1989年3月 – 移植準備始まる

前回はコレ
この話は1988-89年頃、PCエンジン版のイースを作るとき、僕が経験した話を出来るだけ正確に記録に残すつもりで書いている。ただし、これは

1)21年前の話で、記憶違いの可能性は十分にある。
2)僕が聞いた話で、伝聞情報もある。

だから、当時の正確な記録ではない可能性はあるのは理解して欲しい。
さて本文。

イースの移植を始める前から「どんなゲームにするか?」の方針は決まっていた。
CD-Iを丸2年扱って、CDROMのメリットは容量とサウンドで、デメリットはアクセスタイムとわかっていた。
逆の書き方をするなら

  • アクセスタイムはROM並みで
  • オーディオがCDDAで
  • ROMではあり得ない大容量を感じられる

と、これを満たせば、買った人は、とてもハッピーになれるわけだ。

この喜びを買って5分で味わってもらうために、ともかくオープニングで派手なアニメをやるのは決めていた。
(ファルコムのマニュアルに載っている)イースの歴史を語って、音楽がCD Digital Audio(CDDA)でナレーションが入れば、絶対に「買って良かった!」と思ってもらえると考えていた。

また、イースは曲が有名なので(今でも僕は大好きだ)曲は出来るだけCDDDAにする。CDDAにするとゲームを動かしながらデータを読むことが不可能になるから、データは圧縮して出来るだけ詰め込む。
ROMカードのゲームを取っ替えひっかえするイメージで作ればいい。

だいたいCDドライブはアクセスが恐ろしく遅いから、出来るだけ読まないに越したことはない(シークすると最小ペナルティですら0.1秒強。端から端までヘッドが動くとなんと3秒以上と書かれていた。アクセス=悪なのは明白だった)

グラフィックはPCエンジンは横320ドットモードがあり、色数はPCより多い(当時は多かった(笑))から、マップは640×400のPC88/98/FM77から完全移植する。スムーススクロールにして(PCはキャラクタ単位だった)、色数を増して、画面をゴージャスにする。
…と、移植をする前に枠組みは出来ていた。
また、スタッフも大半は決まっていた。

中本さんに「プログラマは誰が欲しい?」と聞かれ、答えたのがプログラマはアルファシステムのHaHi君(凄ノ王で組んだ)。
ともかくおっそろしく腕の立つ男で、僕の知る限りでベスト職人プログラマ3人のうちの1人に入る。凄ノ王もイースも天外2もエメラルドドラゴンも、彼なしでは絶対に出来なかったと断言できる。

自分はコード屋(プログラマ)として一流だったことなど一度もない。仮に自分に名声があるとしたら、その90%まではHaHi君のおかげだ。

サブプログラマはいらないと答えた(もしつけたいならハドソンの若手でいいよといった)。二人で作るほうがサブがいるより楽というのが僕の考えだった(凄ノ王で結構もてあました)。
グラフィックは当時ハドソンで天外魔境1を作っていた進藤君と角谷君と久保君が欲しい…といったら「ハドソンのゲームを作らせないつもりか」とか言われ、妥協して(笑)進藤君とあと何人かが決まった。
と、ここまでは簡単だったが、問題はいくつかあった…

LinkedIn にシェア
Pocket

2件のコメント

  • AGENT: Mozilla/5.0 (Windows; U; Windows NT 5.1; ja; rv:1.9.1.8) Gecko/20100202 Firefox/3.5.8
    これは期待してしまう

  • AGENT: Mozilla/5.0 (Windows; U; Windows NT 5.1; en-US) AppleWebKit/532.5 (KHTML, like Gecko) Chrome/4.1.249.1036 Safari/532.5
    資料として残しておきたかったので。
    いったん公開すれば残るなと思いましたので、書くことにしました。

コメントは現在停止中です。