続・グローバルの意味
突然だけど、これの続き。
僕が結構尊敬している論客の方々はグローバルリズムについての立場はイロイロなのだけど、その中でどうにも納得が行かない主張をなさる方々がおられる。それは「グローバリズムは(実質的に)悪である」って主張をする方々だ。
グローバリズムってのは、例えるなら、孤立していた町に道路が通って便利になったから、他の町と簡単に簡単に取引出来るようになりましたってことで、それ以上でもそれ以下でもない。
単純に技術の発達がそれを可能にしただけだ。
そして、そういう環境になったから、会社や工場や人やモノが安くで移動できるようになったので、自由に行き来するようになった、とそんだけの話だ。
そういう環境になってしまった結果、日本とアフリカのZ国の人件費が比較され、工場がアフリカのZ国に移転する…これは防ぎようがない。サポートがインターネット電話で中国の奥地に行くのもしょうがない。
もちろん僕とインドのゲームデザイナーが比較されるのもしょうがない。
そういう世界で僕らは生きている。
そしてこの世界を「昔の世界と比べて気に入らない」と言ってもしょうがない。既にインターネットがあり、通信コストは低く、情報が瞬時に世界を自由に行き来するのを逆戻りさせるわけには行かない。
「気に入らない、国は俺達を守れ」と主張するのは簡単だけど、それを実現しようとしたら、さきほどの例えを使うなら、道路にバリケード置いて「欲しいもの以外は通さない」って方法を取るしかないと思う。
だけど、こっちは道路を好き放題に使って外にモノ出すけど、外のモノや人はこっちにはいれません、って話が通じるわけもないのは明らかだ。それをやったら外の人が怒るに決まってる。
ならば、多分完全に封鎖する以外方法はなくて…もちろん、そんなことは出来やしない。
できもしない理想論(ついでに書くと、僕はそれを理想と思っていない)を主張するのは、全く意味はない。
それよりは、前回も書いたけれど世界中のどこでもご飯を食べられるように努力するのを助けてくれる国、ってのを目標にするほうがマシなのではなかろうか、と思っているのだった。