1989年4月 – スーパーイースというタイトル

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http://www.highriskrevolution.com/wp/gamelife/category/ys1989/

この話は1988-89年頃、PCエンジン版のイースを作るとき、僕が経験した話を出来るだけ正確に記録に残すつもりで書いている。ただし、これは
1)21年前の話で、記憶違いの可能性は十分にある。
2)僕が体験したり思ったりしたことを書くようにしているが、伝聞情報(二次情報程度)もある。
だから、当時の正確な記録ではない可能性はあるのは理解して欲しい。

4月に入って、本格的にチームはスタートし、HaHi君と僕は札幌でチームを率いて、コードを書き始めていた(といってもプログラマは二人しかいないから、プログラムについては「チーム」じゃなかったけど(笑))。
山根はまだ北海道に来ていなかったが、それ以外のアーティストチームは一通り揃っていた。

マップと全体を見ているのが進藤司
天外1を作っていた男で凄ノ王伝説を作っているとき仲良くなった。天外2を作るときも使いたかったのだが、本人がSFCのゲーム(『アースライト』)を和泉さんと作っていたので、だめだった。

キャラクタが伊藤真希(イトマキと呼ばれていた)。
明るいシャープなドット使いが特徴的な、いつでも眠そうな目をした女の子。
イトマキはゲームにとても大きな影響を及ぼしている。PC版のイースはアドルやキャラは16x16(正確には32x16ドットの正方形。当時は640x200の解像度だったので縦長のドット)だったが、これをかわいくないと16×24ドットに拡大した張本人だ。
いわく「ちんちくりんでかわいくないから大きくしたんですが、どうでしょう?」
山根は「なんだとぉ、ゴー!」と叫んでたけど、僕は「全然オッケー!」。これのせいでマップの入口は大きくしないといけなくなるわ、マスクは大変になるわで、マップをやってる進藤とメインのHaHi君は大騒ぎをしていた。
ついでに書くと、ダレスにモンスターにされたアドルをルーでないのにしろといったら、ワケのわからないモンスターを書いた挙句、頭に赤毛を生やしたのもイトマキだ。

それ以外が山口もと
メガネで結構口が悪い。確かショップの絵とか彼女がほとんどやったはず。

瓜田
ウリボウと呼ばれていた。彼はよくも悪くもハドソンのドットの置き方の申し子みたいな子で、僕や山根の求めるドットがうまく作れず結構苦労した。今なら、もうちょっとうまく使えたのになと思うと、彼には悪いことをした。

百田
こいつはアルバイトで来ていて、札幌のオーロラタウンにある量が多いだけのヤキソバを最高だと断言して、チーム全員を連れていて、辟易とさせた(笑)
なんか、今ではそのヤキソバ屋は結構有名らしい。

と、こんな陣容だった。

こんなアーティストたちのためにイースの移植専用に、画面が320×240で、かつマップが1キャラクタ単位のパソコン型フォーマットに合わせたDF(PCエンジン用のグラフィックエディタ”CE”のハドソン社内バージョン。PCエンジンだけでなく、ファミコンまでサポートしていたのが特徴)も和泉さんに作ってもらった。
ちなみに和泉さんはR-Typeの移植をした人でネクタリスのゲームデザイナー兼メインプログラマ。コブラ1の制作も飛田さんと共にやった。和泉さんがR-Type用に作った擬似マルチタスクモニタを僕とHaHi君とで改造し、イースに転用した。
飛田さんは桃太郎シリーズのメインプログラマ。PCエンジン用アセンブラ・リンカの開発者でもある。お二方はスタッフロールにシステム協力として出ている。
そして、マップのコンバータも出来て、4月も半ばにはパソコンのマップがそのままPCエンジンのアーティストツール上に表示されるところまできていた。もちろん、コンバートしたそのままのデータは使い物にならないので、PCエンジン用に、みんなが直しはじめていた。

開発は一応順調といえる状態だった。

そんな風に開発が進んでいる中、ハドソン東京の営業担当のZがやってきて「タイトルを決めてくれ」といった。(Zは北海道は札幌は豊平区にあったハドソンの4Fの開発ルームにやってきて、僕と面と向かって話をしていた)
どうしてタイトルを決めなければいけなかったのかというと、CSG(ハドソン・ナムコ・NECなど非任天堂陣営が運営していたゲームショー)で、流通相手に「イースの説明」が必要で、それには当然タイトルが必要ということだった。
(ところで全くどうでもいい話なのだが「ハドソンはイースをプッシュしていきます!」系のCMのスケジュールとかが載っている流通にまくチラシがあるはずなのだが、僕は一度も見たことがない)
僕の答えは非常に簡単だった。

