HUDSONのコト

ハドソンがファミコンに参入したとき(オリジナル) ゲーム史

ハドソンがファミコンに参入したとき(オリジナル)

以前にTwitterでちょっと書いた、ハドソンがファミコンのサードパーティに参加する前後の事情について。 これは1982-83前後のコンソールゲーム業界がまさに始まろうとしていた前後の話だ。 当時ハドソンにいた、野沢さんに詳しく聞いたところ、30年前の記憶なのでうろ覚えなところがあるけど、…
PCエンジンの開発システム(補足2) PCエンジン

PCエンジンの開発システム(補足2)

質問に答えをコメントしてたんだけど、それだと読みづらいし、書きたいことも書ききれないので、一つの記事になると思うものをまとめておくことにした。 20年も前のゲームマシンの開発環境のこと書いて、思い出すのに一生懸命になるとは想像もしてなかったw なお、コメントされた方の名前は今回は省略させていただくこ…
PCエンジンの開発システム(DF) PCエンジン

PCエンジンの開発システム(DF)

というわけで、前のアーティクルで書いたとおり、今回はDFの話。 ところで、ちょっと聞かれたのでここに載せておくけれど、ハドソン全科の小冊子の表紙はこれ。 どこにも月刊PCエンジンとは書いていないのだけど、どうして小学館と思ったかというとレイアウトが徳間のPCエンジンファンでも角川のマル勝PCエンジン…
PCエンジンの開発システム(写真) PCエンジン

PCエンジンの開発システム(写真)

僕の古くからの知り合いに飛田さんという人がいる。 今でもハドソンにいる人で、有名なところでは桃太郎伝説などのさくま先生の一連のシリーズを手がけている天才肌のプログラマーなんだけど、この人が約20年前に発売された『月間PCエンジン』の付録の『ハドソン全科』(1990年初頭と思われる)がたまたま発掘され…
PCエンジンの開発環境(CDROM篇) PCエンジン

PCエンジンの開発環境(CDROM篇)

PCエンジンの牧歌的なROM開発の時代は1988年の年末に終わり(もちろん開発は1988年には始まっていたので開発者にとっては88年半ばからだけど)、CDROM時代に入っていく。 では、そのCDROMの開発機はどうなっていたかというと上のとおり。Hu7とは別に、もう一個Hu7CDという新しいパッケー…
PCエンジンの開発環境(ROM篇) PCエンジン

PCエンジンの開発環境(ROM篇)

1988-1994年の間、PCエンジンのゲームを作るために、どんな環境で仕事をしていたのかということを記録に残しておくため、PCエンジンのソフトの開発システムについての記憶に残っている限りの覚書。 今の自分ですら忘れていて、やばいことが分かったので、一生懸命歴史的な資料として残すためシリー…
PCエンジン版R-TYPEのコト PCエンジン

PCエンジン版R-TYPEのコト

iphone版のR-TYPEをプレイして血管がキレそうになったとき思い出したPCエンジン版の話。忘れないうちにツイートしたのに付け加えてブログ化。 PCエンジン版のR-TYPE1/2は、当時のハドソンのエースプログラマの1人、和泉さんが率いていたチームが移植している。このチームは…
1989年 – ハドソンで作られていたゲームについて HUDSONのコト

1989年 – ハドソンで作られていたゲームについて

前回はコレ 過去記事の集合体はコレ この話は1988-89年頃、PCエンジン版のイースを作るとき、僕が経験した話を出来るだけ正確に記録に残すつもりで書いている。ただし、これは 1)21年前の話で、記憶違いの可能性は十分にある。 2)僕が体験したり思ったりしたことを書くようにしているが、伝聞…
1988年 – ハドソンで作られていたゲームについて HUDSONのコト

1988年 – ハドソンで作られていたゲームについて

前回はコレ 過去記事の集合体はコレ この話は1988-89年頃、PCエンジン版のイースを作るとき、僕が経験した話を出来るだけ正確に記録に残すつもりで書いている。ただし、これは 1)21年前の話で、記憶違いの可能性は十分にある。 2)僕が体験したり思ったりしたことを書くようにしているが、伝聞…
1988-90年前半、ハドソンの風景(2) HUDSONのコト

1988-90年前半、ハドソンの風景(2)

前回はコレ 過去記事の集合体はコレ この話は1988-89年頃、PCエンジン版のイースを作るとき、僕が経験した話を出来るだけ正確に記録に残すつもりで書いている。ただし、これは 1)21年前の話で、記憶違いの可能性は十分にある。 2)僕が体験したり思ったりしたことを書くようにしているが、伝聞…