イースⅠ・Ⅱ通史(15):そしてイースⅡは完成した

これはPCエンジン版イースⅠ・Ⅱの30周年を記念して、PC88版からイースⅣまでの自分が調べた限りの出来るだけ正しい通史を書こうとする試みだ。
シリーズ全体については、カテゴリで見て欲しい。

というわけで本文。

サルモン神殿の開発に入ったのが1987年の11月頃だったと思われるのだけど、例によって…

■ファルコム関係者の証言
サルモン神殿からディスクが切り替わるので、そろそろ「終盤へ向けて」という感じだったのかも。ただしリクエストはあっても神殿の設定等は無し(笑)とりあえず、神殿ぽいものを考える事になりました。

なんてことになるわけだ。

ところで、ゲーム的な話をすると、実はディスク2に切り替わってからの方がディスク1より長いぐらいだ。
マップ的に見てもムーンドリアの遺跡・聖域・ラスティーニ廃坑・ノルティア氷壁・バーンドブレスの5つに対して、サルモン神殿(中央・東・西)・地下水路(東・西)・鐘つき堂・中枢とまあほぼ同じ…どころか広いほどで、でボスの数に至っては、後半の方が多い。

そして、またサルモン神殿と言えば、立体交差の構造が有名だったのだけど、これについての証言が以下。

■大浦さんの証言
サルモンの神殿を作っている時に、あちこち橋を掛けた。
マスクと当たりの関係で、上か下のどちらかしか通れなかった。
橋本さんが「アドルが、1階にいるか2階にいるか分かれば、通すことができるんだけど」と言ったので、階段の出入り口に、スイッチを仕掛ける案を出した。
橋本さんが上手に立体交差処理を作ってくれた。

これを説明しておくと、立体的に見えるようには書かれているが、絵としては1枚だ。今みたいにポリゴンで実際に高さがあるわけではないので、「上」も「下」もない。これをなんとかするのが下の仕掛けだ。

まず(A)のように「2階にいるときに有効な当たり判定」、「1階にいるときに有効な当たり判定」、「いつでも有効な当たり判定」の3種類にわける。なお図ではいつでも有効は表示していない。
で、赤のスイッチの上を通るとき、(B)や(C)のように、アドルが何階にいるのかを切り替えて、それによって交差点の当たり判定の形を変える処理を行う。
現実はもうちょっといろいろあるのだけど、基本的には、これで解決することになる。

■ファルコム関係者の証言
立体交差処理の応用で、地下水路を作った。ペイント処理も加わって、凄く迷いやすい凶悪なマップになってしまった。

実際、サルモン神殿より水路の方が難易度が高いと思う。
また、水路は実によくできたマップで見えるギリギリの位置にいろいろなものが置かれていて、それが見えるか見えないかで難易度が変化するマップだ。
まあ『イースⅠ・Ⅱ』は、そういう偏執狂的なマップばかりだったので、横320モードでソックリに移植することに決めた(今ではこれは山根・大浦さん・倉田さん・桶谷さんの4人の仕業だとよーくわかっているがw)。
これがイースⅢの移植だったら、むしろPCとそっくりではなく、ゲームマシンの機能を生かした移植を狙ったと思うし、実際に『エメラルドドラゴン』ではそういう方向で移植を行った。

■大浦さんの証言
サルモンの神殿は、外も中も1つの背景ファイルだったので、後から会議室、ザバ様の部屋、女神の神殿と言われても余裕が無くて全く対応出来なかった。唯一、壁の模様1チップを替えた部屋だけは出来た。今更ながら重要な場所だけ背景ファイルを読み替えても良かったなと。

これは後に『イースⅠ・Ⅱ』では、この話を聞いていたのと、山根の希望もあり、山根の描いた王宮を進藤が直して、女神の王宮とした。以降のイースではそれが標準になったらしい。
あと、当時、個人的には会議室も凝りたかったんだけど、一度しか使わずイベントもそれほど大きなものではないのでリソースの無駄だと判断してやめた。

