イース通史(番外):30年前の資料が出てきた

ひょんなことから元スタッフから『イースⅠ・Ⅱ』を開発していたときの資料をもらったので、メモがてらも兼ねて、何点か公開しておきたい。
『イースⅠ・Ⅱ』のタイトルデモ用の管理してる紙。
イースビジュアルと書かれていることでわかる通り、当時、僕らはビジュアルという名前で呼んでいたわけだ。
一番左がファイル名。ファイル名は8文字なのでO1_B_XX とかこんな名前がついていて、その中身を右側に説明している。
ファイルではなく紙の理由は当時はDOSマシンでマルチウィンドウではないので、同時に見られないから紙の方が便利だったのだ。
なお、この紙にはフィーナの絵は含まれていない。これは320ドットモードの別扱いだったからだ。
さらに一つ右の使用キャラ数は、背景キャラ換算で何キャラクタで出来ているか。PCエンジンはスプライトは16×16が最低単位なので、1スプライトは背景キャラ4個になる。
なんせ1キャラ単位の精度で管理しなければとても入らない世界だったので、これぐらいの管理は必須だった。
1989/9/28の日付は、ビジュアルがスタッフロールを除いてオールインでFIXした日だからだ。
このあとも進藤の野郎はまだフィーナの髪をいじっていた気がするが、まあ、もう30年も前の話なので許しておこうw
メモに書かれている「12.2B」は12.2バンクという意味。。
1バンク=256背景キャラクタ=8キロバイト。この256単位はPCエンジンのキャラクタの管理単位になるので非常に重要だ。
それでタイトルデモはFEENAと最初に出るテキストを除いて、キャラクタで12.2×8=97.6キロバイトあり、これにコード用の8キロバイトの領域、さらにBATと呼ばれるもの(絵を表示するための道具)、フィーナのタイトルの絵などを合わせて、まあ140キロバイト程度。
ADPCM+メインメモリで128キロバイトなので、まだまだ余裕だなといえるぐらいには入ったわけだ。
これはカットインする演出用のファイル。山口もとが管理していたので、山口もとのハンコがつかれている。
鐘つき堂のダレスがないのだけど、多分、別ファイルではなく、マリアのファイルにまとめていれていた…のだろうと思う。鐘つき堂はメモリに余裕があるところだったし。
この紙が1989年10月12日の日付でビジュアルと日付が違うのはだいたい理由はわかる。
いわゆるコードフリーズでデバッグに入った日のあたりなので、最終的にデータの整理をした日なのだろう。
全く物持ちのいいスタッフがいたおかげで、こんなものを公開できるとは想像もしていなかった。
あと、他にも何点かあるのだけど、また機会を見て公開したい。
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