpenworldの始祖といえるようなことをしていたりと、まさに今日のCRPGの基礎を作ったゲームといっても過言ではない。

続きを読む▽
|| 12:37 | comments (0) | trackback (0) | ||

このエントリーをはてなブックマークに追加
Roe R. Adams III がやったこと(1)
さて。
ロー・アダムズ(正確には Roe. R. Adams IIIで、ロー・R・アダムズ3世っていう、日本人からすると大層に感じるのが本名。以降はローと書く)が、ゲームの世界で活躍したのは1979年ごろから始まり1990年代初頭まで。
というのも、1989年にウッドヘッド(Wizardryの作者の一人)と立ち上げたanimeigoという、日本のアニメに字幕をつけて売ったりする会社がメインの仕事になってしまい、90年代半ばからは、ゲームとのかかわりは薄くなってしまうからだ(今でもanimeigoにいるらしい)。

彼とウッドヘッドは大変な日本アニメのファンで、それを本業にしてしまったわけである。
ちなみにローに「なんの日本アニメにハマったんだ?」と聞いたら、彼は"Star Blazers"、初代の『宇宙戦艦ヤマト』のアメリカ版だと言っていた。見て「マジ感動した」と言ってた

ではローは何をやったのか?
ローの最大の功績は、現代につながるゲームの中での近代的なシナリオ構造を確立したことに尽きる。
今のゲームではごく当たり前になっている、CRPGでシナリオを語る方法を、ローはUltima IV Quest for Avatar(1985/Apple II) で決定的な形でプレゼンテーションして確立して、ともかく彼が確立した形があまりに決定的だったもので、以降のあらゆるCRPG…というか、まあちょっとでもマップとナゾがあるようなゲームなら、必ず使われる代物になっているのだけど、前の記事でもちょっと書いたけれど、ローがやったことがなんだったのかが、あまり知られていないので、90年代前半に故・多摩豊さんとともに聞いたローの話を、彼がUltima IVより前に何をやっていたのか、どうしてあんなゲームにしたのかまで含めて、自分が覚えている限り書いておこうというわけである。

なお、それなりに資料で確認して補強はしているけれど、自分が聞いた(とおぼえている話)と資料が食い違っているときは、アメリカの資料の場合にはアチラの方が自分の記憶より精度が高いってことで、資料に書いてあることを優先している…のだけど、そもそも資料に複数の説があったりするので、そんなときは、できるだけ複数の説を書くようにしている。

続きを読む▽
|| 21:15 | comments (0) | trackback (0) | ||

このエントリーをはてなブックマークに追加
続・ゲームとシナリオの奇怪な関係
ルーク・スカイウォーカー問題
ゲームとシナリオの奇怪な関係

上記2つの記事でゲームとシナリオの関係について書いてきたけれど、整理もかねてまとめておきたい。

ドンパチやってる⇒死ぬ⇒舌打ち⇒途中からコンティニュー⇒今度は倒す
パズルとしては全く正しいが、途中からコンティニューは体験としておかしいじゃないかという指摘だ。
体験とは本質的には時系列順に並んでいる一回性のもののはずなのに、それが(一本道の)ストーリーやパズルメカニクスと組み合わさった結果、学習することで先に進む構造になっている。これはパズルとして見れば問題ないが、ゲームを体験とみなした時、本来あるべき体験の一回性や連続性が壊れているではないか、根本的なゲームと(ストーリー)体験の関係性が破綻しているではないかという指摘だった。

これが最初のルーク・スカイウォーカー問題で取り上げた、ゲームを体験とみるのか、それともストーリーをある程度の自由性を持ってなぞるものなのかという、クロフォードの議論だ。
確かにクロフォードの指摘と考えてたことはスゲえと思うのだけど「だからAIによってオチまでコントロールされる1回性の体験こそがゲームの未来じゃあ!」と言われると「いやいやいやいや、強い(基本は一本道の)ストーリーがあるのもいいもんですよ」と、いくら尊敬するクロフォード先生の言葉でも異議を唱えたくなってしまう。
「あの名場面をもう一度見たい」とか、そんな理由で、何度クリアしたかわからないFF10みたいなゲームもあるわけで、そういった方向の再現性が低くなるAIコントロールがすべてを満たすとも思えない。
だから体験至上主義的なクロフォードの思想は尊重しつつも、失敗してのやり直しの繰り返し構造(学習による上達)による概ね一本道の進行も、ゲームである以上は認めようというのが、第一の考え方。

そうすると「クライマックスの難易度はどうするのか?」という問題が現れる。

続きを読む▽
|| 21:28 | comments (0) | trackback (0) | ||

このエントリーをはてなブックマークに追加
ゲームとシナリオの奇怪な関係
『ルーク・スカイウォーカー問題』「難易度を下げれば解決する」という主張があったけれど、残念ながらそれでは解決しない。
問題を簡単に煮詰めると

●デススター撃破はそもそも無理な難易度で、普通は失敗する。
 ⇒とてもムリなコトを成功するからヒーローだ。
●体験は原理的には時系列に従うので一回性。だから死んでやり直しとかはありえない(死んだら「死んで終わった体験」が正しいことになる)
 ⇒これを死んでもやり直せる世界観を作ることで解決しているのが例えば"All you need is kill"だとか、トルネコ/シレンの「不思議のダンジョン」って仕掛けだったり、最近だと"シャドウ・オブ・モルドール"だったりする(ただしモルドールは時間が戻るわけではないのでさらにスゴい)。
●ゲームデザイナーがユーザーに体験してもらいたいストーリーはもちろんデススターを破壊する
 ⇒100%成功するアイディア以外は、体験としては全部成り立たない。

つまり『ルーク・スカイウォーカー問題』 は、課金だろうが、100倍に速度を落とそうが、QTEだろうが絶対に失敗しない方法以外では構造的に解決出来ない。それでは映画や小説のような(強い)一本道のストーリーを取りつつ死んでやり直しがあるゲームで、かつ時間ループや不思議のダンジョンを使わない世界(大多数は使えない)はどのようにすればいいのか?

簡単な使われる解決策として有効なものが二つ…いや1.5個ぐらいある。
それはノベル形式もしくはいわゆるガラケーのソシャゲの5ポチ形式だ。ボタンを押すだけで先に進み、かつ選択肢があっても、その選択肢が失敗に繋がらなければ100%成功するので、そもそものシナリオで失敗させない限りは絶対に失敗しない。ノベル形式ならストーリー展開に影響しない選択肢を与えればゲームっぽく見えるだろうし、5ポチならエナジーとかスタミナと呼ばれるものを導入すれば、やはりゲームっぽくなる。
ただ、これはコンピュータゲームの最強の武器であるインターアクトする能力を極端に制限して解決する方法で、操作が絶対に失敗しない構造では緊張感がないし、緊張感がなければ没入感も薄くなる。

では失敗があるゲームで絶対に成功させるには、どうすればいいのか?

続きを読む▽
|| 20:52 | comments (5) | trackback (0) | ||

このエントリーをはてなブックマークに追加