書籍「ゲームの歴史」について(8)

このテキストは岩崎夏海・稲田豊史両氏による『ゲームの歴史』の1、2、3の中で、ゲームの歴史的に見て問題があり、かつ僕が指摘できるところについて記述していくテキストだ。

(8)は2巻の第11-12章を扱ったものになる。

該当の本は、ハッキング・箱庭・オープンワールド・疑似3D・2Dなどの通常のゲーム&コンピュータ用語に筆者の独自解釈が含まれていて、それを筆者の都合に応じて定義をいじりながら論を展開するために、極めて独特の内容になっている。

例えば3D描画で背景をテクスチャで埋めると3D+2Dの疑似3Dになると言われたら、普通のゲーム屋なら目を白黒させるだろう。ただ、それは筆者の主張なので「自分はそこは批判はしないが、筆者の見方には全く同意できない」とだけ書いておく。

該当の本の引用部は読みやすさを考慮してスクリーンショットからonenoteのOCRで文字の書きだしをしたものを僕が修正したものになっている。なので校正ミスで本文と若干ずれたり、誤植がある場合があるかも知れないが、そこは指摘いただければ謹んで修正させていただく。

シリーズは以下のリンクを読んでいただきたい。

また、このテキストの引用元になった本は2023/2/6 に購入したkindle版である。

ちっと文章が怒り過ぎているんじゃと言われて読みなおして、確かに怒っているなあと思ったので、少し手直しした。前よりは怒っていないと思う。いや、怒ってるけど。

11章 プレイステーションの誕生

本章では、ゲーム開発に関してもゲームビジネスに関しても全くの素人だったソニーが、なせハードメーカー、ソフトメーカーとして成功したのか。その理由を解き明かしていきましょう。

岩崎夏海;稲田豊史.ゲームの歴史2(p52) 講談社.Kindle版.

筆者はソニーの歴史を全く調べずに書いている。
ソニーは最初期のデジタルプロダクツとして、1980年にアメリカでワープロを出したのち(typecorderに憧れた)、1982年にSMC-70というビジネス系のPCを発売(これにはSMC-70Gという業務のビデオテロッパーなどに使用可能タイプもあった。混ざってると指摘されて修正)。
1983年にそれを低価格化してSMC-777として発売し、当時人気絶頂だった松田聖子をイメージキャラクタに起用して”HitBit”ブランドとして展開を始める。当然のことながら、ソフトウェアなども自社で作成しているし、他社にゲームの依頼などもしている(ボーステックの『妖怪探偵ちまちま』などが有名)。
さらにソニーはMSXでも”HitBit”ブランドを展開して発売し(イメージキャラクタは同じく松田聖子)、MSXとしては大成功し、パナソニックと共にMSXを支えたブランドとして有名で、MSX2でも大ヒットハードがある。
(HitBitブランドをMSXからの展開だったと勘違いしていたのを指摘されて修正)
もちろんソフトなども供給していて、特にソニーのMSX2専用としてプレゼントされたファルコムの『イース』などが有名だ。
加えて書くなら、ソニーはフィリップスと組んで「グリーンブック」という名前でCD-iを規格化し、そのためのOS選定やグラフィックの仕様設定にも関わっている(そして僕はシカゴでソニーの連中とその仕様についてソフト側の人間の1人として文句を垂れていた)。
つまりソニーはPCハード事業もソフト事業も経験済みだったのだ(ただし大成功とは言い難い)。

また、最終的にSCEの母体になったSMEことソニーミュージックエンタテインメントには社内レーベルとしてエピックソニーとCBSソニーがあり、そのどちらもファミコンのソフトを出している。
それがどれぐらいPS1のソフト事業の役に立ったかつまびらかではないが、SMEにはゲーム事業の経験があり、素人ではなかったのは明らかだ。

この程度はソニーのホームページを開いて社史を調べるだけでわかることで、このレベルの内容を間違うとは、両筆者は心の底から恥を知っていただきたい。

全くの余談だが、ソニーのMSXにはスピードコントローラと名づけられたハードが搭載されており、これを使うCPUの速度を0-100%の間で調整出来た。つまり、これを使って意図的にゲームの速度を遅く出来たのだ。そして当時、我々はBEEP編集部で『グラディウス2』の攻略をしていたとき、このスピコンは最後の切り札と呼ばれていたのであるw

ただ、それはあくまでもビジネス的なことで、我々はこれとは別にもうひとつ、「ゲームの本質」にかかわる大きなネックが、そこにあったのだろうと推測します。
それは、「読み込み時間」の問題です。
おそらく当時の任天堂は、「CD-ROMのロード(注:データの読み込み)時間」を問題にしていました。
ロムカートリッジは、ゲーム機に差し込めばすぐにプレイができます。しかし、その後に発売したディスクシステムでは、短くない”ロード時間″を必要とするようになりました。
プレイヤーは、ゲーム開始時のみならず、ゲーム中もたびたび「待つ」ことを強いられたのです。これは大不評で、ディスクシステムの売リ上げが振るわなかった無視できない要因のひとつだったと考えられていました。
その反省から、次のハードでは「読み込み時間を短くする」ということが任天堂の大きな課題となっていましたが、CD-ROMもディスクシステムと同様、読み込みにそれなリの時間が必要でした。ゲーム開始時たけでなく、ゲーム中もことあるごとに読み込みが発生するのです。
任天堂は、そのことが最後まで引っかかっていたのたと思います。そうして、CD-ROMを見送るという結論に至ったのではないでしょうか。

岩崎夏海;稲田豊史.ゲームの歴史2(p55) 講談社.Kindle版.

