『上海』を作った人達

『上海』の難易度についての話を書いたら、さすがワタクシのお友達たち、ハンパではない経歴の持ち主の人たちばかりで、次々と驚くべき事実がわかったので、今回はそれについて書いていきたい。

まず、なにより『上海』というゲームのオリジナルの来歴自体がとんでもなく面白かったので、そこから話を始めていきたい。

元システムソフトの石川さんと話をしていたとき、オリジナルの(Activisionの)『上海』の話が出たのだけど、ではオリジナルとはなんぞやと調べてみた。

そして『上海』について検索すると、例によって信頼の全くおけない日本語版wikipediaがトップの方に出てきて「オリジナルはマッキントッシュ」と書かれていたのだけど、いくら調べてもそのソースが見つからない(ついでに書くと誰かが書き直した。だがPLATOだというソースはどこにもないので、なんだかなあと思ったが)。

Activisionのゲームだから英語で検索すりゃあいいだろうと調べると…やっぱり英語のwikipediaが出てきて、そこにはどこにも最初がマックだなんて書いてないが、やっぱり何がオリジナルなのかはよくわからなかった。
ただ、ここで作者、“Brodie Lockard”さんの名前がわかる。
名前が分かると、海外のゲームはたいていちゃんと製作者が様々な形で記述されているので、一気に歴史を知ることが出来る。

ところでどうでもいい話だがgoogleにしろbingにしろ英語で検索しても、英語をわざわざ日本語に直して日本語で見つかるものを上に出してくる。これを防ぐために、あらゆる単語、例えばshanghaiを”shanghai”とダブルクオートでくくらねばならず、本当に余計なお世話だと思ってしまう。

というわけで、調べて分かったのが、以下。

作者のBrodie Lockardさんは、スタンフォード大学に在学中に事故にあい、首から下が麻痺してしまう。だが、彼はなおもコンピュータの学業を続ける。
そして1981年にPLATO用に”Mah-jongg”というゲームをリリースする。
数百年前に中国で遊ばれていたという、特定の形に牌を積んで取り除いていくというゲーム(『上海』で使われた形は”turtle”、つまり亀と呼ばれていたということだ)。
これが『上海』の原型になるゲームだ。名前こそ違うが、ゲームは全く同じ。

PLATOのエミュレータで動いている”Mah-jongg”

これは“The Friendly Orange Glow”という、PLATOについて書いた本のウェブ版のページに使われていた画像。世界中を探し回って、この1枚しか見つからなかったのだけどエミュレータ上で動かした”Mah-jangg”の画像だ。高さはこんな表現だったんだなと思ってしまう。
興味を持ってptermで動かそうとしたんだけど、うまくできなかった。クソまったく。
なお、 下のリンクはその本のkindle版。メチャクチャ面白いよ。

Amazon | The Friendly Orange Glow
The Friendly Orange Glow

ところでPLATOは1970年代後半に作られた教育用のコンピュータ(不正確なのだが、まあ詳しくは本でも読んでほしい)で、当時としては非常に高解像度なグラフィック(512×512)と、さらに今のインターネットのサービスに繋がる電子メールなどの様々なサービスを持っていた。

そして、教育用で高校生と大学生に使わせていたこともあり、PLATOは実はウィザードリィ・ウルティマなど、初期のコンピュータゲーム、特にRPGのゆりかごになっているのが、今ではわかっているのだけど、なんと『上海』もその1つだったわけだ。
この原型になるゲームはPLATO世界で大ヒットし、CDC(PLATOを作り、提供していた会社)が当時なので時間貸しで有料で提供している。だから実は『上海』が最初に商用化されたのは、”Mah-jangg”という名前でPLATO上ということになる。

それはともかくとして、ここで話は当時のActivisionのプロデューサー”Brad Fregger”さんに移る。

Activisionに勤めるBradに1985年6月のある日「Brodieは優れたプログラマだから会っておけ」という話が友達からやってくる。
で、会って、彼は「なんかゲーム出来たら教えてよ」と伝える。

それから数ヶ月経って、Brodieから「ゲームが出来たから興味があるから見ないか?」という話がやってくる。
それがマッキントッシュに移植された『上海』。
つまりBrodie自身がマックに移植して見せたわけだ。

これをプレイしたBradは「いける」と思うのだけど、もちろん1人ではわからない。
だからテストで周辺の人にプレイさせると全員ハマる。
「これはいける!」ということで、発売が決まる。
この時、まだタイトルは決まっておらず、しばらくして『上海』と決まる(タイトルが決まるまでの流れは、Bradのブログに詳しく書かれている)。

