80年代末に作り手になった人間のRPG史観

なぜかはわからない。
ともかく80年代初頭にアメリカからやってきたRPGという概念を、日本のゲームの作り手は80年代終わり~90年代初頭にプレイヤーを主人公とする基本的には一本道の物語を語るゲームと咀嚼して、いわゆるJRPGと言われるものを確立した。これは自分がプロになった80年代末から90年代初頭にみんなが目指していたメジャーな流れ(自分ももちろんその一人だった)なので、少なくとも大ずれではないと思う。
だから僕のJRPGの定義は「一本のストーリーをRPGメカニクスを使って、プレイヤーに語るゲーム」だ。

ところでJRPGという単語は、揶揄する言葉として登場したわけだけど、まあ「日本のRPGによくある要素を色濃く持った」という意味を説明するうえではとても便利な単語なので、この文章では肯定的な意味で使っておきたい。

ではJRPGの方向を決定づけた作品はなんですか?

つまりRPGに「J」をつけたのは誰か(何か)?
と、質問すると、僕はその答えは堀井雄二さんで、そしてゴール、つまりJRPGを決定的な形で完成したのは『ファイナルファンタジーⅦ』(1997)というのが持論なのだけど、この記事ではそのロジックについて書いていきたい。

日本にRPGというピッカピカに新しいゲームの概念が輸入されたのは82年ごろ。

これを咀嚼して、日本では83年の初頭から「RPGっぽいゲーム」が商業・アマチュアを問わずに登場を始めるのだけど、これが一般のユーザーも面白いと感じるレベルのゲームになりはじめるのが、83年末から84年。
『ぱのらま島奇譚』、『ダンジョン!』、『ザ・ブラックオニキス』、『ドルアーガの塔』、『ザナドゥ』、『夢幻の心臓』、『ハイドライド』などなどの作品群として結実する。

ここで『ポイポス』だの『クフ王』だの『カレイジアスペルセウス』だの他にもいろいろあるだろうといった話はわかってるけど、面倒くさいので端折っていると思っておいていただきたい。

中でも重要なのが『ドルアーガの塔』
なぜなら、ここを基点として84年末の『ハイドライド』でアクションRPGが登場するからだ。

『ドルアーガの塔』は今の感覚で言えばアクションもしくはアクションアドベンチャで、RPGでは全くないのだけど、当時はいわゆるファンタジーと呼ばれる世界観そのものになじみがなくファンタジーと呼ばれる世界観をユーザーに広めることそのものが大事業だったし、そもそもそういうゲームがなかったのもあり、今よりはるかにRPGよりに感じられていた。

ところで、ファンタジーとSFはまぜこぜになって語られていた。また当時、ファンタジーの世界観は全く日本には定着しておらず、どちらかというと萩尾望都・大島弓子・竹宮恵子・和田慎二・中山星香・山岸涼子といった少女漫画家が一番ファンタジーというものは取り上げていたというのは、意識するべきだと思っている。

と、こんな風に84-86にかけて、作り手が様々な答案を出している中で、特筆すべきなのは間違いなく『ドラゴンクエスト』
これがどうして特筆すべきなのかというと、オリジナリティとかそういう理由では全くなく、当時もっとも大きな単一のゲームプラットフォームだったファミコンで発売され、PCゲームで主流になっていたRPGをファミコンに紹介するうえで決定的な役割を果たすからだ。
86年の『ドラゴンクエスト』と当時RPG扱いされることが多かった『ゼルダの伝説』の2作品でファミコンにRPGが紹介されたときは、PCゲームを遊ぶマニアのものだったRPGが一般層に向けて紹介された瞬間でもあるのだから、どう見たって超大事と言っていいと思う。

このゼルダとドラクエでRPGが紹介されるとき、一緒にアドベンチャもファミコンに紹介されている。当時の雑誌を見ると、RPGとはどんなゲームなのか、アドベンチャとはどんなゲームなのか、どんな風に楽しむかと言った記事が掲載されている。また1986には『ハイドライド』、『ワルキューレの冒険』、『魔鐘』、『マドゥーラの翼』、『キングスナイト』などなど複数のゲームがアクションRPGとして発売されている。これらのタイトルには、現在では「こりゃあRPGじゃないだろ?」というものも多い。
書き忘れていたので追記。
この時の紹介はもちろん『ゼルダ』は大変に大きな扱いだったが、『ドラゴンクエスト』は(比較すれば)小さな扱いだった。当時、雑誌の人間は遊んで面白いと思いながらも、ターゲットとなっている小中学生に売れるという自信はなかったのである。