正直、歴史と銘打って、よくこれだけの間違いだらけの文章を書けるものだと感心する内容だ。

まず、ディスクシステムに使われたクイックディスク(QD)は8秒のローディングはあったし、ROMと比較すればもちろん遅いが、1985年ごろの当時としては価格を考えれば非常に高速なメディアだった。
当時はまだオーディオカセットにプログラムをせいぜい1200~2400ボー程度の速度で保存するのが当たり前の時代で、フロッピーディスクは高嶺の花だ。そこに登場した1200ボーのオーディオカセットの100倍近い速度のQDは「安くて、高速で、そこそこ容量のあるメディア」だったのだ。
実際QDを最初に採用したシャープのMZ-1500を僕の前でデモしてくれたシャープの営業さんは「QDでついにシャープのクリーンコンピュータの理想形が作れた」と断言していた。

某社でとても偉くなったO君は、もう40年近く前に僕と聞いたこの言葉を覚えているかもしれない。そして目の前でQDからBASICが起動したとき、その速さに感動したのも覚えているだろう。
当時はQDは「フロッピーディスクよりは容量がないが、速くて、そして安い」、夢のようなデバイスとメディアだったのだ。
ここらへんは定量的な話ではないが、この下書きを読んでもらった方の「クイックディスクは本当に憧れましたね(テープから毎回ベーシックを読み込んでいたMZ-700ユーザー)」という感想や、下のリンクのような、当時を知る人の話を読めば、アクセスだのロードだのが問題視されていたというのは、どうも違うぞぐらいは思えるだろう。

MZ-1F11MZ-1F11 (クイックディスクドライブ)
 retropc.net
MZ-1F11

つまり、QDは当時は容量と速度のバランスを考えれば、一定のアクセスタイムがある代わりに、容量が大きく(ROMの3倍)セーブ出来る、低価格なゲームマシンでも使いうるメディアだった。
だから上村先生も「ファミコンとその時代」で容量に余裕があるのでサウンドも豪華に出来ると考え、サウンドチップを追加したと書いている。
ROMに容量を抜かされて、アクセスが問題だなんて話になったのは後知恵だ。
それに「無視できない要因の一つと考えられていた」と、まるで見てきたように書いているが、実際にアクセスが問題になった『レリクス 暗黒要塞』のような作品もあるが、たいていはアクセスはステージ間で行われて、イラつくようなものではなかった。
「どんなソフトの何をもって、そのように任天堂社内で考えられていたんですか? そう書かれたソースを教えてくださいよ」と筆者には質問したい。多分ソースのない筆者の創作だろうが…

『レリクス 暗黒要塞』はボーステックのPCゲーム『レリクス』を移植したという触れ込みで登場した作品だったが、ほとんど別物な上に、冗談ではなくアクセスしまくる仕様だったため、極めて評判が悪かった。
ファミコンのディスクのゲームで、最もアクセスが問題視された作品なのは間違いない。

次にCD-ROMのロード時間だが、ディスク系の外部記憶は必ずアクセスタイムがあり、そんなことは作る人間には当たり前の話だ。
しかもCD-ROMはCLVであるがゆえ原理的にアクセスが遅いので、アクセス時間はROMと比べれば常に問題にしやすかったし、断るのに一番簡単な理由だ。
現にNECが1985年頃に任天堂に「CD-ROMゲームマシンを一緒に作りませんか?」と売り込みに行った時、アクセスタイムが理由で断られたと、当時NEC-HEにいた後藤さんが述懐している(実際はコストの問題で断られたと思っている。当時作ると10万円になるハードだったのだ)。
と、書いたところで、ディスクシステムの次のハードはゲームボーイとスーパーファミコン。
どっちもROMなのだから「次のハードで読み込時間を短くする」とはなんなんですか? と皮肉りたくなるが「スーパーファミコンの次」と好意的に解釈しておくことにしよう。

ところでCD-ROMの読み込みの話を始めると、僕は筆者に聞きたいことがある。
「ゲーム中もことあるごとに読み込みが発生する」と書いているが、なぜそうなるのだろうか?
設計を適切に行って、リードするタイミングを制御すれば、CD-ROMであろうとゲームは基本的には快適だ。少なくとも自分が初期の等速・シークがとっても遅いPCエンジンCD-ROMで作ったゲームで「ことあるごとに読み込みが発生するようなゲーム」を作ったことは一度もない。
加えて、PS1世代以降クラスなら、バックグラウンドでデータを読むことでアクセスタイムを見えなくすることも出来る(PCエンジン/メガドライブでも出来るがやれることの幅が全く違う)。
PS1なら『ファイナルファンタジーⅦ』のバトルのスタート演出・『バイオハザード』の扉・『リッジレーサー』のミニゲーム・『キングスフィールドⅡ』の長い廊下などが有名だ。
これらはロードしているが、その時、止まらないようにして演出の影に隠れてアクセスが見えないように処理されているものだ。
だから、ことあるごとに読み込んでも、それを(あまり)気にならないようにすることも出来るのだ。

アルファの佐々木社長が”MYST”のPS1の移植では「音が数百時間分ある上にアニメーションしなければならないんで、ランダムアクセスで間に合うかテストして常時読みっぱなしで動いている」と教えてくれた。つまり、こんな風に読みっぱなしで動いていたゲームもあるわけだ。

