イースⅠ・Ⅱ通史(6):PC88版イースの開発 (2/完)

このシリーズは様々な人から聞いて、どうやら(だいたい)はっきりしたパソコン版の『イース1』から、海外版PCエンジン版(TurboGrafx 16)の『イースⅠ・Ⅱ』までの通史として、出来るだけ当時の事情なども織り込みつつ、書いていこうというシリーズだ。だから85年あたりから話は始まり、90年5月で終わることになる。

あと『イースⅣ』をハドソンが作ったとき、実は何があったのかを様々な所から知れたので書きたいのだけど、これについては25年経っても書いていいか、少々わかりかねるところが多いので…まあオプションとしておきたい。

またそもそも30年も昔の話で、連絡が取れない人が多くて(鬼籍に入られた方もおられる)、ある意味、間接的な「様々な人から聞いて、どうやらこうらしい」という話の部分が多々あり、こうだろうと推測して埋めているところもあるので、知っておられる方は遠慮なく教えてくれるととても嬉しい。それからコメント欄は承認制なので「表にするな」と書いてくれれば、表にしません。

それでは本文。

まず簡単な前回のまとめ。

イースの開発は86年11-12月あたりにスタートした。

発売が87年6月で、開発に半年と言われていたことが判明。これから逆算すると86/11-12あたりにスタートということになる。
これは橋本さんが木屋さんから『ロマンシア』のソースをもらって、スクロールルーチンを完成させたと思われるタイミング(86/10-11ごろ)とだいたい一致する。

またこれは山下章さんのインタビューの「開発期間が5カ月」という話ともほぼ一致するので、100%ではないが、確度が高い推測だろうと想像できる。

1986/12

というわけで、86/12月ごろにはなにをやっていたのか?
このあたりは前回書いた通り、プロトタイプを作りながら、戦闘をなんとかしようとしていたことと、シナリオの基本的な部分を決めようとしていた。

『イース』は本格的な開発に突入しているのだけれど、山根と宮崎さんが、なんとかヒロイン(か主人公)の名前を3文字にしようとするが、なんとも決まらず、ついでに書くと主人公の名前も決まらないまま進んでいくなんてことになっている。

あと、山根が大浦君にイースのロゴをデザインを依頼するのだけど、ネタはYs(ワイとエス)と女神と6冊の本とだけ言われ、ゲームに関しての詳しい説明はなかったし、ロゴが何に使われるかも聞いておらず、しばらくして広告などに使われて、腰抜かしたという話だ。
まあ、山根の野郎のいい加減さがわかるのだけど、Ysロゴと女神のレリーフのどちらも単体で座りのいいのをと思ってデザインしたらしいが、ここにとんでもないコトがある。
大浦君はここで女神に翼をつける。多分これを見て、山根が神殿の女神像に翼をつける。こうして女神には翼がつく。
これを見た都築さんがイースⅡのマニュアルで翼をつける。
そして…たぶんこれが元になって有翼人設定が出来る。まるでバタフライエフェクトだ。
また、上のようなドタバタと並行して倉田さんが本番用のマップエディタを作っている。そして以下のような証言がある。

■ファルコム関係者の証言
倉田さんと桶谷さんのは本番のマップエディターね。
プロトタイプのマップデータは橋本さんが適当に作ったような気もするし、記憶定かじゃないけど秋葉さん居たような気もする。
マップがこんな感じってのは山根センセと桶谷さんと倉田さんで色々話して決めてたはず。チップを置く作業は宮崎さんも少しやってたはず。
ただ「センスねぇ」って言われてたw

この証言の曖昧なプロトタイプのマップと実際の製品のマップは違うものなのではないか…というのは、正しくもあり、間違っている部分もある記憶だと思われる。
というのも、山下章さんが書いた【「プロト版イース」〜「AVG&RPGIII」から】では、廃坑などは製品版と全く同じだったと書かれているからだ。

これからプロトタイプの開発には2段階あったのだろうということがわかる。

  1. プロトタイプ初期(86/10-12)は橋本さんが作ったスクロールなどのテスト用のマップ+古代彩乃さんが描いたテスト用データ。野原でスクロールや戦闘のテスト。このとき並行して戦闘のテストなどが行われる。
  2. プロトタイプ後期(86/12-87/1ごろ?)は本番エディタを使った製品版のテスト(スポット処理など)が行われ、最終的に製品版に移行した。

ということだ。

1987/1~2

そして年が明けた87年初頭、開発に決定的な転機が訪れる。
剣を振るアクションがうまくいかず、体当たりで攻撃することにしたとき、看板の半キャラずらしが登場するのだ。

■ファルコム関係者の証言
橋本さんに遊んでみてと言われて、小一時間ひたすら敵を倒して遊んでました。後ろで見ていた橋本さんが「ごめん、ヒットがズレてる」と。
直してもらったのを試したら面白くなくて、改めてズレた方に直しました。
半キャラずらし誕生です。