これを数カ月かけて他機種(Amiga, Atari ST, Atari 8-bit family, Commodore 64, IBM PC, Macintosh, Apple IIGS, Master Systemなど)に移植して、(どうやら)同時に発売された、というのが流れだ。

つまり『上海』のオリジナルはPLATOで動いていたゲームで、これが最初にPCに移植されたのはマッキントッシュ。発売はどうやら全機種同時らしい、ということだ。

PC版『上海』のボックスアート

こうして出来上がった『上海』はとんでもなく大ヒットして、日本のPCにも移植されることになる。
その時、移植したのはシステムソフト。

これは後で出てくる石川さんによると「社長がマッキントッシュが大好きで、マック版でみんなドはまりしたから、移植しようということになりました」ということなので、ハマって移植する権利を交渉したということらしい。
そして、ここから先が前回に書いたクリア保証の話になっていく。

さて。

前回のブログをfacebookにポストしたところ、当時、システムソフトに勤めておられて、大戦略などで有名なゲームデザイナーの石川淳一さん曰く。

そういえば、パソコン版の初代『上海』は本当にランダムに積んでいるのでクリア保証がないんですよね。

と、とんでもない話を始めた。
もちろんこういう面白い話には食いついてしまう僕なので、食いついて話を聞いてみると、さらに面白い話が始まった。

システムソフトでPC-98に移植する時にいつまでもソースコードが来なくて、仕方なく目コピー的に移植作業を始めたけど、どう見ても解けるように積んでるとは思えない。で、ギリギリでソースコードが来たらやっぱり解ける保証がなかったけど、もう仕方がないので98版もそのままに。日本オリジナルの『上海2』の時にようやくそこを直せたと、この前当時のプログラマーが言ってましたw

なんてことだ! と驚いたのだけど、上海の歴史について調べた今は理解できる。
オリジナルの上海は麻雀牌を使った伝統的なソリテアゲーム”turtle”をコンピュータ上でプレイできるようにしたものだ。オリジナルと同じようになんの斟酌もせずに、空のボードにランダムに積んでいけば、当然解けない面も出てくる。
そしてそれは”turtle”シミュレータとしては正しいのだ。当時のプログラマのシミュレータ的な考え方からすると、全く驚かない。
実は同じようにMSの超有名ソフト『ソリティア』も解けない面が平気で出てくる。これまたカードのソリテアのシミュレータとしてみると正しいわけだ。

かようにゲームとシミュレータの間には微妙な点があるのだけど、それはともかくとして、クリア保証がないのが気になって『Ⅱ』でつけられたなんて、いかにもコンピュータゲーム側が出身の人間の考え方だと思ってしまう。
ついでに『上海Ⅱ』が実は日本オリジナルだったという驚くべき事実を知ってしまったのだけど、これぐらいではもったいない。というわけで石川さんにさらに聞いてみた。


  • ということは、そのロジックを考えたのは、その当時のプログラマ…まさか、たいにゃん?w
  • 石川さん
    ロジックは誰だっただろう? たいにゃんじゃなかった気がするけど、ちょっと自信がないです。大戦略シリーズで敵ユニットが最短ルートを移動するロジックを作ったのはたいにゃんですw(初代は移動経路探索をやってなかった)次に当時のプログラマーに会ったら聞いておきますw
    当人か、もしくは当時優秀な学生プログラマーだったA君のような気がする、、、

という会話があった次の日。

  • 石川さん
    モヤモヤしたのでメールで確認しましたw
    やはり組み込んだのは当時学生だったA君だそうですが、必ず取れるロジックはA君を含む4人くらいのプログラマー(たいにゃんもいたらしいw)で意見を出し合って検討したそうです。
    面の構成が1→6種に増えたので、どんな面でも取れるようにするにはとみんなでいろいろ考えたらしいです。
    ちなみにA君は私に「プログラマーの『できない』は『やりたくない』の意味ですよ」という超重要機密を教えてくれた人ですw

爆笑のオチがつくと同時に、アルファシステムの山本さんが教えてくれたクリア保証がいつできたのかもわかったわけだけど、ここで自分的に残った謎がまだあった。
それは「本当に僕が聞いた、アルファシステム版の『上海』は『上海Ⅱ』の話だったのか?」ということだ。