■ファルコム関係者の証言
鐘つき堂は、桶谷さんの案で、西部劇の夕日の決闘シーンをイメージ。

■大浦さんの証言
鐘つき堂を作っていると、橋本さんが「雲が流れているといいよね」と言って、二重スクロール処理を作ってくれた。
雲同士が重ならないようにして、多段スクロールもしてくれた。
鐘つき堂は、中も外も1つの背景ファイルだったので、貧乏な雲海しか作れなかった。(鐘つき堂は)夕日の設定だったが、それもチップ不足で実現出来なかった。
またイースが地上に降りた時、1個の土色のチップを、プログラムで敷き詰めてもらうようにお願いした。 

これまた『イースⅠ・Ⅱ』では大浦さんと桶谷さんからこの要望を聞いて夕焼けにした。

ところで『イースⅠ・Ⅱ』を作るとき、ファルコムにいってスタッフに直接いろいろインタビューしたとき、要望を聞いて、基本的にはそれらの要望は全部いれたわけだけど、まさか鐘つき堂のイベントやらマップの提案をした当の本人たちから聞いているとは想像してなかった。

■ファルコム関係者の証言
サルモン神殿は、同じ背景チップで広大なマップを作るので非常に迷いやすい。
そこで途中から、桶谷さんと倉田くんが相談し、配置で分かってもらおうと、コの字型にマップを配置(中央と左右のウイング)しました。でも、そのくらいで迷いが解消される訳はなかったですが(笑)

『イースⅠ・Ⅱ』を作るとき、どこで分割するかとか決めるの+マップのデコードが正しく実行できているかを確認するため、プリントツールを作って、全部のマップを印刷してさらに繋いでいたのだけど、サルモン神殿だけは桁の違うサイズで、こりゃあ迷うわけだと思っていた。
だけど、上の証言で決めた構造のおかげで、慣れると普通に移動できるようになる。
ちなみに貼り付けたサルモン神殿のマップはカドカワに残した資料の箱の中に入っているはずなので理論的には残っているはずなんだが…現実はどうだろうか。
で、下が実際のサルモン神殿の構造だ。

と、こんな風にサルモン神殿・水路・鐘つき堂などを作っているうちに、12月になり『ソーサリアン』のマスターがアップする。

■ファルコム関係者の証言
ソーサリアンPC88版のマスターは12月、発売の1週間か10日くらい前だったような気がします。徹夜でデバッグ作業を行い、朝方に終了した時は雪が降っていた覚えがあります。

1987年12月の東京の天気を調べたところ、12月6日と13日が雪。
『ソーサリアン』の発売日が12/20で当時の物流を考えると、12/6がマスターと考えていいだろう(それにしてもギリギリに入れていると驚いた)。
そして、これで山根と都築さんが『イースⅡ』に戻ってくる。
まず都築さんが戻ってきて、次に山根が戻ってくるという流れだったと思われる。

では都築さんが戻ってきたとき、スタッフは何をやっていたのかというと、イース中枢の作成。
神官の子孫+リリアが出てくるもので、本来置けない数のキャラクタ数を使う特殊な場所になってしまい、かなり苦労したらしい。

■ファルコム関係者の証言
中枢で、ゴーバンたちが登場するシーンは桶谷さんの案。セリフも一緒に提案されました。 

最後のところで登場するゴーバンとルタ・ジェンマのセリフは桶谷さんだったというのだから驚きだ。
もう桶谷さんの仕事は今でいうレベルデザインの領域を超えて、宮崎さんのシナリオ補佐まで食い込んでいるのがよくわかる。
で、戻ってきた都築さんは、最初にダームのバトルの背景アニメを作る。これが多分12月の終わりから1月の初めあたり。

■ファルコム関係者の証言
大浦さんが中枢を作っている辺りで、都築さんがラスボスのステージ作っていました。

そして、このあと戻ってきた山根は、都築さんと一緒にオープニング・エンディングを作り出す。

■ファルコム関係者の証言
大浦さんが中枢が終わって一段落した頃、OPとEDを山根さん、都築さんが作っていました。ラスボスステージ同様、いつの間にか出来ていました(笑)