つまり「ゲーム中もことあるごとに読み込みが発生する」などというのは設計が問題外か、それとも、この本では一言しか出てこないPCエンジンのCD-ROMの最初期のようにノウハウが全くなく、かつ本体のワークRAM容量がたったの64キロバイトしかなかった時代の話だと考えていいし(それでも読み込みが気にならないソフトを作れたのは一言書いておく)、そもそも「ことあるごとに読み込みが発生する」という表現自体がおかしい。稚拙な設計で読み込みの仕方が悪いソフトもあった、程度の話だ。

余談だが「いわゆるみんなが思い浮かべるオープンワールドのゲーム」を実現しているのも、結局はアクセスを見えないように次々歩く先にある新しいブロックを読み込むことで作り出している。そして筆者はこういうモノをどのようにして実現しているのかを理解していないので、技術的にはまるで間違った文章をそこらじゅうで書き散らかしている。

加えて、仮に筆者の主張を受け入れると、事実に照らしてもっとおかしなところが出てくる。
事実として、ソニーのCD-ROMアダプタをキャンセルした任天堂はフィリップスと組んでSFC用のCD-ROMアダプタを開発する
このアダプタはハード的には完成しており、CD-ROMはキャディ形式になっていて、キャディ側にSRAMが搭載され、ROMカートリッジのようにバッテリバックアップ可能で子供が比較的壊しにくい設計だった。また、サードパーティにアナウンスして開発キットまで出来上がっていた。
僕はPS1の開発キットを触っている頃に、サードパーティを集めた任天堂の開発者向けのミーティングに出ているのだから間違いない。
つまり筆者の主張を正しいとすると「任天堂はCD-ROMのロード時間を問題視してソニーとのCD-ROMの開発を止めて、フィリップスと組んでCD-ROMアダプタを開発した」という全く理屈の通っていないメチャクチャ極まりない物語になる。
ゆえに筆者の考えたストーリーは何もかも全く間違っているのは明らかだ。

ところで、ソニーと決別した後、フィリップスと組んでCD-ROMアダプタを出す寸前まで行ったというのは、ごく当たり前に知られている事実で、知っていれば、このような馬鹿げたストーリーを語れるわけもない。
すなわち筆者は任天堂がフィリップスと組んでCD-ROMアダプタを出そうとしたという新聞記事にもなっていた当たり前の知識すら知らないレベルで書いたか、それとも知っていても「任天堂は読み込み時間に拘っていた」という自分の主張のために無視したかになる。

いずれにしても物書きとしては話にならない態度ではなかろうか。

また、後に任天堂の社長となった岩田聡は、アメリカで開かれたゲーム展示会の講演において、「ゲーム開始時の待ち時間のつらさ」について、強い口調で言及していました。
これらのことからも、任天堂が「ゲームの読み込み時間」をいかに減らすかにこだわっていたかが分かります。

岩崎夏海;稲田豊史.ゲームの歴史2(p56) 講談社.Kindle版.

この岩田社長の講演は2006年5月のE3で行われたものだが、Wiiに関係する内容だ。

リンク先を読んでいただければわかるが、当時のゲームマシンにはスリープがなく(スリープがあったのは携帯ゲームマシンだけだった)、据え置き型ゲームマシンの電源を投入してから起動するまでの時間が長くなって、DSの蓋を開けるとスリープから復帰するのに慣れると、その起動時間に耐えられない、だからWiiではスリープをサポートして数秒以内に復帰できるようにするという話をしているのだ。

「ゲームに数十秒も待てない」--任天堂岩田社長が語る次世代機への思い任天堂代表取締役社長の岩田聡氏は5月9日(米国時間)、ロサンゼルスで開かれるゲーム関連の展示会「Electronic Entertainment Expo(E3)」に合わせて開かれた記者発表会において、次世代ゲーム機「Wii」にかけた思いを語った。
「ゲームに数十秒も待てない」--任天堂岩田社長が語る次世代機への思い japan.cnet.com
「ゲームに数十秒も待てない」--任天堂岩田社長が語る次世代機への思い

この内容を、なんとCD-ROMの読み込み時間と間違って紹介しているわけだ。
筆者は少しは講演の内容を確認してから、文章を書いてはいかがだろうか。

12章 『FFⅦ』の衝撃と功罪

それまでファミコンとスーパーファミコンで開発された『FF』のグラフィックは2Dのドット絵でしたが、初めてプレイステーションで開発された『FF』である同作は、プレイステーションのハード能力を限界まで引き出したナムコの方式を受け継ぐ「3D+美しい2D」でした。この進化によって、まずューザーの度肝を抜いたのです。

岩崎夏海;稲田豊史.ゲームの歴史2(p80) 講談社.Kindle版.

ナムコがプレイステーション草創期に実践した「3D+美しい2D」が最適解だった、という話はしましたね。これはハードスペックの限界(全てを3Dポリゴンで描くことはできない)を逆手に取った、見事なハッキング精神の賜物です。
この「3D+美しい2D」を『FFⅦ』が発展的に引き継いだことも述べました。『FFⅦ』の翌年、1998年に発売されたカプコンのホラーアドベンチャー『バイオハザード2』も、そのような方針で作られた作品です(前作『バイオハザード』も一応は「3D+2D」でしたが、『2』において、より一層背景の美しさにこだわるようになりました)。両作とも、プレイヤーが空間を動き回りますが、背景を静止画とすることでポリゴンを節約し、ハードの制約を解決したのです。結果、3D世界を遊び回る面白さをユーザーに与えました。

岩崎夏海;稲田豊史.ゲームの歴史2(p110 / 13章) 講談社.Kindle版.

