イースⅠ・Ⅱ通史(17):イースⅢの開発と終了、そして一つの推測

橋本さんはPC88でのスクロールに拘っていたのは、今まででわかるけれど、一つの到達点が『イースⅢ』の多重スクロールだ。

でも、どうしてそんなに多重スクロールにあこがれたのか?

80年代はアーケードがゲームの王様で、家庭用より遥かにパワフルだったけれど、大きな違いの一つが多重スクロールだった。
82年ぐらいまではアーケードでも多重スクロールはほぼなかったのだけど、82年の後半あたりからボツボツ並び始め、83年ごろになると多重スクロール(BG面2枚+ラスター)ぐらいは当たり前になっていく。
家庭用でもそれに憧れて、ラスタースクロールなどを駆使して多重スクロールっぽく見せるのが流行するわけだ。

多重スクロールの印象的な使い方をした最初期の作品『ムーンパトロール』

そして橋本さんももちろん多重スクロールに対するあこがれがあり『イースⅢ』を作る。
この技術の基本は『イースⅡ』の鐘つき堂からやってきているのは確かだけど、鐘つき堂には敵はいないし、スクロールも単純だ。
PC88で全方位・多重スクロールというのは大きな技術的な挑戦だったのは間違いない。
それを実現するために橋本さんは表示画面のかなりの領域をテキストマスクで覆って作業領域にして多重スクロールを実現するわけだけど、技術的なチャレンジはともかく制約が多くて、作りにくい物だったようだ。

■オリジナルスタッフの証言
ワンダラーズだと背景チップが、前景と後景2つある。だがPC88のメモリに載せるのは難しい。そこで橋本さんは、後景のチップを横半分にして搭載した。

横半分というのは16×8ドットだった背景のチップの後ろ側を8×8ドットで扱うようにしたわけだ。

■オリジナルスタッフの証言
3重スクロールのマップグラフィックバンク内データの持ち方が非常に特殊で最奥、中間、最前ごとの分類判定にキャラ1個(16x8dot)を消費しなければならず、勿体無いと常々言っていた記憶がありました。

正直、バランス悪くなっていると思ってしまうし、それにこの手のゲームはスプライトとスムーズスクロールがあるコンソールの方が絶対的に強いのに、それをPCでやってもなあ…とか思ってしまうのだけど、当時の作者たちの拘るポイントでもあってわけで、しょうがないかなと思う。
というわけで、多重スクロールの次に、なぜ横スクロールアクションになったかだけど、これには2つの話がある。

■オリジナルスタッフの証言
橋本さんが、技術力を生かして横スクロールアクションゲームを作りたかった、というのが始まりだったかと。たぶん、「悪魔城ドラキュラ」とかの影響でしょう。

■オリジナルスタッフの証言
開発中に「リンクの冒険」の話が多々出ていたと記憶していますので、色々とフューチャーしていたかと思われます。

ただ、僕が飲み会で山根をはじめとするオリジナルスタッフに聞いた時は、橋本さんは『リンクの冒険』みたいなゲームを作りたかったんですという話を複数から聞いたので、ここでは『リンク』の方が本当じゃないかなと思っておく。

では、いつごろから開発は始まったか?

これが極めて曖昧で、しかも誰も覚えていなくて困ってしまうのだけど、ある程度推測はつく。
まず古代兄妹が辞めたのが『イースⅡ』の移植終了ぐらいから『イースⅢ』の開発初めあたり。
MSX2版の発売日が1988年7月15日で、それが移植版の最後。
これらから古代兄妹は88年7月一杯で辞めたと考えるのが妥当だと思われる。

とすると『イースⅢ』の開発は7月に始まっていたのではないか? と想像できる。

ではどういうスタッフで始まったのか?
これは確認出来た限りでは以下。

役割 名前
プログラム 橋本さん
シナリオ 宮崎さん
グラフィック 横田幸次・松室剛・都築さん
モンスター 佐藤善美・横田さん・松室さん
サウンド 石川さん
マップ 桶谷さん・倉田さん・都築さん・横田さん

  • 横田幸次
    日本テレネットから転職して『イースⅢ』のマップの大半を作ることになる
  • 松室剛
    『イースⅢ』、『ダイナソア』などのスタッフ。
  • 佐藤善美
    『イースⅢ』、『ダイナソア』などのスタッフ

今までほとんどスタッフに関わっていない人が沢山入ってきていが、このスタッフの中で重要なのが横田さん。
『イースⅢ』の開発のかなりの部分に携わり、非常に貴重な証言をいただいた。