そして翌年の87年、堀井雄二さんは「プレイヤーを主人公とする一本道の物語を楽しむゲーム」という形を『ドラクエⅡ』でファミコンユーザーに決定的な形でプレゼンテーションして、ファミコン世界にRPGの大ブームがやってくる。
これとほぼ時を同じくして、アクションRPG(パーティにならない。難易度があるのでどうしても解法が一本道に近づく)の流行から、ストーリーを主役にするゲームが並行して登場(『イース』あたりがその典型と考えていいと思う)。

そして出来上がったものはなんだったのかというと、語り方の手法は『ULTIMA IV』だけど中身は少年漫画って代物だ。

かくして環境ストーリーテリングによる世界探索(『ULTIMA IV』/PC/1985)や、世界に散らばっている様々な依頼=クエストを楽しむ世界探索型のゲーム(『Might & Magic』/PC/1984)といった、のちにオープンワールドに橋がかかっていくゲームの系列は背景に押しやられ「J」がついたRPGが出来上がった…というのが、僕の日本でのRPGの解釈の歴史、すなわちJRPGの初期の物語になる。

ところでストーリーを語るのに必要な道具はテキストが最小限で、堀井雄二さんはこれとサイレント映画の技法を組み合わせて、楽々と話を語ったけれど、ゲームはテレビに映る。
作り手が作りたいのは映画のようなゲーム、言い換えるなら映像ドラマの技法を使ったゲームだった。
だから洋の東西を問わず映画みたいな演出のゲームは、とんでもなく初期からあって、例えばAPPLEIIの『KARATEKA』(1984/ブローダーボンド)は「史上初の映画的な演出が取り入れられたゲーム」として名前を残しているし、アーケードでレーザーディスクを使った『Dragon’s Lair』(1983)は初めてムービーを使ったゲームとして、やっぱり歴史に名前を残している。

(高価な)レーザディスクでも使えればアニメは出来るけど、現実のPCやゲームマシンはほぼ2D画像しか扱えず、容量は少ないのだから、映画のようなゲームは夢のまた夢。
せいぜいどっかの山根がオープニングアニメをディスク1枚使って作るぐらいだ。

ここにCDROMが登場してアニメと音声が手に入る

でもまだゲームとアニメは分離している。ひっつけたくてもひっつけられない。まだゲームは2Dで、そこにはカメラアングルがないのだ。
ここで、ゲームとアニメ(ムービー)を引っ付けて、ゲームの全域で映像ドラマの技法が使えることを証明したのが『FFⅦ』(1997/PS1)。

画面構成はどう考えても1992年の『アローン・イン・ザ・ダーク』に影響を受けたのだろうと思うけれど(開発時期から考えて『バイオハザード』をゲームデザイン段階から参考に出来たとはちょっと思えない)、なんにしてもムービーとゲームをシームレスに繋ぐ決定的なプレゼンテーションを行い、映像メディアの技法でストーリーを語るゲームが完成する。
映像メディアで使えるあらゆる技法が(予算を無視すれば)使えるようになったのだから、ここでJRPGは完成したことになる。

JRPGとバカにする人もいるが『FFⅦ』が決定的な形で確立した「ゲームとムービーをつなぐ方法」は、スパイダーマンだろうがGOWだろうがあらゆるゲームが使う常識になっているのだから、どんだけ偉いかわかる。
当時、どれだけ作りたくても、映画のようなゲームを作れなかった人間として、メモ書きとして残しておくのである。

ところで、もう一つ書いておきたいのだけど、83-86の日本のRPGのプレイヤーキャラクタの年齢は不詳だったけれど、あまり若いという感じはしなかった。
そしてたいていは冒険者、端的に書けば風来坊であることが多かった。これは本場物のRPGから引き継がれた伝統だ。
だから堀井雄二さんの習作といえる『ドラクエ1』の主人公も「ロトの血を引く子孫」と言われるけれど、年齢は不詳だし、そして結構ちゃんと歳を食ってるように思える。
これがガンッと年齢が下げられるのが『ドラクエⅡ』で、ストーリーからなにから、明らかにジュブナイル、今でいうラノベの領域になる。
これは当時のファミコンの中心ユーザーの小中学生に狙いを絞った&ジャンプでゲームの紹介が展開されたのが理由だろう。
これは『ドラクエⅢ』でも踏襲され、シリーズの一つの特徴である「少年がなんらかの理由で旅立ち、成長して、世界の危機を救う」という構造を完成する(シリーズでいろいろといじるけれど、Xを除いて、大きくブレるたことはない)。
そしてアーケードメーカー系から登場した『ドラクエⅡフォロワー』は、もちろんファミコンでリリースされるゲームだから、これも踏襲する。
結果として、JRPGの揶揄される理由の一つである主人公およびその周辺の年齢が10代というのがここに定着し、日本のファンタジー世界は10代の少年が活躍する世界となった…と僕は思っている。

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2件のコメント

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