筆者は背景のフィルとマッピングされた天球ポリゴンと2Dの背景の区別すらついていない人間で、何も3Dの事を理解してないために「3D+美しい2D」は基本、まるで間違った考え方をベースにしている。
3Dに関する筆者の無知は、2巻の基調となっていて、あらゆるところに散在しているが、(9)か(10)の最後で「筆者が3Dの事を全く理解していな癖に技術的な事を語ろうとするために間違いだらけになっている」のを詳細に取り上げるつもりなので「話にならない間違いだ」ということだけをわかってくれていればいい。

そして、また上記引用の『FFⅦ』とナムコの関係についてもそこらじゅうで書くので、とりあえず代表的な2箇所を取り出して誤りを指摘しておく。

『FFⅦ』と『バイオハザード』、そして『バイオハザード2』には共通祖先のゲームがある。
それがInfogramesの不滅のゲーム『アローン・イン・ザ・ダーク(1992/PC)』。

alone in the dark 1992 - Google 検索
alone in the dark 1992 - Google 検索 www.google.com
alone in the dark 1992 - Google 検索

プリレンダされた(depthのある)2Dの背景の上にポリゴンキャラクタを表示するゲーム形式を最初に作り出したのは『アローン・イン・ザ・ダーク』で『FFⅦ』はナムコから発展的に引き継いでいない。
こんなものは『アローン』のプレイ画面と『FFⅦ』と『バイオハザード』と、まあそして『チームイノセント』を見れば一目瞭然であり、全くゲームの歴史を知らない人間のみが書ける過ちといえるだろう。
ゲームの事を何も知らずに、思い込みだけで書くものは歴史とは言わない。

ところで、P110の引用部分だが、筆者の主張とは裏腹に「ゲーム全体が普通に3Dのゲーム」は、PSは最初期からゴロゴロしており、例えばフロムの『キングスフィールド』は背景まで含めてフル3Dの、筆者がこのあと褒める『メタルギアソリッド』と同じぐらい3Dゲームだし、バカゲーの部類に入るが『麻神』もある種のフル3Dゲームと言っていいだろう(多分、筆者は背景が2Dだから疑似3Dだと言うだろうが)。『クラッシュバンディクー』もフィールドの大半は完全3Dだ。『エースコンバット』も『ジャンピングフラッシュ!』もPCからの移植の『ディセント』も『TAMA』も初代『闘魂列伝』も、何もかもが3Dでないと成り立たないゲームだ。
かように無数に3Dゲームはあり、筆者はゲームをプレイしていない・知らないも度が過ぎる。

筆者は「勘」で本質とやらがわかるとあらゆる機会をとらえて嘯いておられるが、ゲームの事は全くわかっていないのは断言できるので、もうちょっとちゃんと様々なゲームをプレイしてから語ってはいかがか。

しかも、そこには新たな価値も付加されていました。草薙の描いた美しい絵の手前を、四頭身のコミカルなポリゴンキャラクターが走リ回ったのです。
マンガっぽい四頭身のキャラが採用されたのは、プレステのスペックが不足していて、リアルな頭身にすると違和感が強くなりすぎるから、だと言われています。つまり、グラフィックの違和感を極力減らす目的で、あえて四頭身のコミカルさを強調しました。

岩崎夏海;稲田豊史.ゲームの歴史2(p81) 講談社.Kindle版.

筆者は知らないようだが、『FFⅥ』までのFFはドット絵の2Dゲームで等身的には3-4等身程度だった。
また、筆者は知らないらしいが、ちょっとしたゲーム好きにはよく知られた事実だが『FFⅦ』はもともとはN64用に開発されていた。そしてN64用のデモ画像が残っており、それでも等身は低い。
つまり2Dから3Dに移行するとき、等身を今までの2Dゲームの等身に近い所に合わせたからそうなっているわけだ。いかにも2Dから3Dへの移行期の話だ。
そして『FFⅦ』の特にキャラクタの演技部分は全て『FFⅥ』までのドット絵の延長上にある。
例えばオープニングの魔晄炉を攻略するパートでのエレベーターのシーンで--

  1. クラウドからバレットが出てくる。
  2. 会話が展開される
  3. またクラウドの中にバレットが入り、クラウドが1人になる。

と、このような演出が行われるが、これは過去の2D時代の『FF』で標準的な演出「操作キャラクタからパーティキャラクタが出てきて会話シーンやイベントが展開される」なのだから、2D時代に培われた文法を引き継いで3Dゲームに持ち込んだと、2Dの『FF』の文法を理解していれば一瞬でわかることだ。
だから今までの演出を引き継ぐ必要がなかったバトルでは8等身のキャラクタが動いている。
これでわかるとおり「違和感」だの「コミカルさ」だのは全て話にならない主張になる。
またスペックが足りないなら『FFⅧ』で8頭身になっていることの説明がつかないわけで、筆者は『FFⅧ』のゲーム画面を見たことがないか、知っていて嘘を書いていることになる。いずれにしても話にならない。
正直、筆者はファミコンやSFCの『FF』を一度でもプレイしたことがあるのか? と聞きたくなるレベルの間違いで、情けないこと極まりない。