■横田さんの証言
私は途中参加で開発立ち上がりの頃の状況は分からないのですが最初はイースとは関係ないアクションゲームを作ろうとしていたと聞いた記憶があります。
ですが、結局はアドルで試作を初めてマップも色々作って行くうちに「アドルの大冒険(仮)」となり開発終盤になって「ワンダラーズ~になったからタイトルロゴをマップに表示できるように作って」と言われ苦労して容量内に詰め込みました。

“Wanderers from Ys”のタイトル

というわけで、最初に上の「ワンダラーズ」のロゴを苦労しながら横田さんが入れる。これは当時の橋本エンジンの構造だとチップとして持たなければならないルールがあるので、ものすごく大変だったはずだ。
そして、このあと『イースⅢ』という名前に変化するのだけど、それが以下の証言。

■横田さんの証言
当時、橋本さんや桶谷さんは”Ys”及び”Ⅲ”の表記は入れたくないとの話をしていた。
だからLOGIN等雑誌発表後はまだYs-Ⅲと明示されていませんでした。
その後営業的な理由かどうか分かりませんがYs-Ⅲとの表記が公式にされ、店頭デモにもテキスト文字で入れています。
その頃既に橋本さんは退職していたかもしれません。

と、タイトル関係でマスター近くまで話が進んでしまった。

88年夏に話を戻すと、この段階では、まだ横田さんは入っておらず、倉田さんと都築さんが『イースⅢ』のマップに携わっているのだけど、倉田さんがアルバイトを辞める。この時までアルバイトだったのかと思ったが、アルバイトだったのだ。

■オリジナルスタッフの証言
倉田くんは3の初期の頃にマップデータの圧縮解凍ルーチン作ってそこでさようなら。
倉田くんはもう立川から引っ越してて、最後の給料貰いに行ったら千円ちょっとで、電車賃で赤字だったって、あとでぼやいていた。

■倉田さんの証言
イースⅢはほとんど絡んで無いので何も分からないよ。マップエディタは桶谷さんじゃ無いの?
マップの圧縮解凍は作ったけど実際に使われてるかどうかは知らない。

これは「ほとんど絡んでいない」という言葉から察するに88年7月末もしくは8月末だったと思われる。またこの開発の間、橋本さんと会社の関係がどんどん悪くなっていくのを如実に感じる証言もある。

■オリジナルスタッフの証言
橋本さんが社長に呼び出されるとスタッフがピリピリした感じになり、そして橋本さんが憮然とした顔で帰ってくると、シーンとしたまま仕事を続ける。そんな感じでした。

そして次に都築さんが辞める。

■都築さんの証言
イースの外伝だったか、物語関係は全く知りません。イースⅢと聞いてただけです。背景をちょっと手伝ったあたりで、私は退職したので。アドルって、身長24ドット(3キャラ)でしたっけ?どなたが担当してたのでしょうか?私でしたかね?

この証言ではちょっと手伝ったということになっているが、他のスタッフの証言によると『イースⅢ』のマップのうち、採掘場・遺跡・溶岩・山脈・城(バレンスタイン城)はほぼ出来上がっていたとのことなので、多分これは都築さんの記憶違い。
『イースⅢ』のマップの数を数えると、数え方にもよるが10個ぐらい。そのうち6個ぐらいまでやっていたのだから、半分以上は作業が終わっていたと考えていいだろう。そう考えると、都築さんは年末近くまで仕事をして辞めたということなのだと思うし、それを裏付ける証言もある。

そして都築さんが辞めたあと、横田さんがアートのメインになって『イースⅢ』を完成させていくことになる。

ではこの時、橋本さんと宮崎さんは会社に残るつもりがあったのか? その答えはノーだと思う。

というのも『イースⅠ・Ⅱ』を作り始めたとき「橋本さんと宮崎さんはワンダラーズって横スクロールのイースの外伝を作っていて、ワンダラーズを作る前からワンダラーズが終わったら辞めると言っていた」と、山根から聞いたので、もうこの段階では残る気は全くなかったのだろうと思う(またこれでわかる通り、山根は橋本さん・宮崎さんより先に辞めている)。

ただ残念ながら、いつ何を作っていたということは、正直、ほとんどわからなかったのだけど、いくつかの山根の記憶と証言から「これが正しいのではないか?」という、少々驚く推論が入ったスケジュールが想定できる。