なんと、半キャラずらしは、そもそもヒットの座標判定を間違っていたのが理由で登場したって代物だったのだ。
この証言をもらったとき、本人は「これを知ったらユーザーがっかりしないかなあ」とか言っていたのだけど、バグだろうがなんだろうが、こういう偶然を拾い上げて、面白いゲームに仕上げるのがクリエイターというものだ。
当時のスタッフのセンスの良さが良くわかるエピソードだ。

と、こんな風にゲームシステムの開発は進みながらも、そもそもの予定だった地上篇・天空篇の二部構造で、天空篇が間に合わない(マップの制作が主に間に合わなかったのだと思う。そりゃそうだ)という深刻な危機に陥り、何度も「どうするか?」という会議が行われていた。

■ファルコム関係者の証言
間に合わない会議が開かれ、何度か話し合いが持たれてました。実際、間に合わない雰囲気がヒシヒシ伝わってましたが、ダームの塔の拡張でギリギリ乗り切りました。

とうとう天空篇を諦めて、ダームの塔を拡張して、もともと天空篇のために用意されていたボスを配置しなおして、ダームの塔まででゲームを終わらせる、という結論を出す。

ここで「え?」と思う人がいるだろう。

ダームの塔は突貫工事で作られたんじゃなかったのか?
これは、半分本当で半分間違っていた。
ダームの塔はあるにはあったが、まったく小さい、数階しかない代物だった、というのが本当だった。実際に前述したプロトタイプでもダームの塔はちゃんとあるが、とても小さい物だったのだ(そしてプロトタイプはディスクが1枚である)。

もともとは廃坑~小さなダームの塔で、そのあとディスク2で天空篇へつなぐつもり…だったのだろう。
では、地上篇と天空篇でのボスの配置はどういうものだったのか?

ボスの配置は、地上編2体、天空編4体の予定で、ダームの塔を拡張した際に、天空編のボスを振り分けた。

多分、当時、プラスしてダルク=ファクトは用意されていたと思われるので、ダームの塔でファクトを倒して、天空篇のつもりだったのだろう。廃坑の底にバジュリオンはいなかった可能性が高いということだ。

このダームの塔を拡張するのが2月あたりで決まっているのは間違いない。
というのも、五十嵐さんのマニュアルの小説の話から、それがわかるのだ。

■ファルコム関係者の証言
五十嵐君がマニュアルを書いたのは覚えているんだけど、頼んだのは87年になってからだったと思う。

■ファルコム関係者の証言
五十嵐さんは、小説を頼まれる前後、イースのデバッグというかテストプレイもしていたので大まかなストーリーは知っていたと思います。
ただ、主人公をどういう人物にするかが決まっていなかったようで、マニュアルに五十嵐さんが書いた小説を載せることになって、主人公がどんな人物かを好きに決めていいと橋本さんが五十嵐さんに言ったと聞きました。
五十嵐さんは、これまで体験したゲームの主人公は王子とか騎士とか英雄っぽい人物が多かったので、これになかった人を主人公にしたいという思いがあり、富野由悠季さんの『戦闘メカザブングル』で「パターン破り」をリアルタイムで見ていたので、いくらか影響されて、冒険家…というのを思いついたと言っていました。
マニュアルの小説の締め切りは春ごろだったはず。締め切り前日に、五十嵐さんが徹夜で書いていたのを見た記憶があります。

これでわかる通りアドル・クリスティンの名前をつけたのは五十嵐さんだ。

と、それはさておき、どうしてこの証言でダームの塔を大きくするのが2月に決まっていたとわかるのか?

86-87年当時、ゲームを作るときに周辺にあるもので最も時間がかかったのはパッケージとかマニュアルといった印刷物だった。

この当時はwordもなければIn Designもillustratorもphotoshopもない。
漢字が普通に使えるPCすらお高い代物だ。

だからテキストは写植だし、イラストは全部手描き。
恐ろしく時間がかかる。
どれぐらい時間がかかるのかというと、ファミコン程度のマニュアルで校正を含めると、約3か月は見ておく必要があった。
ましてやパソコンの豪華なパッケージだ。やはり3カ月程度は見ておいたほうが安全だ。

そう考えると、6月リリースなら〆切はパッケージに2週間ぐらい前にはないとマズいので、6月初頭にはないといけない。ここから3か月をひくと、締め切りは2月の終わり~3月の頭ぐらいだったと想像できる。

さて、ここでマニュアルのマップの画像を見て欲しい。
ダームの塔が大きくて、そしてラドの塔、つまりレアの捕まっていた塔がついている。
これはメガネを渡すための場所で、ダームの塔にボスが3体+ファクトがいる構成でなければ、意味がない。
言い換えるなら、五十嵐さんが小説を書いたとき、マニュアルの〆切の時にはダームの塔を拡張しようとしていたのは間違いない。

そして、87年の5月半ば~6月初頭のどこかで、イース1は完成する。

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