ところで、いったい「マンガっぽい~四頭身のコミカルさを強調しました」は伝聞形式になっているが、どこの誰が言った、どんな話だろうか? 例によって筆者の脳内の妄想だろうか?
僕としては、このソースがどこにあるのか、どうせソースはないのだろうが、筆者にお聞きしたい。

余談を書くと、2D時代の『FF』の操作キャラクタ1体だけが表示される形式は『ドラクエ』のパーティメンバーが蛇のようについてくる形式と比較して、明らかに有利なところがあった。
それは1画面に表示可能なスプライトの数がかなり増えることだ。
ファミコンだろうがSFCだろうがメガドライブだろうがPCエンジンだろうが、1ラインに並ぶスプライトの数以外に、1画面に表示できるスプライトの数には上限がある。
だからパーティを蛇形式で表示すると、かなりの数のスプライトをパーティメンバーに使うことになってしまい、結果的に画面内に表示可能な街の人の数などに、かなり制限がかかる(特にファミコンでは厳しくなる)。
だから『天外Ⅱ』を作るとき『FF』形式が検討されたのだけど、我らがどんちゃんが「仲間と旅をしている感じがしない」と一言の下に切り捨てたので、蛇形式になったのである。

ではここで、世界一売れているオープンワールドゲーム『グランド・セフト・オート(GTA)』シリーズを例にとって説明しましょう。
同作は、2001年にアメリカで発売された第3作から3D化され、現在とほぼ同様のオープンワールドスタイルを確立しました。
いかにも現実にありそうな架空の街を、驚くほど細部まで作リ込んだ作品です。
現実にありそうな街を作リ込むのに必要な開発メンパーは、プログラマーやゲームデザイナーたけではありません。そこには、都市計画や建築に詳しい人が欠かせません。
(中略)
都市計画や建築に詳しい人は、こういったことを熟知しているので、ゲーム内といえど、いい加減なデザインを許しません。その妥協なき街と建物のデザインに対するこだわリが、「プレイヤーが没入できる本物っぽさ」を演出するのです。
(中略)
つまリ、魅力的なオープンワールドゲームを作るには、「ゲームなんて知らないけど、専門分野(都市・自動車・ファッションなど)についてめちゃくちゃ詳しい人」である”その道のプロ″をスタッフとして雇い、開発チームに入れる必要があるのです。もしそういう人を起用しないで、ゲームデザイナーが適当にネットで検素した画像を参考に街や建物などを構築しても、その仮想世界はせんせん魅力的ではなくなるでしょう。見た目たけをそれっぽくなぞった”嘘っぽさ”が、プレイヤーにバレるからです。

岩崎夏海;稲田豊史.ゲームの歴史2(p95) 講談社.Kindle版.

『GTAⅢ』の街を実際にデザインした人間は公表されていないが、imdbやmobygamesでクレジットは出ており、そののちに関わった作品も、その前に関わった作品もわかる。

Grand Theft Auto III credits (PlayStation 2, 2001) - MobyGamesThe official game credits for Grand Theft Auto III released on PlayStation 2 in 2001. The credits include 213 people.
Grand Theft Auto III credits (PlayStation 2, 2001) - MobyGames www.mobygames.com
Grand Theft Auto III credits (PlayStation 2, 2001) - MobyGames

そしてクレジットを見ればわかるが、都市計画や建築の専門家は入っていない。つまりこれは筆者の頭の中にしかない『GTAⅢ』の開発チームでしかなく、全くの創作でしかない。
筆者はGTAシリーズのクレジットをチェックしたことがなく、また『GTAⅢ』のリバティーシティーがニューヨークをモデルに作られた架空の都市という程度の知識もないらしい。
もちろん、GTAのチームは都市計画を調べただろう。調べないわけがない。だが、専門家がいなければ作れないような書き方は大間違いだし、現実に専門家がいなくても『GTAⅢ』は大ヒットし、そしてまるで本物のような都市に感動したのだから、筆者が書いていることは全て間違っているのは明白だ。
では、どうしてこんなことを筆者が書いているのか?
ここで筆者は「日本のゲームメーカーはゲームオタクばっかりで、外部の専門家を使ったりマネジメントをうまくすることが出来なかったから、オープンワールドゲームが作れなかったのだ」という自分のストーリーにこじつけるために、事実をまるで無視した創作ストーリーを語っているわけだ。
筆者は妄想同然の主張を書く前に、英語版のwikipediaのGTAⅢのページの”Open World Design”でも読んで、少しは事実に近づいてから、書き始めてはいかがだろうか。

Grand Theft Auto III - Wikipedia
Grand Theft Auto III - Wikipedia en.wikipedia.org
Grand Theft Auto III - Wikipedia

それは、1998年に発売された、コナミの『メタルギアソリッド』です。
同作は、敵地に潜入してミッションをこなす3Dアクションゲームです。他のメーカーのほとんどが、ナムコ流の「3D+美しい2D」方式を採用する中で、本作は大胆にも背景にまで3Dを採用し、大成功を収めました。
このゲームは、「敵から隠れる」という「かくれんぼ」の面白さをゲームに移植するという”ハッキング”をコンセプトにしており、背景を3Dにすることには大きな必然性がありました。
(中略)
ですが、この作品にはそれを補って余りある「ゲームとしての本質的な面白さ」が宿っていました。それは、メンコ遊びを『ポケットモンスター』に置き換えた田尻智のハッキング精神にも相通じるものでしょう。

岩崎夏海;稲田豊史.ゲームの歴史2(p108) 講談社.Kindle版.