第一に山根が「都築さんは年末に辞めた」と言っていたこと。
山根の記憶だけなら信ぴょう性が薄いのだけど、他の証言からわかった都築さんがやった仕事の量から見ると年末ぐらいまでかかったろうと思う。

次にこれまた山根なのだけど、僕は89年の2月末~3月初頭に山根と会う。
この時、山根はもうファルコムを辞めていた。
そして山根は、そのとき『イースⅢ』のラスボス、ガルバラン以外のほぼ全部を見ていて、僕に最後のイベントでの「エレナのスカートがこーバタバタとはためくんですよ、かっこいいんですよ!」と力説していた。
それで僕は山根から聞いていた『イースⅢ』をプレイして、演出をアレンジした形で『Ⅰ・Ⅱ』に入れる…というのは歴史的事実だ。

このエレナのスカートがはためくのである。

つまり2月末あたりには『イースⅢ』は、ほぼ完成していたことになる。

そして橋本さんが立ち上げたクインテットがスタートしたのは1989年4月。
橋本さんは3月末には辞めていたはず。
ますます2-3月には『イースⅢ』は完成していたのではないか思える。
ここで、この節の最初の方で取り上げた横田さんの証言に戻る。

■横田さんの証言
その後営業的な理由かどうか分かりませんがYs-Ⅲとの表記が公式にされ、店頭デモにもテキスト文字で入れています。その頃既に橋本さんは退職していたかもしれません。

89年の2~3月に『イースⅢ』は『Ys-Ⅲ』のタイトルなしで完成し”Wanderers From  Ys”の形で、橋本さんはマスターを出して退職したのではないか?

また。当時の雑誌展開からも上の推測は強化される。

『イース』の時の証言から、ファルコムの広告展開はマスターアップのメドが立ってから行われ、発売日の3ヶ月前から雑誌に広告を入れていたのはわかっている。
そして『イースⅢ』は仮題をつけて、89年春予定とアナウンスされ、パソコン雑誌では88年12月号(11月発売)に第一報が載り、その後89年2月号まで3号にわたって紹介されていたのが、突然記事が止まる。
そして次に記事が載ったのは1989年6月で『イースⅢ』のPC88版の発売日は1989年7月21日
当時のファルコムのルールからは外れすぎている。

まとめると、以下の推測が成り立ち、しかもこれは事実だというのが僕の意見だ。

  1. 89年2~3月に『イースⅢ』はワンダラーズフロムイースの形で一度完成。
    2月に辞めた山根がほぼ完成したゲームを見ていること、さらにイースチームはゲームをストーリーの頭から作る癖があったので合理的な推測だと思う。
  2. 橋本さん・宮崎さんが辞職。
    クインテットを発足させる。
  3. 『イースⅢ』はいったん延期される。
  4. 『Ys-Ⅲ』の文字を入れ、7月に発売。

では3の時に何をやっていたのか?
これはあくまで全く僕の想像でしかないが、もともとの『イースⅢ』にはスタッフロールが入っていたのではなかろうか? そしてそれが削除され”Ys-Ⅲ”が入って発売されたのではないか?

■オリジナルスタッフの証言
ワンダラーズフロムイース(1989年〜)以降、(社長命令で)スタッフのクレジットが載せられなくなる。引抜き・卒業対策にならない事が分かったのか(笑)英雄伝説Ⅱ(〜1992年)からまた載るようになった。

僕はそう思っているのである。

LinkedIn にシェア
Pocket

4件のコメント

  • はじめまして。ワンダラーズ好きの人間です。イースⅢで悪魔城ドラキュラを思わせる部分は階段ですね。
    悪魔城ファンの間では8Eyesなどの類似した階段をもつゲームと一緒に話題になることもあります。

  • スタッフロールの件ですが英伝2より前の91年のブランディッシュにスタッフロールがありますので オリジナルスタッフの記憶違いじゃないかと思われます(英伝2のが開発先に始まった可能性もあるけど) 
    ぽっぷるメイルにもあります(当時ぽっぷるメイル88版売れたら 英伝288版も出すよみたいなこと言ってたはず)

    • いくつか可能性はありまして
      1)記憶違い
      2)自分がかかわったところがそこだった。
      3)開発する順番。
      ぶっちゃけ、どれかはわからないでしょうね。

  • ファルコムのソフトがこの後ロードモナークとか、パソコン版はほとんどPC-9801とFM-TOWNSに一気にシフトしたのって、時代もあるけどこの時の人材の流出が原因だったんでしょうか。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です