「イース」
「え? 完全版とか、そういうのないの?」
「ないです。イースです。イースってゲームは1と2と合わせて一本です。だからイースってタイトルでいいんです」

この頃には山根から開発の経緯や、ストーリーの設定などを詳しく聞いて知っていたのもあって、オリジナルのPC版が”Omen”(前兆)と”Final Chapter”(最終章)なんだから、2つ合わせて”Ys”でいいと主張したわけだ。
正直、青い答えだと思う。今の僕ならありえない。例えば「エターナル(笑)」とか「コンプリート(笑)」とか「フォーエバー」とか、ともかくそういうモノをつけようと考える。
Zは言った。
「じゃあさ、岩崎、スーパーイースってのはどうよ?」
「だめです。絶対にだめ。だいたいファルコムが多分オッケーしませんよ」
「営業としてはさ、2本入ってると分からないと困るんだよ」
「いや、イースでいいです」
「じゃあさ、パーフェクトイースは?」
「最初からイースは2本で完成品だからいやです」
「じゃあ、イース1&2はどう? あのさあ絶対に2本入ってると分からないとだめだからね、わかるタイトルじゃないと会議通らないよ?」
と、言われてしまっては仕方なかった。このあたりが妥協点だと思った。
「わかりました。&(Zはワンアンドツーと発音していた)はいやだから、I・II(ワン・ツー)ならどうですか?」
「じゃあそれで営業会議にかけるよ? いいね?」
「それでいいですよ」
もちろん記憶に頼って書いているので、この会話どおりのわけはないが「イース完全版」→「スーパーイース」→「パーフェクトイース」→「1&2」の順で出てきたのは間違いない。あまりに「スーパーイース」が強烈で、鮮明に覚えているのだ。
「スーパーマリオブラザース」以来「スーパー」がついたタイトルがやたら多かったのに加えて、当時、任天堂がスーパーファミコンを発表し、出すぞ、出すぞと言いはじめていた(実際出るにはあと2年かかったが)こともあって、こんなタイトルが出てきたのだろうと思うが、それにしてもスーパーイースは、あまりにひどいセンスだと思う。
営業担当の癖に、全くゲーム内容理解してなかっただろう、といいたくなる(笑)
と、こんな経過でタイトルが決まったわけだが、実はYsI・IIのタイトルはゲーム中では一度も出てこないタイトルだ。

  • オープニングでは”Ancient Ys Vanished”
  • タイトルはPC版イース1のタイトル画面で”Ancient Ys Vanished”
  • タイトルでボタン押すと、PC版イース2のタイトルでBeginning / Continue。上にAncient Ys Vanished”。
  • スタッフロールは「イース スタッフ」
  • そしてエンディングのフィーナの絵はやはり”Ancient Ys Vanished”。

ほら、どこにもイース1・2ってでないでしょ?(笑)
自分的にはイース1・2は「イース」だった。ちなみに海外版でもタイトルでもめたのだが(タイトルロゴなどは全部日本から全く変えていないといったので)、起動時に特別なイントロをつけて、そこで”Ys Book 1&2″と出すことで妥協することになった。
ついでに書くとPCエンジン版はパソコン版の全要素を入れるのを一つの目標にしていた。だからイース1のタイトルとイース2のタイトルのどちらも使っているし、同じ理由で最後のフィーナの絵はFM77AV版の反射が入るのと、MSX2版だったと思うのだが、持っている黒真珠の中で炎が動いているのの両方が入っている。
…気がついてくれた人は誰一人いないようだけど(笑)
そしてタイトルが決まったあと、Zは5月の末だったかのショーでイースのデモを出したから、なにか作ってくれるとありがたい、と話をして帰っていった。

■余談
余談中の余談だが、”Start / Continue”と書くのが凄くイヤで、頭を絞った挙句に出てきたのが”Beginning”。
“Start”と書くのが「ゲームっぽい」のがイヤだったからだが、”Beginning”は”In the Beginning of the Story”の意味で、”Continue”は”Continue to the Story”の意味でつけた(だからオープニングの最初に”In the beginning”と出る)
そしたら、以降のゲームで”Beginning”がコピーされまくって結構ガッカリだった(笑)

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