これまた頭に「3D+美しい2D」が書かれているが、それは前で書いたように(9)か(10)で、筆者の主張がどれほど意味がなく、技術的にまるで話にならないかは説明して差し上げる。

と、書いたところで、まず第一にステルスゲームを作り出した不滅の傑作『メタルギア』の初登場は1987年。MSX2の2Dゲームだ。もちろん言うまでもなく「かくれんぼ」の形に既になっている。
そしてその続編『ソリッドスネーク』は1990年登場。
同じくMSX2の同じく2Dのゲームだ。そして『ソリッドスネーク』は『メタルギアソリッド』のほとんど全てのメカニクスを備えている。プレイすればわかるが、3Dである以外にはステルスに関係するメカニクスはほぼ同じものと考えていい。
つまりステルスゲームを作る上で背景を3Dにするのは大きな必然ではなかったのだ。
ではなぜ3Dにしたんですかというと、3Dの方がやれることが圧倒的に増えるからで、実際にメタルギアソリッドは壁に貼りついたら上からではなく、横から見たカメラ位置になるとか、主観視点でパイプの中を歩けるとか、遠距離狙撃するとか、2Dでやるのは難しい演出だらけだ。
加えて、ゲームからそのままリアルタイムのデモに移動して、カメラアングルのあるデモが出来る。
そりゃあ圧倒的に「映画的なゲーム」に近づくのだから3Dの方がいいに決まってる。

つまり、かくれんぼを移植するのは2Dの段階でほとんど完成していたが、ゲームの演出やより面白さを追求するために3Dにしたのであり、筆者の主張はまるで間違っている。
次にメンコを『ポケットモンスター』に置き換えたのは、まるでおかしいのは既に明快に説明した。
だからハッキング精神の話は全て間違っていることになる。
かくして、最初から最後までこの文章は全て間違っていることになる。

筆者は歴史を書く時、自分の思い込みで勝手なストーリーを書くのではなく、まず事実に立脚して物事を語るようにしていただきたい。

次に続く話

正直、2巻に入って間違いが多すぎること、さらに技術的な無理解に起因している間違いがそこらじゅうでリピートされることにウンザリしたので、そういう間違いをまとめて紹介することにした。
また、ここでは取り上げていないけれど、間違いはまだまだ掃いて捨てるほどある、いわゆる「トンデモ本」レベルの内容で、本当に筆者には猛省を促したい。

ところで、このシリーズを知っておられる方は、以下のニュースを知っておられる可能性が高いだろう。

書籍「ゲームの歴史」にツッコミ相次ぐ 「内容が事実と異なる」との声 講談社は「確認中」講談社の書籍「ゲームの歴史」に、業界人から「内容が事実と異なる」「主張のために事実を拡大解釈している」「思い付きから逆算している」との指摘が相次いでいる。
書籍「ゲームの歴史」にツッコミ相次ぐ 「内容が事実と異なる」との声 講談社は「確認中」 www.itmedia.co.jp
書籍「ゲームの歴史」にツッコミ相次ぐ 「内容が事実と異なる」との声 講談社は「確認中」
書籍『ゲームの歴史』に当事者たちから事実誤認との指摘続出で物議…ゲーム業界に悪影響昨年11月に出版された書籍『ゲームの歴史』(講談社/岩崎夏海、稲田豊史)の記述内容をめぐり、当事者やゲーム業界関係者から事実誤認との指摘が続出。セガで家庭用ゲームのローカライズ業務を担当し現在はソニー・インタラクティブエンタテインメント(SIE)のエグゼクティブプロデューサーを務める長谷川亮一氏はTwitterで、<ホントに他にもあちこちツッコミどころだらけで、岩崎啓眞さんが「指摘するところが多すぎて脱力する」と仰るのが良く分かりました…>と投稿。
書籍『ゲームの歴史』に当事者たちから事実誤認との指摘続出で物議…ゲーム業界に悪影響 biz-journal.jp
書籍『ゲームの歴史』に当事者たちから事実誤認との指摘続出で物議…ゲーム業界に悪影響

大きな会社と言うのは「恥」と言う物には敏感だし、もちろん問題のある間違いだらけの内容の本だという非難がこれだけ騒ぎになると、回収・絶版になっても驚かない。
でも、講談社が仮に絶版にして書店から回収しようが、物理の本が消えるわけではない。
なので、少なくとも2巻の最後まで、出来れば3巻の最後まではちゃんと間違いを指摘して、それを同人誌の形にして、誰でも間違いを確認できる形にしておきたい。

ただ「ただの批判本」ではつまらないので「批判から始まるちょっとは正しいゲームの歴史」ぐらいの内容になるようにしたいと思っている。

あと、作者の岩崎夏海氏の方、アカウントに鍵をかけた挙句にアカウント削除と言う顛末で、正直、自分としては唖然としている。

ぼくは、この『ゲームの歴史』を書くにあたって、足かけ6年もの時間をかけた。その間、参考資料として数えきれないくらいのゲーム関連書籍や記事を読んだ。

ゲームの歴史を書くとはどういうことか?

