イースⅠ・Ⅱ通史(7):イースⅠとⅡの狭間で
このシリーズは様々な人から聞いて、どうやら(だいたい)はっきりしたパソコン版の『イース1』から、海外版PCエンジン版(TurboGrafx 16)の『イースⅠ・Ⅱ』までの通史として、出来るだけ当時の事情なども織り込みつつ、書いていこうというシリーズだ。だから85年あたりから話は始まり、90年5月で終わることになる。
ただし30年も昔の話で連絡が取れない当事者も多く「様々な人から聞いて、どうやらこうらしい」という部分が多々あり、こうだろうと推測して埋めているところもあるので、知っておられる方は遠慮なく教えてくれるととても嬉しい。それからコメント欄は承認制なので「表にするな」と書いてくれれば、表にしません。
前回、駆け足で最後まで書いたイース1の開発史だけど、落としたエピソードとかいくつかを紹介しつつ、イースとイースⅡの狭間の話を今回は書きたい。
まずイースⅠの開発スタッフの構成。
- 社員
橋本さん、桶谷さん(マップ)、山根さん(チップ・マップ・そのほかアート)、石川さん - アルバイト
宮崎さん(シナリオ)、倉田さん(マップ)、古代祐三さん、古代彩乃さん
なーんと、この当時、宮崎さんはアルバイトだったのである。
正直、ビックリした。
しかも山根と石川さん(実は書けるかも知れない)を除く、ほぼ全員がプログラムを書ける人で、今でいうプログラマの範囲に入る人間ばかりということになる。
ただ、今の目から見ると異様に見えるけれど、ゲームを作りたかったら、ともかくパソコンでプログラムを書く以外の方法がほぼない時代だったのだから、それも当たり前ってことだ。
ところで、前回の記事を書いてからあと少しいくつか証言をもらったので、ちと穴埋め。このあたりは書籍版では直しておきたい。
■ファルコム関係者の証言
当時のファルコムでは企画書の形式のものはなく、プログラマーが勝手に作り始めるか「~みたいなゲームをつくりますか」と口頭(会議というより会話)で何となく始める感じでした。
それで本当にズルく『太陽の神殿の続編のふりをして』始めたと。
だから文句言われなかったんです。
つまり、本当に続編のフリをしてなんとなく開始していた、ということだ。
まあ、当時のゲームの会社のサイズや形を考えれば、不思議でも何でもない。あと、山根に確認したところ、6体のボスを決めたのは自分だけど、本当に数しか決まってなくて、中身は作りながら決めていったとのことだった。
■ファルコム関係者の証言
ファルコムの広告展開は、マスターアップのメドが立ってから行われた。発売日の3ヶ月前から、雑誌に広告を入れていた。
発売3か月前ということは、6-5-4で、4月売りの5月号に広告を入れていると言う事は、広告を入れているのは3月。
このときにマスターアップのメドが立っているということは、やはり天空篇を諦めたのは2月であった可能性が高い。
また、イースⅠのマスターアップはだいたい発売1カ月前と想定していたのだけど、それが裏付けられるような証言をいただいた。
■ファルコム関係者の証言
イースのパッケージは本がモチーフ。イメージが掴みやすかったためか、割と早い段階から、パッケージデザイン・マニュアルデザインを始められていた。
(手が空いている)小説やイラストの別働隊は、前から準備していた。
操作マニュアルの〆切は、マスターアップから1週間くらい。
マニュアルを作るときに操作マニュアルのところだけ空きページだけを残しておいて入稿→校了→印刷→製本と考えると、数日~1週間というところ。
これに加えて、流通をさらに1週間と設定すると、最低でもマスターアップから2週間ぐらいは欲しい。
ついでに書くと、印刷などの期間は余裕があるほど安くなるというルールがあるので、イースⅠのマスターアップは5月末の可能性が高かったかなと思われる。
ではPC88版をマスターアップしたあとは、チームは何をしていたのかというと、当時は様々な互換性がない機種が出ていたので、様々な機種に移植されていくことになる。
機種 | 開発者 |
PC88 | 橋本さん(オリジナル) |
X1 | 橋本さん |
PC9801 | 桶谷さん |
FM-7 | 倉田さん |
MSX2 | 宮崎さん |
■ファルコム関係者の証言
イースⅠのマスターアップの後、MSX2版を作る事になった。プログラムは宮崎さん。グラフィックコンバートを古代彩乃さん・大浦さん、音楽のコンバートを石川さんが担当。MSX2版はスクロールが遅く、宮崎さんに遅いと文句を言ったら「MSXではこれが限界」と言われた。ところが橋本さんがⅡを移植したら、1.5倍くらい速くなった。宮崎さんはとても悔しそうだった。
ま…Z80もオプティマイズでエラく速度に差が出るからね…w
そしてMSX2版ではタイトル画面にとんでもない山根のエピソードがある。
■ファルコム関係者の証言
倉田さんがX68000でMSX2用ドットエディタを作った。16色1パレット。アニメーションを動かしながら、リアルタイムに修正が反映されるもの。
それでコンバートが行われたのだけど、そのMSX2版のグラフィックがほぼ終わったころ、タイトルを山根さんがいつの間にか作っていた。
ドットの粗いMSX2で16色でもキレイに作れるもんだと感心したのだけど、30年後に「市販のツールで256色で作った。とても楽しかった」と聞いて、コケた(笑)
山根はそういうヤツだよ…と、ここまではフツーの話なのだけど、ここから先に世にもばかばかしい山根節が炸裂する。
■ファルコム関係者の証言
山根さんが古代彩乃さんに「女神の髪色は青色。他のキャラクターの髪色では、青は使わないでくれ」と厳命する。
MSX2版の移植の時に気がついたのだが、ドギの髪色が青かった(笑)
MSX2だけではない。
右を見ればわかるが、そもそもPC88でのドギの髪は青なのだ。
少なくとも知る限りで、ドギの髪が青でないのは、多分ファミコン版のイースだけ(多分ファミコンの厳しいパレットの制限の都合)。
またイースⅡでは、エンディング間近でドギは出てくるのだけど、髪は青(左のアートはエンディングに出てくるもの)
もっと書くと『イースⅠ・Ⅱ』で、山根は僕に「ドギの髪の色を直しましょう」なんてカケラも言わなかった。
だから、もちろん言うまでもなく『イースⅠ・Ⅱ』でもドギの髪の色は青だ。
間違いなくあの野郎は忘れていたか、それとも「ま、いっかー」になっていたのである。
そして、山根の野郎はPCエンジン版イースⅢOPで、このコンテを描く。
ドギの髪の色は青だったのである。
3件のコメント
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MSX2版イースは確か ソニーのMSX2とコラボしてて HB-F1XDでしか動かない懸賞版あったと思いますか そこら辺の裏話ってあったりします MSX2って統一規格で別メーカ機でも動くというのが普通おもってたんたんで ソニー機でしか動かないとかってソフト側で制御できたんだとした記憶
あー誰か覚えていないか、ちょっと聞いてみます。
ただそういう細かいところはたいてい残念ながら覚えてないことが多いんですがw
上にある「イース2」のエンディングの絵、ファミコン版では文章がなくて、X68000版「イース3」を先にやっていた自分は、2でドギが完全に登場していないと思っていました。
髪の色までは覚えてないですね。