ゲームの世界を変えたと言っていい、不滅の傑作。
PC88版のイースⅡのオープニング

このオープニングを作るとき、当時、加藤社長に「売れなかったら、ディスク代請求するぞ」と言われたなんて山根は証言したが、このあとのチームの運命を暗示しているような厳しい話だと思ってしまう(オープニングとエンディングだけにディスクを1枚使うのがド贅沢だったのは間違いない)。
また、なぜオープニングをアニメにしたのか? については、下の記事でも読んで欲しい。

と、そんな話はともかく、まず絵コンテを山根が描き、次にそれを山根と都築さんの二人で分かれて描くという分担で、オープニングとエンディングを作った。

ここでついにスプライトではないリリアが登場する。

PC88版 リリア

リリアはほぼ開発最終盤までキャラクタとしてはスプライトだったわけだ。
後の途方もない人気はともかく、本当に運だったんだなと思う。
例えば『イースⅡ』の開発進行が良くて、二人が戻る必要がなかったら用意しなかったかも知れない。
『ソーサリアン』の進行がちょっと悪かったらやっぱり作れなかったろう。
古代さんの超傑作曲 “To Make The End Of Battle” とあのオープニングのない『イースⅡ』なんて想像も出来ないが、十分にありえたことをうかがわせるタイミングだ。

制作の作業時期は『ソーサリアン』のマスターのタイミングを考える+橋本さんのプログラムが必要だったろうことを鑑みると、88年の1月もかなり進んでからだろうと想像される。
山根が『ソーサリアン』の移植作業もいろいろやっていたはずなので、もしかすると2月に近かったかもしれない。二人の分担作業は以下。

オープニング

シーン 担当者
黒真珠へ報告 山根
タイトル画面 山根
朝日を受けるダームの塔 都築
ダームの塔頂上から光 都築
光が地上から天空へ登る 都築
イースに落下する光 都築
リリアの振り向き 山根
倒れてるアドル 山根
地上からイースへ縦スクロール 都築
天空に浮かぶイース 都築
リリアとの会話 山根

なお、オープニングで出てくるイースのロゴは山根が「マジックでぐいぐいと書いて、スキャンしてクリーンアップした」と言っていたので、オープニングに出るイースのロゴは山根でほぼ間違いない。

エンディング

シーン 担当者
フィーナ、お別れです 都築
アドル、ショックを受ける 都築
リリア、アドルを待つ 山根
アドルが現れ、リリア喜ぶ 都築
アドルとリリアが対面 山根
ドギに殴られそうなアドル 都築
夕日色のリリア(色替え) 山根
集うミネア・ゼピックの人々 都築
空を見上げるアドル 都築
落日のイースの遠景 都築
ふたりの女神の台座 都築
フィーナ、封印前都築
フィーナ、石化封印 都築

と、こんな風に山根と都築さんによって、オープニングとエンディングが付け足され、ついに『イースⅡ』はマスターアップするのである。

マスターアップした時期は1988年3月のいつごろか、だったと思われる。

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4件のコメント

  • ソーサリアンが遅れても、イース2の開発が早くても
    今とは違ったゲーム業界になっていた可能性すらあるのですね…

    ゲーム史に関する色々な話をみていると、本当に何もかもが
    偶然の積み重ねで歴史が作られるのだなと実感します。

  • イースIIのOPとBGMが無ければ新海誠さんがイースIIエターナル版OPを作らなかったかもしれず、日本の映像業界も違った未来があったかもしれないと思うと、ソーサリアンのマスターアップ日は未来を決めた事象だったんですね

  • 確かPCE版より前に、MSX2版で鐘突き堂の背景が夕焼けになってて
    ハードの性能の都合でそうした、というような事でもなさそうだし
    何で変えたんだろうって思った事がありましたが
    元のイメージがそうだったんですか

    • PCエンジン版はベースにするのはPC88だと言ったので「夕方にしてくれ」と言ったんでしょうね。

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