ただし、かといってぼくの妄想を書き連ねた「フィクション」にするつもりはなかった。「歴史」と銘打つ以上、事実を無視したり、憶測を暴走させるようなことはしてはならない。事実はきっちりと踏まえながら、しかし隠された相関関係が解き明かされ、現実にある「ゲーム」への理解が進むものにしようと思った。

ゲームの歴史を書くとはどういうことか?
文脈くん|noteこのnote及びマガジン「文脈ノート」では、コンテンツの「文脈」について書いていきます。文脈は、コンテンツの価値を高める最大の武器。これからのコンテンツは、文脈の強弱によって価値が決まってきます。文脈でコンテンツ力を高めたい、そんなクリエイターのためのnote及びマガジンです。
文脈くん|note note.com
文脈くん|note

こうまで書いた筆者、岩崎夏海氏が、ファクトチェックを始めてから1カ月の間、黙ったままになり、そして、たかだかネットニュースで取り上げられたぐらいで、ファクトチェックに立ち向かうこともないまま、鍵かける→アカウント削除では、正直言わせてもらって「私はデタラメを書きました」と大きな声で言っているに等しいし、物書きとして信じがたいほど情けない行動だと思った。

というわけで、ファクトチェックをするまでもなく、筆者の書いた文章の大半は間違いと断言して構わないのだろうが、そうはいっても、間違った本が実在してしまっているのは事実なので、この間違い訂正の旅は続くのである。

2巻に入ってから3Dについて、筆者は全く話にならない内容を書きまくっているもので、読んでいて憂鬱になってしょうがなく、そして次の「3Dの攻防」はそのデタラメの頂点の1つなので、本当にウンザリするのだけど、がんばって書くのである。

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10件のコメント

  • 初めまして
    LEGEND Special から拝読させて戴き、このブログにたどり着きました。
    他、ハドソン伝説・電撃クロニクル拝読中です。

    この本自体(余りに胡散臭くて)まだ見ていませんが、
    ここまで来ると、いわゆる「トンデモ本」になってますので、
    あえて物理本を購入すべきかと迷っています。

    悪趣味ですが、黒歴史的な稀覯本収集癖が疼きますね。
    具体的にいうと、某悪○の飽○がまだ実家に残っているはず・・・

    検証に多大な労力を割いて素人でもわかる様に書いて頂きましてありがとうございます。
    今後も楽しみに拝読させて頂きます。

    • 回収になったと思われますので、手に入れるのは古本か、まだ回収になっていない本屋ぐらいしか…w

      • 返信ありがとうございます。

        本日休暇でしたので、ネット通販及び近所の本屋を探しましたが、手遅れでしたwww。
        ぼったくり以外は売って無く、2,3が欠落してたので、今回はあきらめ古本探索に切り替えます。

        この手のものを探す自信はありましたが、私も衰えた、ということですね。(TT)

  • SMC-70のオプションでNTSC対応テロッパがあり、テロッパ標準装備がSMC-70Gだったはずですが…
    https://en.wikipedia.org/wiki/Sony_SMC-70

    82年当時、SHARP X1がニワカスーパーインポーザだったのをSONYがオプション込みでガチ化したのが70Gという印象でした。
    で、この70+スパーインポーザ若しくは70GはNTSC時代の 笑っていいともの 80年代オープニングに使っているのがアングルによっては写り込んでいるので、ビジネス用途なのかは個人的には疑問があります。因みに90年代ぐらいからはAMIGAのビデオトースタ(ウゴウゴルーガが有名)みたいな映像になります。

    • だから70Gと別と書き直しましたw
      ところで70をビジネス用途書いているのは、あちこちの記事でそう書かれているから踏襲しています。
      (なお、当時、このスペックだとビジネス用と、実際にビジネスにどれぐらい使えたかはともかく、言っていいと思います)

      • すみません、どちらかというと、ビジネスよりワンランク上(特に映像周り)を最初から目指してたパソコンと云う印象がありました。カタログも拡張性とかが半端ない印象でした。
        https://ratscats.client.jp/so-smc70.html

  • 岩崎夏海氏のトンデモ本を擁護するようなことは言いたくないのですが、岩崎啓眞様の主張の中に気になる箇所がございましたので、指摘させて頂きます。

    >1200ボーのオーディオカセットの100倍近い速度のQDは「安くて、高速で、そこそこ容量のあるメディア」だったのだ
    当時オーディオカセットのPCゲームをプレイしていた方々から見ればディスクシステムのロード時間は短く感じたかも知れませんが、当時ファミコンカセットに慣れていた子供達がQDのロード時間に不満を持っていた可能性は充分あります。実際「ディスクシステム 読み込み時間」でGoogle検索しますと、当時ディスクシステムをプレイしていたと思われるユーザーがQDのロード時間に不満を述べるコメントが複数出てきます。例えば初代『ゼルダの伝説』では、間違ってダンジョンに入ると8秒ロードが入り、急いで出るとまた8秒ロードが入る・・・というのに不満を感じたユーザーもいたようです。
    >当時を知る人の話を読めば、アクセスだのロードだのが問題視されていたというのは、どうも違うぞぐらいは思えるだろう
    このように断言するには、岩崎様のリサーチ範囲は少々狭すぎるように思えます。岩崎様の周囲の方々はレトロPCユーザーが多く、「ファミコンカセットに慣れた子供」の観点を完全に無視しているように感じます。

    >実際はコストの問題で断られたと思っている
    これは貴方の憶測です。「任天堂はCD-ROMのアクセスタイムを問題視していた」ことを示す一次証言が存在することは、岩崎様も理解できていると思われます。
    ゲームの歴史と銘打った本を一次証言に基づいて書くのは当然のことであり、少なくともこの引用部分”だけ”は別に批判されるような記述ではないように思えます。
    「自分の憶測と違う」ことを理由に批判するのは、岩崎夏海氏と同レベルの行いではないでしょうか?