時系列を考えれば、間違いなくそうなのだけど、こんなのは作った人間に聞くのが一番確実だ…ということで元ハドソンのみなさんに聞いてみると、分かったことが以下。

まず最初のカード版の『上海』について。

  • 飛田さん
    誰だろ?坂本さんかな?
  • 野沢さん
    坂本さんぽいね、自信ないけど。
  • 松田君
    角谷さんがアートだったのはおぼえてる

みんな、正確なところを覚えていなくて「じゃね?」だったのだけど、松田君がアートを覚えていたので、しめた! とばかりに、当時アートだった角谷君に聞いてみると…

  • 角谷君
    プログラムは坂本さん、サブに飛澤さん、アートは自分の3人開発ですよ^^

これで初代のカード版『上海』のチームと、誰が移植したのかは確定。うふふ、持つべきものは友達だ。
では、PCエンジンCDROM版の『上海Ⅱ』はアルファシステムなのか?
これがカード版の『上海』の話を聞いているとき、なんとひょうたんからコマで判明。

  • 松浦(まんが)さん
    上海は、アルファシステムですよ。外部委託。俺が担当してた。

ここでは、松浦さんは実は初代カード版『上海』の事をすっかり忘れて、『上海Ⅱ』のことを『上海』と言っているのだけど、これでズバリ、アルファシステムが移植したのは『上海Ⅱ』だということがはっきりしたのだった。

というわけで、最終的にわかったこと。

  • 『上海』のオリジナルは1981年にPLATOで”Brodie Lockard”によって作られたゲーム
    Brodie自身は昔からあった中国のソリテアをコンピュータゲーム化したと説明していた。
  • PLATOを作ったCDCが”Mah-jangg”の商用サービスをしていた
    つまり『上海』は1980年代前半に一度商用化されている。
  • 1985年にBordie自身がマッキントッシュに移植したものがPC版『上海』のベース
  • 『上海』の名前を決めたのはActivision
  • 『上海』のオリジナルはランダム積みなので詰む面ができる可能性があった
    当時システムソフトで移植した人間はそれに気が付いたが、うまい手を思いつかず、そのままになった。
  • クリア保証を入れたのは日本オリジナルの『上海Ⅱ』
    当時最終的にやったのは当時学生プログラマだったAさん。ただ4人ぐらいで考えたらしい(たいにゃんも案を出したような記憶はあると言っていた)。
  • 大戦略シリーズで移動経路探索を作ったのはたいにゃん
  • ハドソンでカード版の『上海』を作ったのは内部
    坂本さん・飛澤さん・角谷君。サウンドが誰かは覚えていなかった。
  • 『上海Ⅱ』を移植したのはアルファシステム
    松浦さんが外注管理をしていた。

『上海Ⅱ』が日本オリジナルであること、言い換えると山本さんが読んだソースは日本のオリジナルである可能性が高い事、そして石川さんの証言から考えると「『上海』のクリア保証&難易度つきのアルゴリズムは、当時システムソフトで仕事をしていた学生プログラマのA君が考案したものである」と、断言してほぼ間違いないというのが結論なのだった。

僕が調べた『上海』の物語は、こうして終わるけれど、以下、興味がある人がさらに調べるための参考資料リンク。

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4件のコメント

  • 上海の歴史、とても興味深ったです。

    上海が出来上がるまでドラマがあって、移植で更にドラマが広がって。物を作る現場はいつも驚きに満ちています。

    まさかクリア保証が、日本版オリジナルだったとは思いませんでした。通り掛かりのナーシャ級の外国人が、智慧を貸したのかと考えてました。(何の漫画設定だ)
    とても素晴らしいです。

    ありがとうございました。

  • いつも面白い記事ありがとうございます。

    > ところでどうでもいい話だがgoogleにしろbingにしろ英語で検索しても、英語をわざわざ日本語に直して日本語で見つかるものを上に出してくる。これを防ぐために、あらゆる単語、例えばshanghaiを”shanghai”とダブルクオートでくくらねばならず、本当に余計なお世話だと思ってしまう。

    自分は検索キーワードを「shanghai -の」とします。
    理由として、日本語の記事の大半は「の」を含むからです。

    英語の公式サイトを検索する時に成功することが多いように思います。

    • なるほどっ! それは思いつかなかった!

  • ウィザードリィ開発に影響を受けたタイトルは
    PLATOの「Moria」「Oubliette」「Avatar」みたいですね。

    最初PLATOでウィザードリィが出てたのかな?ってミスリードしてしまってぐぐってみました。

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