コミケ98の中止と『イース通史Ⅲ』の頒布について

既報のとおり、コミケ98が中止になってしまいました。
頒布予定で、90%書き終わっていて、最後の詰めに向かっていた『イース通史Ⅲ』をどうしようかと思ったんですが、冬まで持っておくのもなんだし、夏にイベントあるかもわからないし、5月の真ん中ぐらいをメドに書店様先行で頒布することにしました。
書店さんはBEEP様ととらのあな様の予定です。
また近くなったらお知らせします。
ページ数はまだ確定しないのですが、75-95ページの間だと思います。
内容は、海外版『イースⅠ・Ⅱ』こと『Ys Book Ⅰ&Ⅱ』の開発史、それからPC版のイースの開発からPCエンジン版の開発までのいろいろな補足と、PCエンジン版イースⅢの開発の話、とあと半分付録的な内容なのですが『イースⅢ』のタイトルビジュアルを全部描いた故・岡本敏郎さんの経歴と仕事についてです。
あとコミケ98で頒布予定だった『山根の章Ⅱ』は、夏になんかイベントがあったら、少しページ数を多めにして新刊として頒布でもするかあ…とか思ってます。
それから書いておきますと、なんと…
イース通史Ⅲで終わらなくなってしまいました(‘A`)
理由として、ビクター音産のイースシリーズの開発史がわかってきたこと・通史の1&2を見て、スタッフが思い出したり、言い忘れてきたことをいっぱい言ってきやがるもので、今回の補足の章のテキストがやったらめったら長くなって、ひっくり返ってもイース4の開発が入らなくなってしまったことです。
でも、イース通史は4で終わりだからね! 5とか6とか絶対ないからね!
■PCエンジンmini 制作裏日記 通販




■イース通史Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ・PLUS通販(BEEPさんではⅡ,Ⅲ,PLUSにはペーパーが付きます)




あと、アイキャッチ画像は31年前のイースⅠ・Ⅱの原画でございます。
これもイース通史Ⅲに収録予定です。
9件のコメント
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ビクター音楽産業って事は、ファミコン版とかの話ですか?
ファミコンで初めてイースに触れてファンになった身としては、とても興味がありますね〜
当時はイースの曲が良いのは、音楽屋のビクターのゲームだからかと思ってました。
(^^;)
あ、そうです。ファミコン版です。ずっとわからなかったんですが、偶然から糸口が出来まして…
知ってしまったからには調べるしかあるまいとw
私の叔父である、故・岡本敏郎さんの仕事や経歴を収録はうれしい限りです。ハドソンに入社した経歴の、最初は広島のとある会社に入社、そこがハドソンに吸収され後に偉い人が来広、たまたま事務所に置いてあった叔父の描いた絵を見て「これ誰が描いた?」「俺です」「本社に来てくれ」な流れでハドソン入りの件は入ってますか?しかし、いきなり広島から北海道へというのは遠すぎるということで、まずは学生の武蔵美時代に馴染みのある東京支社へという流れだったのを、私は祖父母から何回も聞かされましたねw ちなみに最後の仕事は、絵本『えんとつ町のプペル』の原画の半分を担当。背景の看板にボンバーマンを仕込んでました!
そこは半分だけしか知りませんでした。なお、引っ張ったのは中本伸一さんです。
なんと引っ張ったのは中本さんでしたか~
他に叔父のハドソン関連の記録がないかと手持ちの資料を漁ってたら結婚式の招待状を発見!
新郎側の経歴の最後の項に「ハドソンに入社、営業からグラフィックという、めずらしいコースを歩む。ゲームソフトのグラフィックデザイナーを育てる仕事等、俺の生きる道はここだ!と心に決める。」とありました。
いつだったか役員とかにはならないの?と聞いたらと「そんな柄じゃない。俺から絵を取ったら後なにが残るよ?」とか言ってたっけなあ。
えっ!FC版のことを語られるということは、「オリジナルスタッフのイースの設定(アドルがつくまで)」で明かされたダルク・ファクトの隠しメッセージを、なぜFC版は復活させたのか、真相がわかるのでしょうか?
あの娘ははしためとしてもらってやる、のあのメッセージです。だとしたらすごく楽しみです。
分かるかもしれないレベルですw
先週のファミ通のPCエンジンmini特集に、「イース1・2にいたっては、開発の方の要望もあって表示領域の調整など、当時やりたかったけど実現できなかった部分の変更もしています」と書いてありますが、オリジナルから変更されているということでしょうか?
簡単に書くと、当時はアナログモニタなので、中心に表示するとテレビによっては下のステータスが切れてしまうので、一番上に張り付くようにして表示しているのです。一番上なら枠が隠れるだけで済むので。それを中心にしてもらったのが大きな変更です。