    • アクセスに対する不満は、あくまで相対的な物であり「ではどれぐらい不満だったのか?」については当時のアンケートの具体的なデータが出ないとわからないでしょう。
      これを前提として、当時、自分自身はゲーム雑誌にいましたが、少なくともそれが「任天堂が意識するほどの、絶対に改善するほどの」ポイントになっていたのか? とアンケートなどにあったのかと言えば、自分が覚えている限りでは答えはノーです。
      また、自分以外でも当時からずっとゲーム雑誌編集をやっていた方の証言で「それが当時のユーザーの不満の中心的なものだった」と聞いたことはありません。ゆえにせいぜいが「アクセス遅いなあ」というレベルのものであったというのが自分の判断です。

      次に任天堂がCD-ROMのアクセスを問題視していたという一次資料は、そもそも、僕が出した資料で、しかもNECが売り込みに行った時の断りの言葉とされているものです。
      つまり岩崎夏海氏はそんな資料・証拠は何も出していません。「任天堂はそう思っていた」と勝手に主張をしているだけです。
      そのうえで僕は
      1)そもそもCDROMにアクセスがあるのは誰でも知っている話で、断るのに一番簡単な理由である。
      2)だいたい当時は原価の問題が大きすぎる
      という話をしているのです。

      ところで、このNECの話はPCエンジン前史で、NECの後藤さんがCDROMゲームマシンを作りたくて、ビデオチップを一緒にやってくれるところがないかと、あちこちに持ち込んでいた時のエピソードです。
      その時のCDROMの原価を考えれば「ムリ」という判断は当たり前で、価格の話をして交渉されるより、アクセス時間の方がやんわりと断りやすい、というのが僕の感覚だから、そう書いているわけです。

      • 返信ありがとうございます。
        気になっていた箇所について丁寧に説明して下さりとても助かりました。
        ですが他のテキストにも気になる箇所がございましたので、大変申し訳ございませんが再度コメントさせて頂きます。

        >書籍「ゲームの歴史」について(5)
        「『〇〇』は『〇〇』の影響を受けている」「『〇〇』は『〇〇』の後追い」という決め付けがあまりにも多過ぎます。
        シューティングゲーム全てをスペースインベーダーの模倣作と表現する岩崎夏海氏の史観が雑極まりないのは確かですが、岩崎様の史観も大分雑に感じられます。勿論、開発者の一次証言で「『〇〇』の影響を受けた」という発言があるのでしたら話は別ですが。

        >書籍「ゲームの歴史」について(6)
        >つまりプレイのフォーマットはファミコンと同じで、今のスマホとは別物だ。
        ゲームボーイはテレビの無い外出先や電車内などでもプレイ可能であり、ファミコンのようにテレビを見ながらゲームをするマシンでもありません。ゲームボーイとファミコンでは、プレイ感覚は全く異なります。
        岩崎夏海氏の「現在で言うところのスマートフォン(スマホ)と、ほとんど同じ役割です」は明らかに間違った認識ですが、岩崎様の「プレイのフォーマットはファミコンと同じ」も間違ったテキストに感じられます。

        >書籍「ゲームの歴史」について(7)
        >「任天堂・セガともにかなり煽りが入っていて信頼性は危ういのだけど、まあセガがやや優勢以上だったのは確かだと思います」とセガの奥成さんに言われた
        岩崎様は「社長が訊く」では都合が悪い事は書かれないとおっしゃっていましたが、セガの奥成氏の証言に同じ問題があるとは考えなかったのでしょうか?
        セガVS任天堂の勝敗の話で、セガや任天堂の方に質問しても「こっちが勝ってた」という回答以外は返ってこないと思います。それよりも、当時の小売などの販売店側の証言を挙げた方が信頼度は高くなると思います。

        • 後追いは「裏技」にかかっています。つまり「ゼビウス・ドルアーガで裏技ブームが爆発した。その裏技ブームにあやかったという意味では、スーパーマリオも後追いと言えるという内容ですよ。

          プレイするフォーマットとは
          1)カセットを刺して
          2)電源を入れ
          3)プレイをする。
          4)他のゲームをやりたい場合は、電源を落として1に戻る。
          という意味で、あなたの書いている電車の中で移動しながらプレイできる、みんなで持ち寄ってプレイできるという話ではありません。電車の中であろうと、どこであろうとゲームボーイでゲームを始める時、と切り替えるためには上のような作業が必要で、なおかつバックアップが基本的にはないハードです。だからファミコンとプレイのフォーマットが同じだと書いているのです。

          そもそも「セガがアメリカでは一時的には任天堂に勝っていた」というのはゲーム史では常識の範囲の話なので、信ぴょう性云々を書く必要すらないのです。
          そのあたりの熾烈な販売合戦は「セガ vs 任天堂」あたりを読めばわかるかと思います。
          ところが問題は、では「どれぐらい一時的に勝っていたのか」が良く分からない。
          そして奥成さんの話によって、それが両陣営が数字が盛っているという話が出て、ますます曖昧になったということですよ。
          でもボーナスなどの話から「まあ勝っていたという事実は裏付けられているようだ」ということで、別段何かが変化したわけではありません。

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